今日の「天職人」は、岐阜県美濃市の「大衆食堂」。(平成十九年十二月四日毎日新聞掲載)
母が寝込んだ夕暮れに 灯りも点けず父を待つ 夕餉(ゆうげ)の支度いつもなら ガミガミ母の声がする
「鬼も休日」そう笑い 父に引かれて食堂へ 炒飯二つ粥一つ 岡持(おかも)ち提げて帰り道
岐阜県美濃市の美濃食堂。二代目店主の古田省三さんを訪ねた。

卯建つの屋並みが続く一角。

引っ切り無しに家族連れが、店内へと吸い込まれていく日曜の昼下がり。
北風を孕んで暖簾が揺れた。
「家の名物『チキンのり巻き』は、衣にパリッとした海苔を載せたもんで、昭和2年の創業からのヒット商品やて」。省三さんは、白い帽子を取りながら笑った。
白髪の長い髪は、まるで画家のようだ。
省三さんは昭和14(1934)年、四人兄弟の長男として誕生。
「板場の経験なんて無い親父は、雇い入れた渡り職人から技術を学んで、良いとこ取りやわ」。
先代は地元の食材を活用し、創作料理を次々に生み出していった。
省三さんは京都の大学へと進学。
しかし途中肋膜炎を患い、郷里へ戻って闘病の憂き目に。
しかしその時出逢った、献身的な看護婦が後の伴侶に。
大学を出ると公務員となり、岐阜市役所で福祉関係の職に就いた。
「店は弟に託すつもりやったで」。
二十六歳の年に看護婦だった八千子さんと結婚し、一人息子を授かった。
「父が作り上げた店をこのままにしとってええんやろかって、二年間ほど悩みぬいたもんやて」。
ついに三十歳で役所を辞し家業へ。
「子供の頃から親父の手付きを見て育って来たもんやで、鰻なんか一週間で捌けるようになったほどやて」。
名物「チキンのり巻き」は、新鮮なささ身を絶妙な厚みに切り分けることに始まる。
「衣に対するささ身の厚みがポイントなんやて」。
次に小麦粉と卵に秘伝の材料を加えて衣を作り、ささ身を包んで海苔を載せ油で揚げる。
「海苔のパリッとした食感と見た目の艶が何とも食欲をそそるんやて」。
地元で親子三代に渡って愛され続ける、チキンのり巻きの完成だ。

だが平成14(2002)年、影となり日向となり一家を支え続けた妻が他界(享年62)。
「すっかり落ち込んでしまって。息子が店を畳んだらどうかって。それでもぼくはこの仕事に執着があって。父が作った店に、まだ幕を降ろしたくなかったんやて。それに孫の守だけで生甲斐を失いたくなかったし」。
張り合いも連れ合いも失い、抜け殻状態のまま、パート従業員に頼りながら店を続けた。
それから4年が経った去年7月。
夏風邪を拗らせ肺炎で入院。
医師から息子と旧知の和子さんが呼び出され「何時息が止まるかわからん」と宣告が。
直ちに専門の医療機関へ転院。
「もうあかんと思って、彼女に頼みこんだんやて。『仕事辞めて、俺の看病してくれ』って」。
それが、省三さん67歳のプロポーズだった。
その後の再検査では、何処にも異常が見当たらない。
「人生捨てたもんやないって。嫁は来てくれるし、病気も治ってまうもん。なぁ、和ちゃん!」。
新婚ホヤホヤの新妻が、調理場の中で照れ臭そうに笑った。
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今晩は。
・大衆食堂のお話ですね。
・大衆食堂で、ご飯を食べるのも良いですね。地元の人が来てそうですね。
地元の人とお話が盛り上がりますね。
・写真のチキンのり巻き定食美味しそうですね。
・私は、大衆食堂で、ご飯を食べた事が有りません。
チキン海苔巻き⤴
絶対!美味しい!
チキン好きにはたまらん⤴
最近、チキンから揚げ専門店があっちこっちに出来ています。
流石に!岐阜県民は外食好き・・
お客さんも次から次へ来て、コロナなんて関係ない!
そんな感じでした。
一度、お持ち帰りで「から揚げ」買いましたが
一個の値段ではなくて、量り売りなんです!
色んな味があって美味しかったです。
オカダさんなら・・「プッハァ~」のお共にイイかも?
オカダさんの様に心臓にけが生えてない
チキンハートとはあたしの事ですぅ!
唐揚げやチキンの天婦羅なんて、プッハァ好きには堪らん堪らん!
以前、美濃市へ行った時にここで昼食頂きました!良い所でした。
何だかほんわかした感じがとてもGood!ですよねぇ。
ザ・大衆食堂! チキンのり巻き!
良い! 近くにあったら通ってます。
それに 67歳のプロポーズも最高( ◠‿◠ )
大病だったり 失うものもあったりの人生だけど ちゃんと幸せの花が咲くように きっと空から奥さまが あったかい陽射しを贈ってくださったんでしょうね。
行きた〜い 食べた〜い( ◠‿◠ )
実に美味しくってご飯が進君です!