「天職一芸~あの日のPoem 242」

今日の「天職人」は、岐阜県飛騨市古川町の「切り絵師」。(平成十九年七月二十四日毎日新聞掲載)

春を盛りの古川に 晒し姿のやんちゃ連         櫓(やぐら)の上で闇睨み 辻を目掛けて突き進む    町に渦巻く男気と 起し太鼓に付け太鼓         切り絵が描く魂は 古川男やんちゃ節

岐阜県飛騨市古川町の工房布紙木(ふしぎ)。切り絵師の菅沼守さんを訪ねた。

瀬戸川沿いに白壁の土蔵が続く。

真鯉が流れに逆らい水面にたゆたう。

「こんなん元手なんて安いもんや。黒画用紙一枚に、文房具屋で3割引きになった、何処にでもあるカッターナイフ一本あればええんやで」。守さんは、作品の並ぶ店内を見渡した。

守さんは昭和二十二(1947)年、綿細工を手掛けた父の元で四人兄姉の末子として誕生。

中学を出ると名古屋で料理人を目指した。

「料理は好きやったけど、都会の水が合わんと言うか…」。

翌年帰郷し、運送会社の補助乗務員に。

ところが、翌昭和三十九(1964)年トラックごと峠から転落。

一命は取り留めたが全身打撲に。

翌年職を辞し、今度は手に職を付けようと大工見習いを始めた。

しかし二十一歳の年に、脊椎が変形して病状が悪化。

通院生活は今尚続く。

「腰と首の手術はこれまでに十回。二十七歳まで六年間は仕事どころじゃなかったわ」。

しかしその長患いは、菅沼さんに新たな転機を導いた。

病室のベッドがアトリエ代わり。

ペン画・墨絵・版画・油絵と、とにかく手当たり次第に夢中で取り組んだ。

やがて独学ながら木彫りと切り絵の世界へたどり着いた。

とは言え、まだまだ無名の駆け出し作家。趣味人と作家の境を彷徨い続けた。

二十九歳の年には兄が洋食屋を開業。菅沼さんも手伝いながら、作品作りに励んだ。

「『この町に生まれたことが誇れるような、そんな作品を描き続けたい』って。古い町並みや祭り、それに瀬戸川に泳ぐ鯉や山野草。それが故郷そのものだから」。

その想いは、黒画用紙をカッターで切り込む切り絵に託された。

モノクロームの飾りの無い単純な色調。

だからこそ、飾り気の無い力強さと優しさ、そして懐かしさが見る者を魅了する。

だが店の手伝いと作品作りの両立が、やがて身体に障るように。

ついに切り絵作家として生きる覚悟を決めた。

その後、作品が人々の目に留まり本の表紙や町の看板を飾るように。

次第にテレビや雑誌でも取り上げられていった。

それから十五年。

知人の誘いでクラフト展に、生活雑貨のミニチュア木彫りを出品。

そこで創作人形作家の小形寿美子さんと意気投合。

人形を惹き立てる小道具の木彫りを担当することに。

共同作業は作品作りの枠を越え、やがて二人の絆をも紙縒り出した。

そして平成七(1995)年に結婚。

二年後に工房を開き、二階を住居とした。

「不思議な出逢いだから、屋号も布紙木」。菅沼さんはこっそり妻を見つめた。

切り絵は一ヵ月半ほどかけ、納得のいく構図を練り上げることに始まる。

そして黒画用紙に鉛筆で下書き。

白熱灯の明かりに下書きを浮かび上がらせながら、カッター一つでさらに一ヵ月半ほどかけて彫り上げる。

「一つの作品に何十万回ってカッター入れるんやでね」。

祭りの切り絵には、片隅に必ず自分の姿を掘り込む。

「身体が満足やったらなぁ」。

切り絵師は辻を駆ける若衆の掛け声に合わせ、叶わぬ想いを小刀の切っ先に託し一気に彫り上げた。

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投稿者: okadaminoru

1957年名古屋市生まれ。名古屋在住。 岐阜県飛騨市観光プロモーション大使、しがない物書き、時代遅れのシンガーソングライター。趣味は、冷蔵庫の残り物で編み出す、究極のエコ「残り物クッキング」。 <著書> 「カカポのてがみ(毎日新聞社刊)」「百人の天職一芸(風媒社刊)」「東海の天職一芸(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸2(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸3(ゆいぽおと刊)」「長良川鉄道ゆるり旅(ゆいぽおと刊)」

「「天職一芸~あの日のPoem 242」」への5件のフィードバック

  1. 職人さんと言うのは
    根っから手先が器用で謙虚だと思います。
    あたしこそ謙虚の「カタマリ」
    だって見た目で分かるように、
    頭髪だって・・・!
    足の長さだって・・・!
    どうよぉ⤴
    オカダさんに負けない謙虚さ!だと思うよぉ⤴

  2. 今晩は。

    ・切り絵師のお話ですね。

    ・切り絵綺麗ですね。 細かい所 神経使いそうですね。

  3. 怪我や病が続く中 コツコツと独学…
    そして いろんな人との出会い。
    きっと神様が見ていてくれたんですよね⁈
    でもご本人の力が 何ものにも負けないものだったんでしょうね。
    この方が造る素敵な作品を見た誰かが 新たなパワーを頂く事が出来る。
    素敵だなぁ〜。
    私は このブログを読んで この方の事を知り パワーを頂きました。
    な〜んかいいなぁ〜( ◠‿◠ )
    と、勝手に思いに浸っている私です(笑)

    1. そうですとも!
      必死に生き抜いていれば、神様だってちゃあんと見ていて下さるんですって!
      その人を取り巻く境遇は、その人だけに与えられた「使命」であったり、時には「試練」であったにせよ、その人のためにある物でもあるんじゃないでしょうか?

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