「天職一芸~あの日のPoem 238」

今日の「天職人」は、愛知県知立市の「茶碗屋女将」。(平成十九年六月二十六日毎日新聞掲載)

嫁入前の荷造りが 遅々と進まぬそのわけは       別れを惜しむ物ばかり 父母に兄妹泣き笑い      「想い出なんか置いて行け」 やる方もなく父が言う   一つ頷(うなず)き妹は こっそり隠す欠け茶碗

愛知県知立市の恵比寿屋、三代目女将の小久江(おぐえ)好子さんを訪ねた。

旧東海道。

池鯉鮒(ちりゅう/知立)の宿。

黒く色褪せた町屋がわずかに残る。

「『今日の弘法さんは、何頭走ったか?』って言うくらい、昔はこの左馬の茶碗が痛風除けのお土産としてよう売れたって」。好子さんは、店先のご飯茶碗を取り上げた。

「新しい窯に初めて火入れする時、左馬の茶碗を焼いて窯元が縁起物として配ったのが本物。これはそのご利益にあやかろうと真似た茶碗だわ」。

好子さんは岐阜県土岐市の沼田家で、昭和十五(1940)年に誕生。

「陶器処で生まれて、まさか茶碗屋に嫁に来るとは」。

戦後復興が急を告げる中、高校へと進学。

「当時、主人は大学を出たものの就職難で、土岐の製造会社に勤務しとったんやわ。そんな関係からか、私の家庭教師だったんだわ」。

それが縁で結婚を誓い合ったのかと問うてみた。

「ぜ~んぜん!そんな気さらさらあれへん」。

高校卒業後は、タイピストの専門学校へと通い、昭和三十四(1959)年に名古屋の三菱重工へ入社。

「会社の中を歩いとったら、そこでまた主人とピタ~ッと逢って」。

それからはご主人善彦さんの猛攻が続いた。

しかし「電話があっても居留守使って、結納も親に返してくれって頼み込んだほど。まだ若かったし結婚なんて考えられんかったでねぇ。でも赤い糸で繋がっとるかも知れんとは、何となく感じたんやわ」。

店の前に一台の軽トラックが止まり、老人が満面に笑みを浮かべ降りて来た。

「ねぇ、善彦さ~ん。あんた私を浚(さら)いに来たんやったよねぇ」。「そうだよ~っ!」と、照れるでもなく夫。

何とも聞いているのが馬鹿らしいほどの鴛(おしどり)ぶりだ。

「みんな釣った魚に餌やらんって言うけど、この人はボーナスが出るとポーンと渡して、お前の好きなもの買って来いって。私がそんなことよーせんの知っとるもんで」。

昭和三十七(1962)年に結婚し二女を得た。

恵比寿屋の創業は明治初期。

「茶碗屋としては三河地方で一番古いらしいわ。祖父がよく自慢しとったで。それが証拠に、あれが当時のイナイ棒(天秤棒)だわ」。好子さんが天井の梁を指差した。直径五㎝ほどの天秤棒が何本も梁の上に横たわる。

「義父は早朝四時頃から自転車に乗って、瀬戸の作家を巡って買い付けに出掛けとったらしいでねぇ。だで目利きも鋭かったわ。私らはあかん。駄物以外わからへん」。

ご飯茶碗に抹茶茶碗、湯呑に急須や土鍋まで、ありとあらゆる陶器が山積みだ。

「祖父の代からの古い瀬戸物が一杯あるもんで『売ってくれんか』とか、『古瀬戸やけど買うてくれんか』とか、いろんな人が見えるわ。でも『財産無くすで古い物には手を出すな』が義父の遺言やったで、売り買いようせんわ」。

棚の上に居並ぶ狸の置物。

「杖は転ばぬ先の杖。笑顔は厄除け。大福帳は喰いっぱぐれないように。大きな金玉は金運に恵まれるようにって、縁起物の神の化身だわ」。

陶器の産地から三河へと、赤い糸に導かれ早四十五年。

女将の口から澱みの無い売り口上が流れ出た。

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投稿者: okadaminoru

1957年名古屋市生まれ。名古屋在住。 岐阜県飛騨市観光プロモーション大使、しがない物書き、時代遅れのシンガーソングライター。趣味は、冷蔵庫の残り物で編み出す、究極のエコ「残り物クッキング」。 <著書> 「カカポのてがみ(毎日新聞社刊)」「百人の天職一芸(風媒社刊)」「東海の天職一芸(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸2(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸3(ゆいぽおと刊)」「長良川鉄道ゆるり旅(ゆいぽおと刊)」

「「天職一芸~あの日のPoem 238」」への5件のフィードバック

  1. おはようございます。
    ・茶碗屋女将のお話ですね。
    ・色々な茶碗,瀬戸物が、ありますね。狸の置物可愛いですね。
    ・一般のお客さん,業者さんが、買いに来るのかな?
    ・天井に急須が置いていますね。危ないですね。

  2. あら!恵比寿屋さんだ!
    何度か伺った事があります。
    「知立」ではなく『 池鯉駙』のほうがピッタリの店構えです。
    隙間なく陶器が並んでて ついつい1つ2つ余計に買っちゃうんですよね。
    食器を見ながら どんな食材が合うかなぁ〜って考えてみたり 十数秒立ち止まって 料理をのせた場面を想像してみたり(笑)
    こういうお店が少なくなってるので 行くと妙に落ち着くんですよ( ◠‿◠ )

    1. とにかく宝箱みたいなお店だから、眺めているだけでも楽しいものですよねぇ。

  3. 仰る通り!
    所狭しと陶器が・・
    それでも収まらない陶器は宙を舞う!
    イイ感じ⤴
    我が家には、陶器の器、あるっちゃあるけど!
    いつも使うものは一緒で・・
    まだ!お子ちゃまな、あたしは
    プラスチックの器が多いでちゅ~⤴
    コップは勿論!プラスチックで100均でちゅ~⤴

    1. まあ、プラスチックだったら、手元がくるって落としたって割れないから、それはそれでいいかも!
      でもプラスチック製のエビフライとかにソース掛けちゃだめですよ!

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