「昭和を偲ぶ徒然文庫 2話」~「All for you」

先週から毎週火曜日の夜10時には、「昭和を偲ぶ徒然文庫」と題して、過去に新聞に掲載した雑文をご紹介させていただきます。

どうかよろしくお付き合いのほど、お願い申し上げます。

「忌わしき戦争の記憶」2011年3月24日

「堪ヘ難キヲ堪ヘ忍ヒ難キヲ忍ヒ…」

特別養護老人ホームの談話室。

テレビの終戦記念特番で、玉音放送の件(くだり)が流れ出した。

父はいきなり立ち上がり、直立不動のまま虚の三八式歩兵銃を両手に戴き、捧げ銃(つつ)の構えのまま嗚咽を漏らす。

時ならぬ父の姿に、周りの老人があたふたと杖を頼りに立ち上がった。

忌まわしき戦争の記憶は、どれだけ心の奥底に封じ込めようと、馬鹿正直にも体は、己の意思と裏腹に反応するのか。

敗戦から半世紀以上を経た今となっても。

父は亡くなる数年前から認知症が進み、夢と現(うつつ)の狭間に生きていた。

ぼくは無礼にも、そんな父の一進一退を、よく天気になぞらえたものだ。

だから母の七回忌を終え、その足で父を訪ねた時は、手の施しようも無い「土砂降り」状態。

母の供物が詰め込まれた、お下がりのお重を開き、立ち尽くす父に差し出した。

「どこの親切なお方か知りませんが、ほなこの牡丹餅頂戴します」。

父は胡乱(うろん)な眼(まなこ)のまま、牡丹餅に舌鼓を打つ。

…今日は息子の顔すら思い出せんのか?…

「あのー、厚かましついでにこの牡丹餅、もう二つ貰えませんやろか。今日は家内の七回忌でしてな。大好物やったでせめて供養にと」。

…あっ!

土砂降りの中を彷徨いながらも、母の命日だけは忘れずにいてくれた…

赤紙一枚に命を弄ばれ、焼土に帰しどうにか手にした、母との倹しい暮らし。

吉凶相半ばの父の人生。

「勝ち負けより、お相子(あいこ)でええ」。

その時初めて、父の口癖だった言葉の、本当の意味を知った。

どれだけ人類が過去からの智の遺産を積み重ね、叡智を欲しいままに極めたところで、争いや諍い、それと愚かしい戦争というものが、各地で今なお繰り返されるのはなぜでしょう?

悲惨な戦争の記憶が薄れゆく度に、戦争に対する恐怖や憎悪まで薄れてゆくようで、不気味な思いを抱いてしまいます。

とは言え、ぼくがこの世に産声を上げたのは、先の玉音放送にこの国の民が泪し、そして誰もがもう家族を一人として戦争で失わなくても良いと、心から安堵したあの日から、たった12年後のこと。

当然のことながら、父は戦地で生死の淵を彷徨い、母は空襲から命からがら逃げ惑った、そんな戦争の渦中に身を挺していたわけです。

父は戦地での出来事を、死ぬまで一切語ろうとはしませんでした。

今になって見れば、それこそが何をかいわんやだったのだと思えてなりません。

しかし多くの無辜の民が流した血の上に、この平和な世が今なお辛うじて曲がりなりにも続いていることを、忘れることがあってはなりません。

それが先の戦争で、尊い命を奪われた方々への、唯一出来る供養でしかないのです。

戦後75年。

昭和は平成へ、そして平成は令和と改まりました。

しかし先の戦争の苦渋と、国民がすべからく味わった塗炭の苦しみを、単に歴史の一頁として葬り去ることだけは、何がどうあれあってはならぬ事だと思います。

愛するすべての人のために、争いや諍い、それに愚かしい戦争が二度と繰り返されないことを切に祈りつつ、今日は「All for you」歌わせていただきます。

「All for you」

詩・曲・歌/オカダ ミノル

 All for you この命懸けて君を守るよ

 All for you 不器用だからそれしか言えないけど

夢ばかりでゴメン見果てぬ事ばかり だけど願い続ければいつか叶うはず

諦めちゃダメさ祈りが零れ落ちる だから合わせた手と手は決して解かない

 All for you この命懸けて君を守るよ

 All for you 不器用だからそれしか言えないけど

 All for you 命の限り君と生きていたい

 All for you 掛替えのない愛を君だけに

今が辛くても明日だけ信じよう たとえこの先に何が待ち受けてようと

ぼくには何にも誇れるものなどない だけど君を守り抜く力だけはある

 All for you この命捧げ君に誓おう

 All for you 照れ臭すぎてそれしか言えないけど

 All for you 命尽きるまで君と生きていたい

 All for you 掛替えのない愛を君だけに

続いては、CD音源から「All for you」をお聴きください。

★今日は、10月8日にお誕生日をお迎えになる「まさこ」さん、そしてちょっと遅ればせながら先週の9月28日にお誕生日をお迎えになられた「あいうえおばさん」の、お二方のお誕生日をささやか~にお祝いさせていただきます。

★毎週「昭和の懐かしいあの逸品」をテーマに、昭和の懐かしい小物なんぞを取り上げ、そんな小物に関する思い出話やらをコメント欄に掲示いただき、そのコメントに感じ入るものがあった皆々様からも、自由にコメントを掲示していただくと言うものです。残念ながらさすがに、リクエスト曲をお掛けすることはもう出来ませんが…(笑)

今夜の「昭和の懐かしいあの逸品」は、とても逸品とは言えませんが「あなたの家の戦争の記憶」。

昭和の時代の半ば頃までにお生まれの方であれば、きっとご両親やお爺ちゃんお婆ちゃんであれば、戦争のあった時代をご存知でいらっしゃったはず。

子ども心にご両親やお爺ちゃんお婆ちゃんに聞かされた、そんな「あなたの家の戦争の記憶」について、何か思い出されることがあったら、ぜひお聞かせください。

このブログのコメント欄には、皆様に開示しても良いコメントをドンドンご掲示いただき、またその他のメッセージにつきましては、minoruokadahitoristudio@gmail.comへメールをいただければ幸いです。

投稿者: okadaminoru

1957年名古屋市生まれ。名古屋在住。 岐阜県飛騨市観光プロモーション大使、しがない物書き、時代遅れのシンガーソングライター。趣味は、冷蔵庫の残り物で編み出す、究極のエコ「残り物クッキング」。 <著書> 「カカポのてがみ(毎日新聞社刊)」「百人の天職一芸(風媒社刊)」「東海の天職一芸(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸2(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸3(ゆいぽおと刊)」「長良川鉄道ゆるり旅(ゆいぽおと刊)」

「「昭和を偲ぶ徒然文庫 2話」~「All for you」」への17件のフィードバック

  1. 今晩は。

    ・今日10/7(水) 動画(オールフォーユー MP3TUBU,オールフォーユー 弾き語り)を、見ました。

    オールフォーユー 弾き語り良かったです。

    ・オールフォーユー好きな曲です。
    歌詞が良いですね。元気なれる曲ですね。

    戦争は、二度としたら駄目ですね。
    良い事が有りません。お互いに傷につけるだけです。

    ・9/29(火)あいうえおばさん,10/4(日)まさこさんお誕生日おめでとうございます。良い事有ります様に。

    (テーマ)あなたの家の戦争記憶
    私は、祖母と戦争体験の話を、しました。

    アニメ版 この世界の片隅を、見た事が、きっかけです。

  2. オカダさん、こんばんは。
    暖かなバースデーソング、本当にありがとうごさいました。
    これからも、ブログ見させていただぎます。
    オカダさんも、お体ご自愛下さい。

    1. お誕生日おめでとうございました。
      どうか素敵な一年を過ごされますように!

  3. 今年も、とても素敵なプレゼントを、ありがとうございます(笑顔)。
    愛車のママチャリで走ってますと、綺麗な秋桜に出会いますよ。
    自然の風を感じながら、穏やか~に過ごせたらなと思います。
    オカダさんも、頑張り過ぎずに頑張って下さいねぇ。

    1. 本当におめでとうございます。
      まさこさんも、無理せず頑張り過ぎずに、そこそこ頑張って、素敵な一年をお過ごしくださいね。

  4. お父様のお話、泣けました。

    私は、会ったことのない伯父をマリアナ諸島で亡くしていますが、祖母が戦死の知らせと共に受け取った白木の箱には、石ころが1つだけ入っていたそうです。
    伯父は、真面目で優しい人だったそうです。会いたかったです。

    1. どこの家族の方にも、一つや二つ、戦争の爪痕が残っているのでしょうねぇ。

  5. おじいちゃんはお父ちゃんの本当の父親じゃないです。出征して戦死、帰る事の出来た叔父さん(弟)が『女、子供もだけじゃ大変だから俺が来る』と言って家に来たそうです。死んだばあちゃんに一度だけ聴いた事があります。

    1. そんな事って、ヒロちゃん家だけじゃなくって、沢山あったようですよねぇ。
      それもひっくるめて、戦争の悲惨さでしょうね。

  6. 両親と話し合った事はないけど 報道やドラマなどを見るたびに胸が苦しくなる。今ちょうどNHKの朝ドラが その当時の事を描いているけど 何の為に戦わなきゃいけないのか?と思ってしまう。
    術はそれだけじゃないのに…。
    勝ち敗けじゃないでしょう。
    戦う為に生まれてきたわけじゃないのに。

    1. いつの世になっても、愚かな争いや諍いが、やがて市井の民を巻き込む戦争となり、それがこの先も連綿と繰り返されるのだけは、どうかご勘弁願いたいものですねぇ。

  7. 久しぶりの 弾き語り ♪♪ Allforyou ♪♪

    ライブの時はみんなで笑顔で手拍子ですが、 今夜の弾き語りは父親の事を思いながら 両手を合わせて 聴かせていただきました ★
    父も亡くなってから 来月で 24年になります 亡くなる少し前は認知症に ‼️‼️
    孫の名前を間違えたり 食事をしていないと言いながら 空っぽの炊飯器に手をつっこんだり、 腹立たしく思えた事はいっぱいありましたが 感謝でいっぱいです (^^)人(^^)

    1. 家の父が認知症を患っていた頃は、自分の父親が呆けてしまっていくことを受け入れられず、ついつい辛く当たったこともありました。
      今も何でもっと理解してあげることが出来なかったかと、悔やまれるばかりです。

  8. 明治45年生まれの父 召集令状は届いたようですが 身体検査の時 眼の調子が悪く外され 戦争には行けなかったようです ‼️‼️
    もし戦争経験者だったら 両親の娘として 私は産まれていなかった (-_-#)

    父親の姉 私達姉妹のお世話をしてくれた伯母さんのご主人は戦争で命を失った方で お墓には 「戦没者 」と刻まれています (/。\)

    1. 戦争は未だにいろんな人々の心に、深い爪痕を遺しているんですねぇ。

  9. 両親が認知症です。母は2011年に診断が確定しました。父は一昨年でした。母は緩やかに進行しましたが、父は急激に悪化しました。自分もたどって行く道かもしれません。母の入所はさみしかったですが、父の入院には内心ホッとした自分がいます。

    1. こればっかりは、誰が一体いつどのような状態に見舞われるかなんてわかりませんものねぇ。
      頭の中ではちゃんと認知症のせいだとわかっていても、実際に父が父ではない別人のように感じられる瞬間は、認めたくなかったものでした。

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