「天職一芸~あの日のPoem 230」

今日の「天職人」は、岐阜市金園町の「切符売り」。(平成十九年五月一日毎日新聞掲載)

夜の柳ヶ瀬灯が燈る 浮かれ男が酌婦連れ        車乗り付け颯爽と 一張羅着て見栄を張る        夜更けのバス停酔いどれが 夢から覚めてスカンピン   財布の小銭掻き集め どうにかバスの切符買う

岐阜市金園町、岐阜バスの広瀬屋発売所。広瀬治子さんを訪ねた。

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かつて全国にその名を轟かせた日本一の歓楽街、岐阜市柳ヶ瀬。

東西南北に路面電車と路線バスが走り、地方の町から多くの人々を柳ヶ瀬へと送り込んだ。

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その一角、徹明町のバス停。

郡上・関方面へと向かう路線バスが発着する。

ビルの軒下歩道脇。ひっそり佇むように七十五㌢四方ほどの木箱が置かれている。

「店番しながら街灯の零れ灯で新聞読んどると、スーッと掌が伸びて来て『いくらですか?』って、聞かれたんやわ。回数券渡そうとしたら『取りあえず一回見てもらえばいいんです』って。どうやら辻占と間違えとったみたいなんやて」。治子さんは、二代目を継ぐ夫の直巳さんを見つめて笑った。

夫婦はバスを待つ老人たちに、気さくに挨拶を交わす。

まるでそれが日課のように。

直巳さんは、大島家の二男として昭和二十四(1949)年に誕生。

高校二年の年に、親類の子供に恵まれなかった広瀬家に養子入り。

菓子屋を営む広瀬屋は、昭和二十六(1951)年頃よりバスの券売も始めていた。

「本当は大学へ行きたかったんやて。でも養子に出されたで、菓子屋と券売も手伝わなかんし」。だが養子とは名ばかり。

「それから十年は、実家で暮らしとったで『通い養子』の手伝いやて」。直巳さんは懐かしげに嘯(うそぶ)いた。

昭和五十(1975)年、親類の紹介で治子さんを娶(めと)り、二男一女を儲けた。

「新婚当初は、主人の在所の新家で一年。でも流産しかかって、広瀬のこの家に同居になったんやて。だから親が二世帯分も花嫁道具用意して。三種の神器から茶碗に茶箪笥まで、トラック二台分も。父は物入りやったわ。まるで二回も主人のとこへ、嫁入りしてまったみたいなもんやて」。治子さんは子育ての傍ら、夫と交代で店先の券売に精を出した。

「昔のバス代は今の十分の一ほどやったけど、当時にしたら高い乗物やて。子供会の潮干狩りとか、デパートに買い物とか。取って置きのお出掛けの日に乗る、晴れの日の乗物やったんやで」。

しかし高度経済成長に乗じ、やがてマイカーブームが到来。

乗り合いバス離れが加速していった。

「昔は朝七時から夜の十時まで店出しとったんやて。バスを待つ人らでこの歩道が通れんほどの賑わいやった。だで夜の十時になるとうまいことタイミング見て店閉めんと、いつまでたっても客が絶えんのやで」。直巳さんはバス通りを見つめた。

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「それが今では夜の八時過ぎたら、二~三人なんやて」。治子さんはバスを待つ老婆に笑顔を向けた。

「まあこの商売も近々終いやて。柳ヶ瀬も衰退したまんまやし高齢化やで」。直巳さんは寂しげに笑った。

「もう回数券もICカードに代わってまった。バス会社の合理化か知らんけど、年寄りには使い難(にく)いんやて。だってこれまでズーッと一番バスに乗ってくれとった人らが、いつの間にか年老いて高齢者になっただけやのに。ICカードなんてもんは、バス会社が年寄り切捨てた証しなんやて」。

切符売り夫婦は日がな一日券売所に座し、年老いた馴染み客がバスの乗り降りを無事終えられるまで、我がことのようにそっと見届け続ける。

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投稿者: okadaminoru

1957年名古屋市生まれ。名古屋在住。 岐阜県飛騨市観光プロモーション大使、しがない物書き、時代遅れのシンガーソングライター。趣味は、冷蔵庫の残り物で編み出す、究極のエコ「残り物クッキング」。 <著書> 「カカポのてがみ(毎日新聞社刊)」「百人の天職一芸(風媒社刊)」「東海の天職一芸(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸2(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸3(ゆいぽおと刊)」「長良川鉄道ゆるり旅(ゆいぽおと刊)」

「「天職一芸~あの日のPoem 230」」への11件のフィードバック

  1. おはようございます。
    ・切符売りのお話ですね。
    ・バスの切符売りですね。
    ・私は、高速バスの切符売り,JRの窓口,地下鉄の券売機で切符を、買った事有ります。
    ・切符は、券売機で買っても窓口で買っても良いですね。

  2. 今じゃ老いも若きも、バス、電車はピッ!ですよ。
    名古屋市民しか分からないかも知れませんが、私は先月 敬老パスを手に入れました。これで1年間、バス、地下鉄乗り放題⤴️
    オカダさんもあと2年、生きてゲットしましょう•̀.̫•́✧

    1. それそれ!
      それが手に入ったら、乗り地下鉄、乗り市バス三昧の毎日ですなぁ!

  3. うん~⤴
    懐かしい!
    利用した事はありませんが
    写真の売り場は結構、新しい感じですが
    確か?その前は街角の、
    昭和レトロなタバコ屋さんって感じで・・
    路面電車、バスの切符を買うのに
    多くのお客さんが居ましたね~ぇ
    何もかも遠い昔の出来事!
    何か?秋だから、人恋しいのかなぁ?
    あたしの場合は、前頭部の髪恋しい!
    あ~~ぁ⤵

  4. 機械化合理化…
    高齢者の方達だけじゃなく 私も立ち竦んじゃいますよ(笑)
    高齢者が生活しやすい世の中なら 多分誰もが暮らしやすくなると思うんだけどなぁ〜。

    1. 時間を最短化することばかりに技術の粋が結集され、進化という秒針の速度についていけず、喘ぐ世代を単に時代遅れと呼んでよいものなのでしょうかねぇ。
      せっかくいただいたこの命。
      もっとまったりと、自分の速度で歩んだって、それだって立派な人生じゃないでしょうか?

  5. こんにちは。そういえば一昔前には岐阜市内も路面電車が走ってましたね~今ではその名残すら残ってませんけど・・・私も何回か乗った事ありますよ♪免許をとって車に乗るようになってからは殆んど乗らなくなりましたけど今では息子が「バスに乗りたい~」って言う時はたまに乗せてあげる位ですかね・・・
    これも時代の流れですかね・・・

    1. 一度だけ、岐阜の徹明町だったかから、美濃町線で関まで行ったことがありました。
      ガタンゴトン、ガタンゴトンと。

  6. 「 ガタンゴトン ❗ ガタンゴトン❗ 」
    私の子守唄変わり (ノ´∀`*)
    そして 路面電車は 無くてはならない 交通手段でした 。
    名鉄岐阜駅行きや 忠節 谷汲方面 行きに 関 美濃町方面行きと 路面電車であちこち出かけましたよ o(^-^o) (o^-^)o

    今も岐阜駅前の信長様 から守られていますね (*⌒3⌒*)

    1. 路面電車を廃止したから、中心部の衰退がはじまったような気がしますよねぇ。
      でも線路も引っぺがしちゃってますから、もう二度と路面電車は無理でしょうねぇ。

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