「天職一芸~あの日のPoem 229」

今日の「天職人」は、愛知県岡崎市の「鋸目立て職人」。(平成十九年四月二十四日毎日新聞掲載)

シャカシャカシャカと庭先で 大工の棟梁鋸を引く    メリヤス一丁地下足袋で 首に手拭い鯔背だね     シャカシャカシャキン次々と 同じ長さに材を切る    そよ風吹いて大鋸粉(おがこ)舞い 春の陽浴びてキラキラリ

愛知県岡崎市、今泉鋸目立の今泉幸人さんを訪ねた。

写真は参考

「鋸の目が落ちて『洗濯板』になると、引き肌が荒れて電鋸の音も変わって来るだぁ。目立てを済ませたばっかだと、おとなしく『シーン』と回っとるだで。それと目に木垢(きあか/脂)が付いてまうと『カッスカッス』と鳴くだぁ。まあ半世紀もこの仕事しとるで、鋸の音聞くだけで目の具合も手に取るようにわかってまうだわ」。幸人さんは、輪になった長さ七~八㍍の製材用大型鋸刃を撓(しな)らせた。

幸人さんは昭和十六(1941)年、鳳来町の農家で五人兄弟の二男として誕生。

中学を出ると材木屋を営む叔父から、「手に職を付ければ食いっぱぐれも無いで、目立て職人になれ」と。

「当時、豊橋は材木の町で、ようけ加工場があったじゃんね」。

昭和三十一(1956)年、夜具と衣類を持って製材所へ住み込み修業に入った。

「毎日、親方の自宅の掃き拭き掃除ばっかりだわ。見習いだもんで、給料なんか一銭も貰えんだで」。

それから半年。目立て職人の師匠が退職。

近所の鋸加工所へと移り、幸人さんも師匠に付き従った。

そこでも一年半は無給のまま。

「来る日も来る日も自転車の荷台に、輪になった長さ七~八㍍・幅二十㌢の刃を折り畳み、十枚ほど積んで三軒ほど製材所へ配達するだぁ。毎日十~十五㎞も自転車漕いで」。

夜七時に工場へ戻ると、兄弟子たちの使い走りが待ち受けていた。

「配達の途中でクリーニング屋の小僧とすれ違うだぁ。あいつらはいいだぁ。糊の効いたパリッとしたYシャツ着て。わしらぁ、黒ずんだ作業服でよれよれなんだで。わかるらぁ」。

無給の見習い修業から二年が過ぎた。

「やっとひと月に五百円貰えるようになっただぁ」。

しばらく後、同級生らと再会した。

「あいつら月に一万九千円も貰っとんだて。だもんでピシッとした背広着て、吊りバンドに白黒コンビの革靴履いて颯爽としとんだわ。恥ずかしいでわしは、裏返しにジャンパー着とったって」。

目立ては手鋸と、製材所の電動用帯鋸に分かれ、幸人さんは帯鋸専門の目立てを学んだ。

写真は参考

「まずは、刃先の広がり具合を整える『アサリ出し』を学んで、切り出す材に応じた刃と刃のピッチを覚えるだぁ。杉や檜は刃のピッチが細かい方がええし。一端になってやっと、刃の抜き型のコマで帯鋸の鋼を打ち抜いて目を立てるだぁ」。

昭和三十六(1961)年。それでも二十歳の頃には一端の目立て職人に成長。他所の鋸目立て加工所が、職工として引き抜いた。

「昔は製材所が、それぞれ目立て職人を抱えとっただ。でも徐々に合理化とかで、職人を置かんようになってまった」。

昭和四十四(1969)年、三重県尾鷲市出身の節子さんを妻に迎え、一男二女をもうけた。

その翌年に独立、現在も得意先の製材所の目立てを請け負う。

「鋼の腰が悪いと『ゼコゼコ』言うし、黒檀や欅みたいな堅い木だと『キャンキャン』と鳴くだぁ。まあええかげん年だし、身体はいっつか定年だて」。

目立て一筋、早や半世紀。

幸人さんは鋸が発する鳴き声一つで、刃の状態を誰よりも正確に読み取る。

天晴れ耳が命の目立て職人!

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投稿者: okadaminoru

1957年名古屋市生まれ。名古屋在住。 岐阜県飛騨市観光プロモーション大使、しがない物書き、時代遅れのシンガーソングライター。趣味は、冷蔵庫の残り物で編み出す、究極のエコ「残り物クッキング」。 <著書> 「カカポのてがみ(毎日新聞社刊)」「百人の天職一芸(風媒社刊)」「東海の天職一芸(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸2(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸3(ゆいぽおと刊)」「長良川鉄道ゆるり旅(ゆいぽおと刊)」

「「天職一芸~あの日のPoem 229」」への9件のフィードバック

  1. 材木工場には なくてはならない帯鋸。同時に なくてはならない目立て職人さん。
    鋸の音を聞くだけで 鋸の目の調子がわかるなんて もしかしたら絶対音感を持ってる方なのかも?(笑)
    いつもブログを読んでて思うけど 小さなネジ一つが出来上がるまでにも いろんな作業過程があるわけで いろんな方の手が関わってるわけで…
    そういう事を知る機会を与えてくれた オカダさんのブログに感謝ですよ( ◠‿◠ )

    1. そうやって、昭和の職人の手仕事を興味深く知っていただき、ぼくの方こそありがたや、ありがたやです。
      一つ時代が変わる度に、一つずつそんな手仕事が失われていってしまうのは、何だか寂しい気がしてなりません。
      きっと、時代を下る度に、時計の秒針はせっかちに動いているのではと、思ってしまう程です。

  2. こんにちは。
    鋸目立て職人のお話ですね。
    鋸目立て職人さんが、見えた事知りませんでした。ブログで勉強になりました。 貴重な職人さんですね。

  3. 鋸!
    もう何年?手にしてないでしょうか?
    不器用なあたしには「DIY」なんて
    とてもとても・・
    だから、我が家には、鋸、かなづち、あるにはあるけど
    殆ど、眠ってます。
    「DIY」興味があるけど、
    あたしみたいな形から入る人間は一流の道具が必要⤴
    だから見た目は一流!
    要は、バッタもん!

    1. 男は、道具からって、そう言う主義の方は多いのでは?
      そうでしたかぁ!落ち武者殿も隅に置けませんねぇ!

  4. 納品先にも
    昔、目立てしていたから金物屋さんいっぱいありました
    今はそんな時代ではないですね

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