「天職一芸~あの日のPoem 226」

今日の「天職人」は、三重県桑名市の「墓石職人」。(平成十九年三月二十七日毎日新聞掲載)

父の背中を流すよに 手水(ちょうず)をかけて墓掃除  問わず語りに無沙汰侘び 伸び放題の草むしり      母の好物餡コロに 父に煙草を供えては         線香代わり火を燈し 彼岸の入りに手を合わす

三重県桑名市、墓石の石市商会。根来英太郎さんを訪ねた。

「残念やけど、家に鉄砲の術は伝わっとらんのやさ」。根来衆を祖とする、十五代目の墓石職人は、柔らかな笑顔を向けた。

写真は参考

無造作に後ろで束ねた白く長い髪。

鋼のように引き締まった細い身体。まさに老獪な根来法師としての遺伝子が、何気ない風貌に宿っているようだ。

根来寺

「代々根来市蔵を、家は四百年以上に渡って襲名してきてましたんさ。まあ私もそろそろ市蔵に改名して、息子に跡を譲らんと」。

英太郎さんは昭和十一(1936)年に、七人兄弟の末子として誕生。

「真ん中の五人が病死して、二回り違いの姉と二人なんさ」。

初代根来市蔵が、和歌山県北部から桑名の地に移り住んだのは、元和(げんな)六(1620)年のこと。

東別院の建立に合わせ、石工としてこの地に根を下ろした。

「祖父も父も養子続きでしてな。祖父母の間には子が出来やんだもんで、祖父と芸者の間に出来た娘を養女に迎えたんが母ですんさ。でもそのまんまやと、根来市蔵の血が絶えますやん。それじゃあと、ご先祖の地から根来市蔵の血を受け継ぐ者を探し出し、婿養子に迎えたんが父ですんやさ」。

気も遠くなるような根来一族四百年の系譜は、語り尽くせぬ苦難の歴史でもあった。

昭和二十九(1954)年、英太郎さんは高校を出ると、石都岡崎市で住み込み修業に入った。

「本当はサラリーマンになる気でおりましたんやけどなぁ」。

三年後、桑名へと舞い戻り家業に従事。

「東京オリンピックの昭和三十九(1964)年前後から、石屋にも機械化の波が押し寄せて来て。だんだん昔ながらの職人がいらなくなてってさぁ。もう今では、墓石を据え付けさえすればええんやで」。

昔の重労働に比べれば、トンボ(石を運ぶ荷車)での運搬もなく、鑿による手彫りも空気彫りや機械彫りへと移行し、作業効率は飛躍的な改善を見せた。

「おんなじように見える墓石でも、桑名までは名古屋型、桑名から先は伊勢型に分かれるんさ。名古屋型の三段に対し、京都・大阪型は二段組みと違てくるし。中央の大きな竿石の上んとこも、陣笠型とか二方丸・四方丸・丸面と色々やで」。

参考

中央の竿石の正面に水入れ、その下に香立、両脇に花立と配置し墓地に設置される。

「あの昔の陣笠型の石見てみ。角が欠けとるやろ。あれなぁ、昔の有名な博打(ばくち)打ちの墓石なんさ。せやで博打好きが、あやかりたて墓石削(はつ)ってったんやさ。清水一家の森の石松の墓みたいに」。

昭和四十(1965)年、地元農家からたづ子さんを嫁に迎え、一男一女を授かった。

「どえらい立派な身上になっとったら、もういっつか潰れてもうとるわさ。四百年も永い間、なんとか潰れやんとやってこれたんは、大きくもなくそこそこの商いで来た証やさ。そやでよう息子にも言うたるんやさ。『自分からは絶対に名門やとか言うんやない。それは同等以上になってから言わなかん。それと、昔は良かったとか言うたら愚痴になるだけやで』と」。

「どえらい」立派な身上を誇示した徳川家は、十五代を持って我が世を明け渡した。

だが桑名の根来市蔵は、既に十六代。

驕る事無く謙虚に、今も家業を受け継ぐ。

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投稿者: okadaminoru

1957年名古屋市生まれ。名古屋在住。 岐阜県飛騨市観光プロモーション大使、しがない物書き、時代遅れのシンガーソングライター。趣味は、冷蔵庫の残り物で編み出す、究極のエコ「残り物クッキング」。 <著書> 「カカポのてがみ(毎日新聞社刊)」「百人の天職一芸(風媒社刊)」「東海の天職一芸(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸2(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸3(ゆいぽおと刊)」「長良川鉄道ゆるり旅(ゆいぽおと刊)」

「「天職一芸~あの日のPoem 226」」への9件のフィードバック

    1. そうやってルーツに思いを馳せて見るのも、密かな楽しみでもありますよねぇ。

  1. 伊勢型、名古屋型など墓石にも そんな分け方があったとは。
    現在では 墓石もいろんな形があるから それ以外は同じように見えてました。
    核家族化が進んだりして お墓を建てる事自体少なくなってるんですよね。守っていくのは大変なことですから。
    何を大切にしていかなければならないのか?
    時々脳裏をかすめます。

    1. 確かにお墓の在り方も変わってゆくのでしょうねぇ。
      ぼくはお墓に入らなくても、大好きなカカポの国、ニュージーランドと繋がっている太平洋に、散骨して欲しいと思っています。

      1. 太平洋に揺られながら いつでもニュージーランドを感じる事が出来ますね!
        私は お墓を建てないと決めてます。
        じゃあ どうするか?は決めてないけど(笑)

        1. これからは、形骸的な宗教の儀礼に惑わされることなく、死してなお自分らしさを誇示してもいいのかもしれませんものね。

  2. 墓石と言えば!
    以前、沖縄へ行った時に
    土地柄でしょうか?
    沖縄の墓石が立派なのにビックリ⤴
    あたしゃぁ~!
    三途の川を渡って天国に行く事が出来れば
    お墓に入らなくてもイイですぅ!
    そして、たまに、オカダさんの枕元に・・・
    お~~ぉ⤴怖っ!

    1. じゃあ、三途の川の渡し賃六文は、ぼくが餞別代りに用意しときますわ。

  3. 今晩は。
    墓石職人のお話ですね。
    ・色々なタイプの墓石が、有るのですね。
    ・私は、墓石に入らなくても良いです。
    ・海とか散骨出来る所に、散骨して欲しいです。
    ・骨(遺骨)を、アクセサリーにして残さないで欲しいです。

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