今週から毎週火曜日の夜10時には、「昭和を偲ぶ徒然文庫」と題して、過去に新聞に掲載した雑文をご紹介させていただきます。
どうかよろしくお付き合いのほど、お願い申し上げます。
「日本初、美濃電女性車掌」 2011年2月24日

♪汽笛一声新橋を♪ とは、のちの世で謳われた鉄道唱歌。
それも明治5(1872)年9月12日(グレゴレオ暦10月14日)、新橋―横浜間に日本初の鉄道が開通したればこその賜物である。
当時、新橋―横浜間の所要時間は、約一時間。現在の二倍以上を要した勘定だったとか。
それから時代を下ること約半世紀。
大正7(1918)年4月18日。
岐阜県の美濃電気軌道(通称/美濃電)に、日本初の女性車掌が登場したというではないか!しかも元号が大正に改まったとは言え、まだまだ男尊女卑の風潮を色濃く残す時代に。
いやはや天晴れ!美濃電。
つまり昭和61(1986)年施行の男女雇用機会均等法より半世紀以上も前に、美濃電ではいち早く女性車掌の導入に踏み切り、全国の鉄道会社に先鞭をつけていたのだ。
♪私は東京のバスガール発車オーライ♪
コロムビア・ローズの歌でお馴染みの「東京のバスガール」は、はとバスのガイドさんがモデルとか。
その元祖の誕生は、東京青バスが全国初として、バスガール25名を採用した大正9年のこと。
美濃電の女性車掌より、遅れること2年。
しかしこうした女性登用の裏には、避けて通れぬ時代背景もあった。
美濃電の女性車掌誕生の年には、第一次世界大戦が終結。
国土が戦火に塗れなかった日本は、大戦景気に沸き、乗務員が不足。
その解消手段が、女性車掌の登用だったのだ。
しかし、とは言え日本初の女性車掌導入が、岐阜県の美濃電であった事と、それが女性の地位向上に一役買った史実も、岐阜県の誇りの一つとして、決して忘れてはならぬ。

ぼくが子どもの頃は、まだまだバス通りとは言え、都心部を離れると概ね砂利道で、しかもレトロなボンネットバスでした。
ウインカーは、矢印の矢が下向きに格納されている所から、木製だったのかプラスチック製だったかの⇒が、右へ左へと90°左右に飛び出す仕組みの物でした。
もちろん乗降口は一か所で、ドアの後部の小さな小さな仕切られたスペースに、女性の車掌さんが乗り合わせていたものです。
黒い車掌鞄を斜めにかけ、器用に改札鋏を操る姿に、子どもながらに憧れたものでした。
ワンマンカーも交通系ICカードも無い時代。
中には、改札鋏を西部劇に出てくるような、早打ちガンマンのように、トリガーガードに指を通してガンスピンを繰り返すかのように、改札鋏をものの見事に何度も回転させ、颯爽と切符を切る車掌さんもいたものです。
お母ちゃんにせがんでせがんで、やっと買って貰った車掌さんセット。ブリキ製の改札鋏で真似たものですが、本物の車掌さんの腕前には到底敵いっこなかったですねぇ。
ボンネットバスの木製の床からは、いつも油の匂いが立ち込めていたことも、今思い出しました。
そんな昔話はさておき、今日の弾き語りでは「だからもう」と「守ってあげる」をお聴きいただきます。
「だからもう」
詩・曲・唄/オカダ ミノル
何も言わなくていい ぼくが側にいるから
自分を責めてみても 昨日は何一つかわらない
長い旅の途中の 港で立ち尽くして
ぼくが漕ぎ出す船を 君が選んでくれただけ
今さら出逢いが 遅すぎたなんて 心欺(あざむ)き 続けて生きるよりも
だからもうぼくだけを 信じ続けて 生きてごらんよ 君が君らしく
人が何を言おうと 君は君でしかなく
ぼくもぼくでしかない ふたりで一つを生きるだけ
有り余る時間もなく 微かな残り灯だけ
だから片時でさえ 愛しく心が求め合う
いつかふたりが この世を去ろうと 君を愛した 記憶は消せはしない
だからもうお互いを 想い続ければ 何もいらない 君さえいてくれたら
月明り頼りに 沖へと向おう 君が生まれた 星座を目指しながら
だからもういいよ すべて哀しみは 泪と共に 海へと還(かえ)せばいい
「守ってあげる」
詩・曲・唄/オカダ ミノル
今日は昨日の続きじゃない 明日へと続く大切な一歩
君の踏み出すこの道の先が 石ころだらけならぼくが取り除こう
恐れる事など何も無い 信じる物さえ見失わなきゃ
何時でもどんな時でも君の側には 誰より君を愛するこのぼくがいる
たとえ誰かが君を責めても この世の誰もが君を詰(なじ)ろうと
世界中を敵に回そうと 君一人になろうとぼくは君の味方
恐れる事など何も無い 二人の心を信じ合えば
何時でもどんな時でも君の側には 誰より君を愛するこのぼくがいる
人目気にして生きるより 身構えながら怯(おび)えるより
君は心の向くまま君らしくいて 必ずぼくがいつでも守ってあげる
君は心の向くまま君らしくいて 必ずぼくがいつでも守ってあげる 守ってあげるよ
★毎週「昭和の懐かしいあの逸品」をテーマに、昭和の懐かしい小物なんぞを取り上げ、そんな小物に関する思い出話やらをコメント欄に掲示いただき、そのコメントに感じ入るものがあった皆々様からも、自由にコメントを掲示していただくと言うものです。残念ながらさすがに、リクエスト曲をお掛けすることはもう出来ませんが…(笑)
今夜の「昭和の懐かしいあの逸品」は、「路面電車とボンネットバスの思い出」。
ぼくも子どもの頃は、市電の運転席の真横に陣取り、シルバーのポールにしがみついて運転士さんの一挙手一投足に見入って憧れたものでした。
皆様は、路面電車やボンネットバスにどんな思い出がございますか?
ぜひコメントをお寄せ願います。
このブログのコメント欄には、皆様に開示しても良いコメントをドンドンご掲示いただき、またその他のメッセージにつきましては、minoruokadahitoristudio@gmail.comへメールをいただければ幸いです。
今晩は。
・9/27(日)動画(「だからもう」「守ってあげる」弾き語り)を、見ました。
弾き語り良かったです。
・「だからもう」「守ってあげる」は、キーが同じ曲なのですね。
・バラード系の曲良いですね。
・「だからもう」「守ってあげる」好きな曲です。歌詞が良いですね。
私は、元気がない時に、聞くと良いと思いました。
(テーマ)路面電車とボンネットバスの思い出
考えて見ました。
・私は、実際にボンネットバスと路面電車に乗った事が有りません。
・路面電車は、TVで見た事有るだけです。
う~ん、ボンネットバスは、映画やテレビで観たのかなぁ~?
記憶が曖昧で困ったもんです。
歳はとりたくないけど…。
10月8日は、私の誕生日です。
今年も素敵な弾き語りで祝ってやってくださいませ。
よろしくお願い致します(笑顔)。
そうですか!
畏まりました!
10月6日のブログでお祝いソングを歌わせていただきますからねぇ。
守ってあげる何てたいそうな事は言えないけど『キミの幸せと活躍はいつまでも祈ります。』今でも自分が思っている細やかな願いです。いつか又、目の前に現れる事があるなら笑顔(*^^*)逢いたい。
そうかぁ、ヒロちゃんの一途な心は、きっとカレの心の支えになってるんだろうなぁ!
「発車 オーライ 明るく明るく 走るのよ〜」
いつの時代も女性の底力は 凄い!
女性は アピールせずにさり気なく力を発揮するから尚更凄いのだ!(笑)
私は ボンネットバスを直接見た事はないけど 路面電車は豊橋で乗った事があります。バスのような電車のような…乗り場で待つ間もそわそわキョロキョロしてたっけなぁ〜( ◠‿◠ )
あの路面電車の速度が、またなんとも言えない味わいがあるんですよねぇ。
今度、豊橋に入ったら、路面電車に乗って見なきゃ!
ブーンというエンジン音。方向指示器もランプではなくて、30cm位の木の板が曲がる方向に飛び出ました。ボンネットバス、あな懐かしや。大垣市南一色町から大垣駅まで、母に連れられよく乗ったものでした。
今、あんな方向指示器が飛び出したりしたら、隣を走る車に接触しそうですよねぇ。
最近、色々と忙しく・・そんな時こそ、オカダさんの歌を聴くと心が落ち着きます。^ – ^
いつも、ありがとうございます!!
ボンネットバスは、さすがに乗った事はないですね。
路面電車は、子どもの頃に伊奈波神社の近くに住んでいたので、柳ヶ瀬へ行ったりする時は何度も乗りました。確か子ども料金は15円ぐらいだったかなぁ。少し記憶が曖昧ですが・・。車掌さんも乗っていて肩に掛けたバッグで切符を売ってみえたと思います。
運転手さんが、グルグル回してたのはハンドル?ですよね。不思議でよく、じ〜っと見てました。
音とか揺れまで思い出しました。
そうなんですよねぇ。
懐かしい光景は、当時の匂いまで思い出させてくれる気がします。