「天職一芸~あの日のPoem 219」

今日の「天職人」は、岐阜市加納栄町通りの「パン職人」。(平成十九年一月三十日毎日新聞掲載)

棚に並んだ菓子パンは まるでぼくらの玉手箱      餡にジャムパンコッペパン あれこれ思案品定め     パン屋親父は呆れ果て 貧乏揺すり床軋(きし)む    悩んだ末に神頼み 人差し指の言うとおり

岐阜市加納栄町通りのサカエパン。二代目パン職人の高木康雄さんを訪ねた。

JR岐阜駅から南へわずか。主婦用自転車が引きも切らず、入れ替わり立ち代りやって来る繁盛店。

昭和の風情が色濃く残る引き戸を開ければ、焼き立てパンのやさしい香りにたちまち包み込まれる。

「戦後は四十軒ほどあったけど、今じゃあもうたったの三~四軒やろなぁ」。康雄さんは、品定めに夢中の客を眺め渡しながらつぶやいた。

康雄さんは昭和十三(1938)年に七人兄弟の長男として誕生。

「子供のころ父は、菓子やゲンコツ飴に、野菜や果物をリヤカーに山盛り積んで、犬に曳(ひ)かせて売り歩いとったんやて」。

しかしやがて軍事色も深まり敗戦へ。

サカエパンは昭和二十二(1947)年に、サカエパン食品工業として創業された。

「戦後の混乱で物資の手に入らん時代やったで。父は仕入れルートを作るために、材料問屋の人と一緒に会社を興したんやて。パンの作り方も知らんで、どっからか職人を三~四人ほど連れて来て。機械は名古屋からの中古品。見よう見真似で始めたらしいわ」。  

康雄さんは高校を出るとすぐ、父の元でパン職人を目指した。

昭和三十一(1956)年、敗戦の傷も少しずつ癒え、この国の民にも明るさが兆し始めて行った。

「ところが今度は、東京や名古屋から大手の製パン会社が乗り込んで来て。俺らぁみたいな小さなパン屋はコテンパンにやられてまうんやて」。昭和三十年代の急速な復興期は、パン屋が生き残りをかけた戦国時代でもあった。

「これではあかんと思っとったら、宅配で売らせてくれって業者がやって来て。ロバパンみたいなもんで、販売専門の業者やわ。それで何とか、バブル崩壊までは息を繋いだって」。

昭和三十七(1962)年、紀子さんを妻に迎え、一男二女を授かった。

「結婚したら直ぐに出来てまったんやて」。康雄さんは照れくさそうに、傍らで忙しそうに立ち働く三代目の芳継さんを盗み見た。

その後バブル経済の破綻により、宅配が低迷し売り上げは半減。

「その前から店頭売りをしたいなぁって、頭ん中で考えとったんやて。宅配の業者が、いろんな余所のパンを持ってきて『次はこういうの作れんか?』って。それで研究しとったでなぁ」。

平成六(1994)年、工場の店先で店頭売りを開始。

最初は一日に、五百個も売れればと半信半疑だった。

「そしたらTVの取材はやって来るし、お客さんは倍作れって言うし」。わずか三年ほどで、店頭売りの焼き立てパン一本へ。

今では平均三千個。多い時は四~五千個にも及ぶ。

毎朝四時からの仕込み作業。

基本のあんパン作りは、準強力粉に砂糖・卵・塩・イースト・粉乳・マーガリン等に水を混ぜ合わせることに始まる。

それを一時間発酵させ、生地を分割して丸め置き、次に成形し餡を入れ胡麻を付け再び焙炉(ほいろ)で発酵。

「ほてから卵黄を塗って、へてからオーブンで焼き上げるんやわ」。

こうして天下一のアンパンが、えも言われぬ香りを発し焼きあがる。

何ともパンのように柔らかそうな手である。

「毎日マーガリンで、生地捏(こ)ねとるでやろなぁ」。

半世紀をパン作りに捧げた老職人は、照れくさそうに柔らかな手を揉み合わせた。

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投稿者: okadaminoru

1957年名古屋市生まれ。名古屋在住。 岐阜県飛騨市観光プロモーション大使、しがない物書き、時代遅れのシンガーソングライター。趣味は、冷蔵庫の残り物で編み出す、究極のエコ「残り物クッキング」。 <著書> 「カカポのてがみ(毎日新聞社刊)」「百人の天職一芸(風媒社刊)」「東海の天職一芸(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸2(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸3(ゆいぽおと刊)」「長良川鉄道ゆるり旅(ゆいぽおと刊)」

「「天職一芸~あの日のPoem 219」」への13件のフィードバック

  1. 一度食べた事が有ります。ほどよい甘味のあんこが美味しいのよね。こんど時間にのある時に行きます。

    1. 町角のノスタルジックな、昔ながらのパン屋さんって、超お洒落なブランドパン屋さんより、ぼくには親しみがわいてしまうものです。

  2. こんにちは。
    ・パン職人のお話ですね。
    ・(写真)お店にあるパン美味しそうですね。(あんぱん)アンコが沢山入っていて美味しそうですね。
    ・私は、サカエパンに行った事が、ありません。買って来るとしたらバローの中にある北欧倶楽部のパンですね。
    ・私は、硬いパン(フランスパン等)は、食べません。 柔らかいパン(あんぱん,クリームパン,メロンパン等)が、好きです。

  3. 「天職一芸〜あの日のpoem 219」
    「パン職人」
    こちらが南になるんですね。
    高い駐車場が苦手でこちらの南側の駐車場を利用していました。
    ずっしりとおもみのあるあんぱんと黒ごまが美味しかったです。こんなにも深い歴史のあるパン屋さんだったんですね。
    あ〜食べたくなりますね。
    ん〜たい焼きも食べたくなってきました。

    1. 昭和の懐かしいアンパンは、時として無性に食べたくなってしまうものです。

  4. 出ました!サカエパン
    決して、甘すぎない!「あんぱん」
    そして、餡子がいっぱい入っているので
    筋力アップになるくらい重い⤴
    食べた事が無い方!
    何を買って食べてもハズレがないので是非!
    でも、昼時に行くと「密」になるので
    気を付けて・・!

    1. 自分の胃袋は、逆立ちしたって一つっきりなのに、ついついあれもこれもと手が伸びちゃうものですよねぇ。

  5. 昔ながらのパン屋さん! いいわ〜( ◠‿◠ )
    ” あんぱんちゃん” の黒ごまと餡子の量もぎっしりで…。
    学校の近くにこんなお店があったら 毎日通ってたでしょうね(笑)
    地元のパン屋さんに行くと お洒落〜なパンが多くてキョロキョロしちゃうけど 結局シンプルなパンしか選ばなくって冒険出来ない私です。
    クリームパンも苦手で…。
    ハチミツミルクパンや塩パン…そして大好きなくるみパンに手が伸びちゃいます。
    中に何も入ってないパンばっかり(笑)
    パンの香りだけで満足!

    1. 焼き立てのパンの香りには、ついつい足を止めてしまいますもの。
      やさしい香りですよね。

  6. 僕も行きました。大垣からサカエパンを購入するためにだけJRに乗って。その扉が西側を向いてお店がありました。岐阜駅南側から直ぐでした。駐車場はお店の東側にあったと記憶してます。オシャレな名前のベーカリーの甘ったるいパンではなくて、少し塩味が効いた昔ながらのアンパンやクリームパンがありました。お惣菜パンもあったと思います。なつかしい美味しさでした。

    1. 小洒落た装いの見映の良い物は、ぼくなんぞオッサンにはどうやら不向きかもしれません。
      少々不格好でも懐かしい味わいをついつい好んでしまいます。

  7. 黄色いサービス券も集めておりま〜す。
    トレーにあんばんちゃんを、てんこ盛りに買って行かれる、お客さんもいてビックリ!したこともあります。
    やっぱりファンが多いのですね〜っ。
    私はラムレーズンが、これでもか!と入ったテーブルパンが1番好きで〜す。

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