
これは幟で「愛」の文字が隠れてしまっていますが、近江鉄道の「愛知川駅」のちゃんとした駅舎です。
ちょっと野暮用があり、初めて米原から近江鉄道に乗って見ました。

なかなかのローカルさを満喫しながら、車窓からの眺めも随分楽しませていただけました。
そこで「愛知川」と書いて「えちがわ」と言う駅を知り、地名を知ることが出来たのです。

何とこれは、愛知川の駅舎の前にある郵便ポストです。

愛知川の伝統工芸「びん細工手毬」を模したポストとか!

こちらが本物の、「びん細工手毬」ですが、実に奇麗な物でした。
明治の初期に始まったものとか。
係りのオバチャンに聞くと、綿をボールのように真ん丸に丸め、その表面に刺繍をあてがい、球体の手毬から中の綿を抜いてビンの中に入れ、再びセッセセッセとビンの中の手毬に綿を詰めて真ん丸にしてあるんだそうです。
明治の初期と言えば、ビードロがガラスと呼ばれ、多少は庶民の手が届くようになったとはいえ、まだまだ高級品だったのでしょうね。
なかなかリフレッシュできた小旅でした。
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おはようございます。
滋賀県に愛知がある事知りませんでした。ブログで知りました。
・写真のビン細工手鞠綺麗ですね。全部素敵ですね。
・愛知川(えちがわ)という地名が、ある事知りませんでした。勉強になりました。
・ローカル鉄道良いですね。のんびり出来ますね。
・丸い形の変わった形のポスト素敵ですね。写真撮ってしまうポストですね。
印象に残るポストですね。
・オカダミノルさん 小旅で、リフレッシュ出来て良かったですね。
・私は、滋賀県に行った事有りません。ブログで、旅をしました。
また、また、かくれんぼしている
「 」の文字が「愛」とは にくいね!
オカダしゃん!! (ちょっと調子に乗りました。)
器用な祖母が急に手毬を作り始めて
祖母の家に遊びに行くたびにその姿を見ていたら作りたくなって
小学5年生か6年生の時に教えて貰いました。懐かしいです。
子どもが作れる小さくて簡単な物ですけど綿に糸を巻いて まんまるくするのも地割とか中々根気がありました。
確か本があったような…私の十八番は
八重菊かがりだったようです。
こんなにも美しいビン細工手毬を初めて知りました。ありがとうござます。
なかなか手の込んだ細工ものでしたよ。
それにしても八重菊かがりだなんて、難しそうな!
器用だったんですねぇ。
それが とんでもなく不器用ものなので作り進めてゆくと 「ここはこうして重ねると綺麗になるよ」と、優しく教えて貰うとなんだか嬉しくなって 次は綺麗になるような気になって仕上げていました。
本を見ると刺繍糸になっていますけれども祖母はリリアンの糸をすっーと細く解いて作っていました。
なのでオカダさんが椅子に座ってギターを弾きながら左足でリズムをとっている お姿の方が凄い!器用と思っています。
なにをなにを!
ぼくのリズムを刻む左足は、いささか調子っぱずれなんですけどねぇ。
愛知川「えちがわ」と読むですか!
若い頃、滋賀を通って、海へサーフィンをやりに行ったので、
その辺りをよく通りました。
えっ?サファーだっのぉ?
失礼な!バリバリの陸サファー⤴
とは私の事ですぅ!
でぇへぇ⤴
恐れ入りました。
そんな落ち武者サーファーでいらっしゃったとは、カラパナもパブロクルーズもビックリでしょう!
素敵な物に出会いましたね。
実物は見た事がありませんが、テレビの特集で観た事がありますよ。
一針一針本当に丁寧に作られていて綺麗でしたねぇ。
穏やかな時間が流れているなと、感じていました。
そうなんです!
一針一針、作り手の温もりが伝わってくるようでした。
びん細工手まり 華やかだし可愛らしい。代々受け継がれているんですよね!
とっても細やかな作業だけど こういうお仕事に関わってみたいなぁ〜( ◠‿◠ )
あっそうそう わたくし夢は 56年前愛知川町から車で15分程の所にあった産婦人科で生まれたんですよ。
今は東近江市だけど 当時は 神崎郡能登川町。
もう何一つ残ってないのかも知れませんね。
あらまぁ、そんな歴史が!
確かに当時とは変わってしまっているんでしょうね。