「天職一芸~あの日のPoem 193」

今日の「天職人」は、名古屋市千種区の「串かつ屋夫婦」。(平成十八年六月六日毎日新聞掲載)

首のタオルで汗を拭き プハアとビールを一息に     へいお待たせと黄金色 頑固親父の串かつ屋      ソースの海に沈めたら アツアツのままかぶりつき   ビール一気に飲み干せば 今宵の憂い泡と消え

名古屋市千種区の串かつの多古八(たこはち)、二代目店主の加藤清司郎さんを訪ねた。

覚王山日泰寺へと続く参道。

毎月二十一日の弘法様の縁日は、今尚多くの人で賑わいを見せる。

「最初は店先で、持ち帰りように串かつ揚げとったんだて。親父が『小遣い銭拾いだ~』って言うで」。 清司郎さんは、ロイド眼鏡を外しながら笑った。

「串かつだけだったのに、知らんとる間にお客さんが『ご飯食べたい』とか、『大根おろしくれ』『野菜炒め作ってちょ』って。だからこの献立は、みんなお客さんが勝手に作ったの」。傍らで妻の孝子さんが壁の献立を指差した。

清司郎さんは昭和七(1932)年に誕生。

戦後新制中学を上がると、路面電車の架線工事に職を得た。

五年後の昭和二十七(1952)年に退職し、今度は旧スバル座の映画技師に。

「社長と仲よかったでな」。 戦後復興を朝鮮特需が後押しする中、本格的な邦画ブームが到来した。

連日の大入り満員。参道には人が溢れ出した。

誰もが明日を信じ、ささやかな未来を託し、今日を倹(つま)しく行き抜いた。

昭和三十五(1960)年、父が多古八を定年後の小遣い稼ぎにと開店。

「当時串かつ一本八円だったで、多古八だって」。

昭和四十二(1967)年、岐阜県羽島市出身の従姉妹を妻に迎え、一女を授かった。

その三年後、映画技師を辞し父に乞われ店を継ぐことに。

「まんだ映画全盛の頃だったで、俺りゃあ串かつ屋なんてやりたなかったわさ」。

持ち帰り専門のはずが、客の要望に応え、いつしか店内も拡張。

「どえらけねぇ満員で。そんでも儲かれへんでかんわさ。えりゃあばっかで」。清司郎さんは妻を見つめて笑った。

多古八名代の串かつは、赤身の腿肉だけを使用。

肉を串に刺し、うどん粉と卵を混ぜた衣を付け、パン粉を塗してラードでカラッと揚げる。

「揚げたての串かつに、どての味噌を絡めて食べるのが一番人気だわさ。カレーのソースもあるけど、それもお客さんの発案」と、孝子さん。

「あの『ピータマ』ってのは、ヤーサンって渾名(あだな)のお客さんの好物。ピーマンと卵の炒め物だけど、何だしゃんこいつがまたよう売れるでかんわさ」。

昭和四十(1965)年代から五十(1975)年代にかけ、多古八の絶頂期は続いた。

「弘法さんの縁日には、一日千五百~二千本くらい揚げとったて。だで縁日の一週間前から、家族皆総動員して仕込んで」。

しかし昭和が終わりを告げる頃から、参道を行き交う人波にも翳りが生じた。

「昔はお客さんも家族同然で、和やかだったでねぇ。三日も顔見んと、『久しぶりだねぇ』って。それに比べたら、今は何だか世の中全体が、ギスギスしてまった感じだわ」。孝子さんが夫を見やった。

店に通い詰める学生が、郷里に戻ると、帰りがけに両親から多古八のもう一人の両親へと、土産を持たされることもしばしば。

「実の娘は一人っきり。でも大学に通っとる間の四年間、我子のように育てた子らは数え切れんて」。夫婦は見詰め合って思い出し笑い。

「まあわしで終わりだわ。こんなえらい仕事」。

「でもお金に代えられん物を、お客さんからようけ貰ったもんね、お父さん」。

開けっ放しの店先。

参道を梅雨の湿った風が吹き抜けた。

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投稿者: okadaminoru

1957年名古屋市生まれ。名古屋在住。 岐阜県飛騨市観光プロモーション大使、しがない物書き、時代遅れのシンガーソングライター。趣味は、冷蔵庫の残り物で編み出す、究極のエコ「残り物クッキング」。 <著書> 「カカポのてがみ(毎日新聞社刊)」「百人の天職一芸(風媒社刊)」「東海の天職一芸(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸2(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸3(ゆいぽおと刊)」「長良川鉄道ゆるり旅(ゆいぽおと刊)」

「「天職一芸~あの日のPoem 193」」への13件のフィードバック

  1. お昼に、思わず「ピータマ」作ってしまいました。(^^)
    作り方は??でしたが、美味しかったです。メニューも拡大して見てしまいましたわ。いいなぁ〜っ。
    ご近所に、こういうお店があったらなぁ
    〜っ! 
    プッハァ〜ッ♩ですね。

    1. そうでしたか!
      ヤーサンの「ピータマ」やっちゃいましたかぁ!
      ついでにビールも!なぁ~んちゃって!

  2. こうした、昭和を思わせる「定食屋さん」
    無くなって来ましたねぇ!
    名古屋へ出向している時に、会社の近くに、ありました。
    ザ・昭和時代の定食屋さん
    夫婦で営んでました、毎日行っているので
    直ぐにお馴染みさんになって、
    無理言ってメニュー無い定食を
    嫌な顔しないで作ってくれました。
    儲けよりお客さんの笑顔が一番!
    って、女将さんがよく言ってました。
    串カツ!ヒロちゃんなら「無限」に食べるんやろぉ~~なぁ⤴

    1. 出た!
      またヒロちゃんイジリだぁ!
      でもヒロちゃんなら、二桁は食べちゃうんだろうなぁ!と、ぼくも思いました。

      1. 美味しい物は誰でも無限に食べたくなりますよ。プッハ~と開けながらね。

  3. 今晩は。
    ・串カツ屋夫婦のお話ですね。
    ・写真の串カツ定食美味しそうですね。 (ピーたま)ピーマンの炒め物美味しそうですね。 おかずに出ても良いですね。
    ・私は、串カツ好きです。
    串カツ屋さんもコロナの影響が、出たのでしょうね。
    今は、テイクアウトのみか席数を、減らしてやっているのかな?

  4. 串かつに味噌やソースをかけてパクリ!
    そして ビールをゴクリ!
    たまりませんね〜( ◠‿◠ )
    もちろん ピータマも(笑)
    串かつの衣のパン粉が細かいほど 美味しさが倍増する気がします。
    写真の料理には 海老フライも付いてる〜。なんて贅沢なんだ!
    気取らないあったかい献立がズラリ。
    こういうお店大好き( ◠‿◠ )

    1. そうでしょう!
      昭和人にとっては、まるで故郷のような「飯屋」ですもの。

  5. 「天職一芸〜あの日のpoem」
    「串かつや夫婦」
    朝から美味しそう〜なpoem!と見てしまいました。今日は29 日(肉の日)なので
    以前「残り物クッキング」で教えていただいたドレッシングではなくて焼肉のたれ(レモンの入った爽やか〜な味)を冷凍して置いたので 
    暑くなりそうな29の日に爽やか〜に 
    「いただきま〜す」

  6. お金に代えられん物を、お客さんからようけ貰った…。
    お店に通われる常連さんもまた、美味しい料理と真心を、沢山頂いているんでしょうねぇ。
    何事も思いやりが一番って、思いますけどねぇ。

    1. そうですよねぇ。
      相手を想う心は、思われた方の心でしか、受け取ることが出来ないものではないでしょうか?

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