「天職一芸~あの日のPoem 187」

今日の「天職人」は、名古屋市中区の「製本師」。(平成十八年四月二十五日毎日新聞掲載)

父が綴った日記から 喜怒哀楽が零れ出す        一つページをめくる度 家族模様がよみがえる       「還らぬ父を野辺送り 形見の皮のジャンパーで     父の日記を装丁す」 新たな日記筆はじめ

名古屋市中区の恒川製本所、二代目製本師の恒川雄三さんを訪ねた。

写真は参考

繁華街に埋もれる様な町屋。茶の間の奥の作業場には、製本前の学術論文が渦高く積み上げられ、大型の断裁機や箔押し機が周りを取り囲む。

「野依さんがノーベル賞をとった時の、あの論文の製本は、2日で仕上げたんだわ。ほらあ職人冥利だったわさ」。 雄三さんは、機械と材料の谷間に胡座(あぐら)をかいた。

写真は参考

「ここがわしの指定席だで」。何とも柔らかな笑顔は、そのまま人の良さを表す。

雄三さんは昭和十三(1938)年に、四人姉弟の長男として誕生。

小学一年の三月に空襲で焼け出され、母の在所の岐阜県各務原市へ。

「焼夷弾三発も喰らってまって。学生帽に戦闘帽、おまけに防空頭巾まで三つも被っとったのに、身体中火傷してまったて。意識失って気が付いたら、目と鼻と口だけあけて、包帯でぐるぐる巻きだわさ。ミイラみたいに」。

戦後名古屋へと舞い戻り、中学を出ると父の元で修業を始め、夜間高校へと通った。

「東京の岩波文庫で金文字押しの勉強したんだわ。たったの二週間だったけど」。

ほとんどが手作業の製本作業は、簡易に綴じられた論文の分解に始まる。

そして余分な箇所を取り除き、余白を糸でかがって背をボンド付け。

ボンドで厚みが増した背は、ハンマーで叩き均(なら)す。

「おんなじ高さにせんとさいが」。

一冊分の原稿を均し終えたら、それを包むようにきき紙と呼ぶ見返しを貼る。

天(あたま)と地(けした)、そして背の反対側の小口の三方を断裁し、背の丸みを出しながら膠(にかわ)とボンドで背固め。

表紙の芯となる段ボールの四隅を、ハサミで丸く切り落しクロスや鞣革(なめしがわ)をボンドとうどん粉糊で表紙貼り。

写真は参考

題字や背文字に合わせて凸版の活字を組み、二百度に熱した箔押し機で印字。

見返しと表紙を貼り付けて、背の両端に溝を焼き付け五分ほどプレス機へ。

「表紙の角に丸みをつけるのんは、誰(だあれ)もよう真似せんですわ」。

昭和三十八(1963)年、岐阜出身の絹代さんを妻に迎え、一男二女を授かった。

「両親と子供、おまけに住込みの職人の面倒見ながら、ジグザグミシンで綴じを手伝ってねぇ」。絹代さんが懐かしそうに微笑んだ。

「昔の職人の日当は、にこよん(二百四十円)で、製本一冊が三百二十~三百三十円。そんな頃は何とかなったけど、今はもう日当も出んて。世の中バブルとかって浮かれとっても、私ら一冊もんだでそんなもん儲かれへんて」。

雄三さんは己が言葉を笑い飛ばした。

「この国の和綴じは、湿気の多い風土に適して、大したもんだて。水にも滲(にじ)まんええ墨さえ使ってあれば、和本は水に浸かってもちゃんと修復が利くんだで」。

和本を箱型に包み込むような「帙(ちつ)」は、洋書の硬い表紙に当たる。

「たまあに、革装を頼まれる方がおるけど、『湿気(しけっ)てまって直ぐに黴(かび)るでやめときゃあ』って言ったるんだわ」。

この道四十年の職人は、何の気負いもなくやさしく笑った。

写真は参考

「本を読む人らは、読まん人より出世が早いんだて。ほんとに」。

数多(あまた)の研究者達が紡ぎ出した論文。

老製本師は今日も、人類の知産として黙々と綴じ上げる。

このブログのコメント欄には、皆様に開示しても良いコメントをドンドンご掲示いただき、またその他のメッセージにつきましては、minoruokadahitoristudio@gmail.comへメールをいただければ幸いです。

投稿者: okadaminoru

1957年名古屋市生まれ。名古屋在住。 岐阜県飛騨市観光プロモーション大使、しがない物書き、時代遅れのシンガーソングライター。趣味は、冷蔵庫の残り物で編み出す、究極のエコ「残り物クッキング」。 <著書> 「カカポのてがみ(毎日新聞社刊)」「百人の天職一芸(風媒社刊)」「東海の天職一芸(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸2(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸3(ゆいぽおと刊)」「長良川鉄道ゆるり旅(ゆいぽおと刊)」

「「天職一芸~あの日のPoem 187」」への9件のフィードバック

  1. おはようございます。
    ・製本師のお話ですね。
    ・製本は、自費出版の本も有名な出版社の本も製本するのですね。
    ・製本は、ひとつひとつ手作りなのですね。手間がかかりますね。
    ・製本師さんが、見える事知りませんでした。ブログで、勉強になりました。

  2. インクの臭いや紙同士が擦れ合う音が聞こえてきそう。
    ブログの『 余白を糸でかがって背をボンド付け』の部分を読みながら 昔 学校の図書室や古本屋や図書館で 本の背の部分とのどの部分が少し剥がれて その間で糸が伸びてる本を見かけた事を思い出しました。
    本の中に糸が入ってる(笑)
    地道な作業でしょうけど なくてはならないお仕事!
    好きだなぁ〜( ◠‿◠ )

    1. 仄かなインクと紙の匂いって、ぼくには淡い青春時代を象徴する匂いの一つに感じられます。
      もう余白のような人生を生きているぼくには、とても遠い日の香りのような気がします。

  3. やっぱり、紙の本は良いですね。
    目に優しいですし、匂いも好きです。
    電子書籍は、便利で嵩張らないけど、何とな〜く寂しいです。 
    家に大正7年の和綴じの本がありますが、本当に丈夫で手触りも良いです。
    内容は、あまり理解できませんが・・
    (*゚∀゚*) 大切な本です。

    1. そうそう、アナログな印刷物はブルーライトを発しませんし!
      ぼくは今でも本屋さんへ行くと、何故だかお腹が痛くなって、便意をもよおしすことがあります。
      何とかならないものかと思う程、条件反射してしまうんです(汗)

  4. 小学生の時、一年間の思い出の作文を、クラスみんなが書いて、文集を作ってもらいましたね。
    表紙は厚紙、立派な物じゃないけど、今も押し入れの中で眠っていますね。

    1. ありましたねぇ!
      母の遺品整理をしていたら、ぼくのそんなガリ版刷りの文集が保管されていてビックリしたものでした。

  5. まさこさんと同様に、小学校の文集を先生の指導でみんなで分担して制作したのを思い出しましたよ~!合わせて、辞書を引いて自分の好きな言葉を選んで筆で書いて額縁に入れたのも、、。木の枠を塗装して作りました。懐かしい思い出です。

okadaminoru へ返信する コメントをキャンセル

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です