今日の「天職人」は、岐阜県山岡町の「糸寒天職人」。(平成十八年二月七日毎日新聞掲載)
四方(よも)の山並み迫り来て 里に吹き込む空っ風 好いた女房と糸寒天 天筒(てんづつ)突けば日本晴れ 冬枯れ田んぼ葦(よしず)敷き 一面覆う糸寒天 春まだ遠き山岡は 雪も降らぬに干場(ほば)白む
岐阜県山岡町の山サ寒天、三代目・糸寒天職人の佐々木善朗さんを訪ねた。

冬枯れの水田に、ロジと呼ばれる木枠が整然と並ぶ、糸寒天を乾燥させる干場(ほば)。
山岡の盆地に、零下十℃を下回る空っ風が吹き抜け、絶品の寒天が身を絞る。
「寒天はえらいばっかで、儲からんでのう」。妻が入れた茶を一啜り。男は寒風に凍てた、赤ら顔を崩しながら笑った。
山岡町の糸寒天は、昭和十一(1936)年に祖父が三人の仲間と共に閑農期の副業として始めた。「爺さんたあは、この空冷(からび)えする気候風土が、寒天作りに最適やって知っとったんやろか」。
善朗さんは昭和三十二(1957)年、この家の二男として誕生。
名古屋の大学を出るとホテルに入社。夜景を見下ろす最上階のバーラウンジで、バーテンダーとしてシェーカーを振った。
「商売が好きやったでのう」。
しかしわずか一年後、父が腰を患い跡取問題が急浮上。「證券マンの兄は『俺は帰れんでお前継げ』って言うもんでのう」。
二十三歳の年に郷里へと戻った。その変わり身の潔さを訝(いぶか)ると、「これのせいかのう」と。善朗さんは照れ臭そうに、茶請けを運ぶ妻に顎を向けた。
大学四年の夏、善朗さんは地区のバレーボールで、里花(りか)さんを見初めた。
「小中と同じ学校やったけど、その頃は気にもしとれへんかったでのう」。何時の間にか大人びた里花さんに、心を奪われ昭和五十八(1983)年に結婚。三男に恵まれた。
「そりゃあもう、寒天作りには兵隊がいるもんでのう」。
が、親の思惑は丸外れ。
「それがどいつも役にたっとらん。そんだけ重労働なんやて」。
糸寒天の原料は、北緯三十六~三十七度線水域で、春から秋にかけ水揚げされる天草。

毎年二十~三十tを仕入れる。乾燥したままの天草から、塩分や貝殻を取り除くため、水槽に二昼夜浸して洗浄。
釜で半日煮上げ、濾袋(ろぶくろ)にくみ出して搾り出す。
それを凝固舟と呼ばれる箱に注ぎ入れ、丸一日かけて凝固させる。
次に固まったところを巨大な羊羹状に切り、ロジ台によしずを広げ心太(ところてん)を筒で突くように天筒で突き出す。

日も暮れ氷点下零℃を下回り始めると、よしずに広げた糸寒天の上から、氷を砕いて振りかけ、凍結と乾燥を二週間繰り返す。
気の遠くなる営みが繰り返され、完全に水分を蒸発させた天下一の糸寒天が、日本国中の製菓業者に引き取られる。
「天気がいい時で二週間だでのう。暮れの十二月は雪が多かったで、一ヶ月もかかったって」。
完膚無きまで水分を奪われた糸寒天は、ひとたび水に戻せば百倍の水分を蓄えるとか。
「寒天は優れもんだに。ご飯炊く時、糸寒天をパラパラっと入れたってみい。艶々でもっちりと炊き上がるって」。
忙しそうに立ち働く、愛妻の背中を見つめ目を細めた。
山岡の郷と空っ風。
青く高い空に鳶が輪を描く。
風が凪ぐ。
わずかに陽射しも強まった。
もう直ぐ春はやって来る。
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糸寒天はダイエットにお世話になってますよ。腹持ちが良くて便通がよくなりますよ。味噌汁、スープ等に細かく切ってそのまま入れて混ぜるだけコリコリした食感が楽しめます。冷めると汁全部が固まるので気をつけてね。
寒さの中で大事に作り出してくれた事に感謝、感謝です。
とてもあの天草から出来ているとは、なかなか想像を超える物がありますよねぇ。
おはようございます。
・糸寒天職人のお話ですね。糸寒天職人さんが、見える事知りませんでした。 ブログで、勉強になりました。
糸寒天は、職人さんの手作りなのですね。手間がかかりますね。
私は、スーパー等で 糸寒天を、見た事が有りません。
山岡と言えば、テレビで見て行ってみたいと思った『山岡おばあちゃん市』に2度ほど行った事が有ります。ランチを食べてお土産に糸寒天も。小里川(おりがわ)ダムも見学して、ダムカードをゲットして来ましたぁ。
さすがですねぇ。
興味を持ったら、即行動!
見習わねば!
今夏にハマった食べ物がところてんなのです。どうしてもあの酸っぱさが嫌いでしたが、ダイエット絡みで食べるとその酸っぱさが夏バテを防ぐし食べ過ぎ防止にもなってこの夏はよく食べてます。還暦になって『食』の好みも変わって体に良いものを受けつけるようになったようです。
お酢はとても体に良い物ですから、そうやって召し上がるといいですねぇ。
子供の頃
夏になると、赤、緑、黄、まるで信号機のような
毒〃しい色のしたニッキ味の寒天、よく食べたなぁ~⤴
今もスーパーにありますが、子供の頃、あまりにも食べ過ぎたので
懐かしいと思うだけで手が出ません!
寒天、ところてんはイイよねぇ⤴
ゼロカロリーだから!
ところてんもよく食べた、小学校の近くの「清水」って言うお店
夏は「かき氷、ところてん」冬は「焼きそば、お好み焼き」
悪ガキ共のたまり場でした。
大人になっても、お店に行けば誰か?居る!
そんなお店が有ると良いなぁ~⤴
そう言えば「ところてん」って
何で?箸一本で食べるの?
確かにトコロテンの箸一本説には、いろいろあるようですねぇ。
調べれば調べるほど、どれもへぇーっと驚かされるばかりです。
寒天って 美容と健康にもってこいの食材なんですよね。
寒天と言えば 小学校の運動会の時 いつも母が 前日の夜から赤白の角寒天を使ってゼリーを作ってました。運動会当日 お弁当箱の隣には紅白ゼリーが!
ほのかに甘いゼリー 懐かしい。
当時まだプリンなる物はなかなか食べれなかったけど この寒天ゼリーも不思議だなぁ〜と思いながら食べてた記憶があります。
昔のお母ちゃんは、なんでも手造りでしてたものねぇ。
ちょっと歪だったにしても、母親の愛情たっぷり注ぎ込まれたオヤツだったですねぇ。
ここは地元に近いのでよく通ります。中津川の友人宅へ行く途中に。冬はこれが一面に並んでいますね!
最近は雪が積もりません、、、。
温暖化の影響は、思いもしなかった土地土地の名産品まで、やがて召し上げてしまうことになるのかも知れませんねぇ。