「天職一芸~あの日のPoem 169」

今日の「天職人」は、名古屋市中区の「革長靴(かわちょうか)職人」。(平成十七年十二月十三日毎日新聞掲載)

枯葉舞い散る林抜け 愛馬を駆って丘を越え        長靴の先で右左 胴に伝えて風を切る           風に追い着き追い越され 鬣靡(たてがみなび)く夕映えに 星降るまでに帰ろうか 長靴の踵胴に入れ

名古屋市中区の堤乗馬靴店、三代目の革長靴職人、堤昭夫さんを訪ねた。

「何でもっと若い頃、馬に乗らなんだろう」。 昭夫さんがボソッと呟いた。

祖父が明治四十(1907)年に創業。「昔は陸軍将校の長靴と、乗馬専門だわ」。

昭夫さんは昭和二(1927)年に、この家の三男として誕生。

旧制中学を卒業すると、父の下で修業を始めた。 「もうあの頃は、長靴も少なかったでねぇ」。

日毎敗戦色が深まり、乗馬を愉しむような悠長な時代ではなくなっていた。

「それでも終戦後は、駐留軍の連中が、ライディング・ブーツを求めてやって来たでね」。

とは言え、敗戦国の民にとっては、誰もが食うだけで精一杯。乗馬に勤(いそし)しむ事など、よほどの者にしか許されぬ。「苦難の時代は、昭和の三十(1955)年頃まで続いたねぇ」。

戦後の復興期から高度成長期へ、僅かながら明るさが兆し始めた。

昭和三十五(1960)年、長野県から親類の紹介で、妻の佐知子さんを妻に迎え、三人の息子を授かった。「じゃあ、跡取りの心配は無用ですね」と問えば、「やるだか、やらんだかわからん」と。昭夫さんは、少し寂し気に顔を曇らせた。

堤家伝来の長靴は、左右の足のサイズを採寸し、一つ一つ仕上げるオーダーメイド。

まず注文主が広げた紙の上に裸足を乗せ、外周を鉛筆でなぞる。次に甲高、甲幅、足道、踵と踵の曲がり首の高さ。さらに立った状態で、脹脛(ふくらはぎ)の周囲と踵からの高さ、それに膝骨の下の周囲を、左右それぞれに採寸。

「みんな右左で違う。甲の高さがピッタリ合わんと、踵が浮いて馬に乗り難いんだわ」。

次に新聞紙で型紙を作り、実寸より細めに革を裁断し、筒の部分と甲革を縫製。

「木型を二本入れて、真ん中に楔(くさび)を打ち込んで、筒の部分の革を伸ばすんだわね」。

水で湿らせた革は、天日で乾燥。仕上げは、中底と甲革とウェルト(足の外周を巻く細い革)を縫い上げ、さらにウェルトと靴底を縫い合わす。このスタイルは、グッドイヤーウェルド式。

松脂(まつやに)を十分に吸った太い丈夫な糸を使い、強力な専用ミシンで機械縫いする手法だ。

丸二日が費やされ、百年の歴史に裏打ちされた革長靴は、黒く鈍い光を放つ。

写真は参考

「鐙(あぶみ)を踏む、親指の付け根で馬にサインを送るんだでね。足のサイズにピッタリしとると、馬への伝達も良くて乗り易い。ここ二~三年かなあ。やっと納得いく靴が仕上げられるようになったのは」。

革長靴職人は、全国でも六~七人。

「お~いっ」。昭夫さんが奥に声を掛けた。

奥からエプロン姿の老職人が現れ、靴墨をブラシで伸ばし始めた。「錦さんって言う、同い年の職人さん。もう一緒に底作りやって五十五年だわ」。昭夫さんが悪戯っぽく笑った。錦さんは、我関せずを決め込む。

竹馬の友は、半世紀以上に渡り、いつしか本物の馬の革長靴を作り続ける、職人仲間となった。

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投稿者: okadaminoru

1957年名古屋市生まれ。名古屋在住。 岐阜県飛騨市観光プロモーション大使、しがない物書き、時代遅れのシンガーソングライター。趣味は、冷蔵庫の残り物で編み出す、究極のエコ「残り物クッキング」。 <著書> 「カカポのてがみ(毎日新聞社刊)」「百人の天職一芸(風媒社刊)」「東海の天職一芸(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸2(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸3(ゆいぽおと刊)」「長良川鉄道ゆるり旅(ゆいぽおと刊)」

「「天職一芸~あの日のPoem 169」」への5件のフィードバック

  1. おはようございます。

    ・革長靴(かわちょうか)職人のお話ですね。私は、皮長靴専門の職人さんが見えた知りませんでした。

    ・皮長靴職人さんは6~7人見えるのですね。少ないですね。

    ・皮長靴は、職人さんの手作りなのですね。手間が、かかりますね。 お値段も高そうですね。

    ・私は、皮長靴は、買った事が有りません。皮長靴は、履いた事が有りません。

  2. みなさん、お久しぶりです。もう8月ですが、世間が7月より悪い状態になるなんて誰が想像したでしょう。誰が悪い訳でも無いですが、いい加減にして欲しいです、と愚痴はこれくらいで、とにかく今は自分とその周りを守りましょう⤴️

    このブログを読んで、朝ドラの関内音(せきうちおと)さんの実家が思い浮かびました。名古屋市内にもこんなお店があった?ある?んですねぇ。

    1. やっぱり革の長靴は、気品がありますよぉ。
      しかしそのためには、きちっと靴磨きしとかないといけませんけどねぇ。

  3. 革の長靴?!
    え〜っと思ったけど 革靴があるんだから 長靴もあるか〜( 笑)
    写真を見て「あ〜乗馬の時の…」って。
    革の感触が足首までじゃなく膝辺りまでなので この長靴を履くと背筋がピシッとなりそう。

    1. 長靴を履いて、精悍なサラブレッドに乗って見たかったものです!
      暴れん坊将軍のように!

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