「天職一芸~あの日のPoem 162」

今日の「天職人」は、三重県四日市市の「ロバのパン屋」。(平成十七年十月二十五日毎日新聞掲載)

横丁曲がりやって来る ロバのパン屋のおっちゃんが    母に縋って駄々捏(こ)ねて 十円握り駆け出した     ロバパンの歌口ずさみ どれにしよかと品定め       ジャムにチョコパン結局は 母の好物餡子(あんこ)入り

三重県四日市市で、今尚ロバのパン屋を営む松田俊彦さんを訪ねた。

写真は参考

♪ロバのおじさんチンカラリン♪チンカラリンロンやって来る♪

「昔は売れて売れてかなんだもんやて。一日に千五百個も売れよったんやで」。言葉の端に、三重と岐阜の訛りが混じる。 俊彦さんは、軽のワゴンの運転席から顔を出し、人懐こそうな笑顔を向けた。

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俊彦さんは昭和十九(1944)年、岐阜県で産声を上げた。

地元の中学を出ると名古屋の段ボール工場に就職。四年後、姉夫婦と共に四日市に移り住み、一念奮起でロバのパン屋を開業した。

「あの頃は各市に一つで、チェーンの本部から営業する場所を決められるんやて。それでわしらは四日市へ流れ着いたんやさ」。

ロバのパン屋でパート勤めをする姉から、製造技術を学んだ。「一年ほどあかなんだわ。作ってはパーにして、また作っての繰り返しやて」。

どうにかロバパンの特徴である、パックリと頭の表面が割れ、中身が見えそうな技術を取得。

翌昭和三十九(1964)年、日本中が五輪ムードに沸き返る中、軽のワゴンにロバパンを満載し各地を流し歩いた。

「へそくり奮発して軽自動車買うて。さあ、これから稼ぐぞ!って。でもそれが売れやんで、往生したもんやて」。

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記録によればロバパンの最盛期は、昭和三十五(1960)年頃から四年ほどがピークだったとか。俊彦さんの参入は、ほとんど峠を過ぎた頃であった。

しかし、今更後戻りは出来ぬ。「パン売りのロバさん」の音楽と共に、各地を巡った。その甲斐あって、やがて一個十円のパンが、飛ぶような売れ行きに。

「子供らが学校帰りに飛んで来るようんなってさ。中には『家まで乗っけてって』と。『アホ言え。オッチャン、スクールバスとちゃうで!』って。中には買ってもらえやんと、泣いて泣いて地団駄踏んどんのもおったほどやて」。

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昭和四十八(1973)年、兄の世話で同郷から房枝さんを妻に迎え、二人の子供を育て上げた。

今でも毎朝三時にはパンを焼き始め、明け方には積み込みを終える。

しかし六年前、脳梗塞に倒れた。だが「ロバパンのオッチャン」を待つ、子供らに支えられ復帰した。

「好きで始めた商売やでな」。

運転席で麻痺の残る左足を擦り、オッチャンは照れ臭げに笑った。

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投稿者: okadaminoru

1957年名古屋市生まれ。名古屋在住。 岐阜県飛騨市観光プロモーション大使、しがない物書き、時代遅れのシンガーソングライター。趣味は、冷蔵庫の残り物で編み出す、究極のエコ「残り物クッキング」。 <著書> 「カカポのてがみ(毎日新聞社刊)」「百人の天職一芸(風媒社刊)」「東海の天職一芸(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸2(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸3(ゆいぽおと刊)」「長良川鉄道ゆるり旅(ゆいぽおと刊)」

「「天職一芸~あの日のPoem 162」」への21件のフィードバック

  1. ロバパンは普通のパンとは違ってしっとりモチモチ美味しいよ。昔は本当のロバがひいてましたよ。
    「ロバのパンはキンコロり、キンコロ、キンコロ、キンコロリン〜(忘れた)アンパン、ジャムパン、いかがです。チョコトパンもありますよ。キンコロ、キンコロリ」こんなような歌詞やったと思う。何故かうたえます(わ)

    1. ぼくも子どもの頃、本物のロバが引くパン屋を追い駆けたものでした。

  2. おはようございます。
    ・ロバのパン屋のお話ですね。
    ・ロバのパン屋名前は、聞いた事有ります。
    ・私は、実際に食べた事が有りません。
    ・ロバのパンは、普通のパンと違うのかな?

  3. ロバのパン屋さんを初めて見たのは 多分社会人になってからです。
    再現された販売車ですよね。
    でも 流れてくる曲は 聞き覚えのあるような どこか懐かしさ漂う曲でした。
    これまた フラ〜っと引き寄せられ 買っちゃってました(笑)
    小さい頃 家で食パンしか食べたことがなかったから 給食でコッペパンを食べるのが楽しみで…。今時のコッペパンとは全然違ってましたけどね( ◠‿◠ )

  4. 実家の前に止まってくれた ☆ ロバのパン ☆ ♪♪♪
    私が幼少の頃は おじさんがロバを引いてやって来てくれましたよ (o^・^o) ガラスケースを覗き込んで「 今日はどれにしようかな~? 」と迷うほど沢山の種類がありました (^-^ゞ

    時折 自然現象を我慢出来なく 、、、
    おじさんが 新聞紙に包んで持ち帰っていましたが 大量でした 〰️〰️ ‼️‼️

    今も時々 新岐阜駅近くの公園前で見かけますが 可愛い軽トラです❕

    1. 時代はうつろえど、子供心を惹き付けてやまない、そんな魅力がありましたものねぇ。

  5. 「天職一芸〜あの日のpoem 162」
    「ロバのパン屋」さん
    「えっ〜!!」本物のロバが引いてたんですね。見てみたかったです。

    八百屋のおじさんが軽トラックで売りに来てくれていた緑のこしあんパンや白のこしあんパンや あんこのこしあんパンを思い出してしまいお口のなかは こしあんパン祭りになってます。

  6. 子どもの頃、あの音楽が聞こえてくるととりあえず飛び出していました。
    そうそう、ワラの入ったロバの落し物が丁度、家の前でドスドスッって・・驚きのあまり今でも、よ〜っく覚えてます!
    また10年程前、職場の近くで珍しくあの音楽が聞こえ、条件反射で外へ走り出てしまいました。結局、見つからず戻ると皆、真面目に仕事してました。
    (*゚▽゚*)

    1. 未消化の藁の入った置き土産ですねぇ!
      インドの取材で田舎の町へ行くと、学校に行けない貧しい家の子供たちが、両親の手伝いとして、牛の未消化のワラ入りの置き土産を拾い集めていたものです。
      そしてどうするのだろうと後をついてゆくと、家に持ち帰って泥団子のように丸めて、お好み焼きのように丸く広げて、土壁の家の壁に貼り付けていたものです。
      それを乾かして、「ゴハリ」と呼ぶ焚き付けとして売っていたのです。

      バザールでは、何十枚もピザのような「ゴハリ」が藁縄で束ねられ、積んであったものです。
      きっとロバの置き土産でも、ロバの「ゴハリ」が出来るんでしょうねぇ!

      1. オカダさん!奇跡です!
        今、テレビ見ながら寝っ転がっていたら、来ました!ロバのパン❗️
        やっぱり走り出て来たのは私だけでしたが。コーフンして6個も買っちゃいましたぁ!!
        売ってみえたのは、女性で、ウチと同じ校区の出身だそうです。
        昔のロバのパンの写真も見せていただきました。
        「また、絶対にいらしてね〜っ!」とお頼みしました。
        あ〜っ、ビックリした‼️

        「ゴハリ」初めて知りました。
        焚きつけですかー!この世に無駄なものは、あまりないのかもしれませんね。すごいです。

  7. ロバぱん!
    皆さんが言われる様に、懐かしい⤴
    遠くからロバぱんのテーマ曲が聞こえて来ると
    我慢しきれなくて、覗き込むようにして車道まで降りて行ったもんです。
    「チョコレートクリーム」が入った蒸しパン⤴
    ハナ垂れモもっちは中身の「チョコレートクリーム」を食べて
    パンの方は食べなかったんです。
    母親が、いつも「今日は全部食べな、もう買ったらへんよぉ!」が口癖でした。
    もう一度、ロバぱん食べたい・・⤴
    今なら、全部食べられるのに!!

    1. なぁ~んて、贅沢で我儘なおぼっちゃまだ事!
      お母さんの苦労が目に浮かびます!
      って、ちなみに家もそうですが・・・(汗)

  8. ぼくは、ナターシャセブンの歌う「パン売りのロバさん」{ロバのおじさんチンカラリン~の歌}で初めて知りました。どうやら多治見の町はずれにはロバのパン屋は来ていなかったようです。

  9. 私の幼い頃も、本物のロバがパンを運んでいましたよ。
    母がパンを買っている間、じっとロバを見ていました。
    だって目の前に大きな動物がいるんですもん、おっかなびっくりでしたね。

    1. そりゃあ子どもからしたら、ロバだって、ポニーだって、サラブレット並みの大きさですものねぇ!

  10. 僕が入学時は2つ学年が上だったのですが卒業時には1つ下の学年になった大学時代の大先輩がみえました。僕らはワンゲル部に所属していました。下宿を訪ねると犬を飼ってござって、またほとんど常に人がいたりで、賑やかでした。ただ本は難しい哲学系のシリーズがズラリと並んでいました。南原繁が好きな方でした。その先輩がアルバイトでロバのパンを売ってござったのにはビックリ。実験中の手を休め、キャンパスを出て買いに行ったものでした。いまは姫路市で農業を営んでおられます。

    1. とっても良い、学生時代の思い出ですねぇ。
      何だかふと「♪下駄を鳴らして奴が来る」って、我が良き友よのフレーズが浮かんでまいりましたぁ。

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