「天職一芸~あの日のPoem 161」

今日の「天職人」は、岐阜市神田町の「田楽職人」。(平成十七年十月十一日毎日新聞掲載)

季節を愛でる旬ならば 春夏秋冬それぞれに        味わい深い恵みあり 菜めし田楽里の秋          濡れ縁越に虫たちも わずかな秋を惜しみ鳴く       遠くに響く笛太鼓 豊年祝う村祭り

岐阜市神田町、木の芽でんがく処「むらせ」の三代目主人、村瀬善紀さんを訪ねた。

「家の田楽食べて、後十五年は生きるんやて」。 義紀さんはそう宣言した。

「祖母が明治三十五(1902)年に、岐阜公園の中の茶店で、田楽を焼き始めたんやて」。

善紀さんは昭和十(1935)年に、煎餅職人の父と、祖母と田楽屋を切り盛りする母との間に、長男として誕生。

地元高校から東京の大学へ。寮生活が始まった。母は息子の食生活を案じ、田楽味噌を送った。「寮で奴が出たから、味噌付けたんやて。そしたら皆が俺もって、あっと言う間に売り切れ」。

大学を出ると名古屋で就職。社会人チームで、サッカーボールを追いかけた。堅物で不器用なスポーツマン。そんな善紀さんに転機が訪れた。

毎日仕事で顔をあわせる、娘のことがどうにも脳裏から離れない。堅物男が勇気を出して放った、純な想いのシュートは、娘心のゴールネットを揺らした。

昭和三十七(1962)年、名古屋出身の英子さんを嫁に迎え、二男一女が誕生。

やがて昭和も五十(1975)年代へ。父が病を発病し、わずか一年で他界。焼き手を失った煎餅屋は、他所から仕入れ妻が子育ての傍ら店番を担当。

昭和五十二(1977)年、善紀さんは四十二歳で会社を辞し家業を継ぐことに。

「でも主人は、直ぐに調停員の仕事についてしまって」。

煎餅屋を建替え、田楽処の二店舗目を開き、結局英子さんが店を切り盛り。

「私はもっぱら、妻の田楽で一杯やりながら接客担当。それと代々続く、家の田楽の味の監視人やて」。

代々地元の豆腐を仕入れ、三分の一丁を六つに切って串を打ち、まずは素焼き。

八丁味噌に秘伝の味付けを施し、四時間かけて細火で煮込んだ味噌を塗り、再び竈(くど)で炙る。

「家の田楽がやっぱり一番旨い」。義紀さんは、各地の田楽を食べ歩いた。

「『味噌分けてもらえんか?』って言うお客さんも見えますが、『味噌だけ売るべからず』を信条に、お断りしとんやて。やっぱりこの土地の恵みは、ここで食べてもらわんと」。

「さあどうぞ」。英子さんが熱々の豆腐田楽を差し出した。

串から焦げた味噌の香が立ち込め、鼻をくすぐる。

口中に田の恵み、豆腐と味噌の、共に大豆の絶妙な魔法が広がる。

媚びるような甘さなどいらぬ。ただ辛口の、冷酒一献あればいい。

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投稿者: okadaminoru

1957年名古屋市生まれ。名古屋在住。 岐阜県飛騨市観光プロモーション大使、しがない物書き、時代遅れのシンガーソングライター。趣味は、冷蔵庫の残り物で編み出す、究極のエコ「残り物クッキング」。 <著書> 「カカポのてがみ(毎日新聞社刊)」「百人の天職一芸(風媒社刊)」「東海の天職一芸(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸2(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸3(ゆいぽおと刊)」「長良川鉄道ゆるり旅(ゆいぽおと刊)」

「「天職一芸~あの日のPoem 161」」への13件のフィードバック

  1. おはようございます。
    田楽職人のお話ですね。
    写真の田楽美味しそうですね。 豆腐の田楽かな?
    田楽定食美味しそうですね。
    食べて見たいですね。
    私は、田楽は、好きです。むらせさんに、入った事が、有りません。

  2. お懐かしや〜っ。職場のすぐ近くでしたので、昼食時に田楽定食や、おばんざい定食をいただいていました。
    奥様はとても品の良い美しい方です。
    5月の連休には、ずっと公園のお店に行っておられ、田楽を焼きすぎて腱鞘炎になってしまったと以前、言っておられました。
    素朴でとても美味しくて、また行ってみたいです。味噌のおこげが格別ですね。

  3. 田楽!
    と言えば、梅林公園の「植東」
    子供の頃、梅まつりで毎年、来てました。
    田楽定食「ツボ(タニシ)、サトイモ、豆腐、菜飯」
    美味しい⤴これぇ!
    以前、夜の某番組で話しましたが
    「植東」の娘さんに告って!
    けんもほろろにバッサリと田楽、食らわず
    肘鉄を食らったもんでした。
    上手い事言うなぁ~⤴
    座布団貰えるなぁ・・きっと!

    1. あっね座布団は無理!
      誰でも手当たり次第に!
      何と言う、惚れやすさに振られやすさだこと!
      それって、戦国時代からのたしなみですか???

  4. 初めて田楽豆腐を食べたのは鶴舞公園ですが、美味しいものだと思いました。それから栄の地下街で何度か食べて豆腐と赤味噌、山椒の相性がいい一品ですね。

  5. 社会人になって 同僚と岡崎城に行った時 初めて田楽を味わいました。
    岡崎公園内にある 創業120年の八千代本店。
    地元の八丁味噌を使った木の芽田楽。
    焼けたお味噌と木の芽の香り そして ほんの少しだけ歯触りがあってからの中のふんわり感。
    物凄く感動したのを覚えてます。
    あれは 真似出来ないんですよね。

    1. 恐らく嫌いな方はいないんじゃないでしょうか?
      日本人にとってのソウルフードそのものですものねぇ。

  6. 岐阜公園の中の田楽は 神田町のむらせさんだったんですね ~
    知らなかった 〰️ (。>д<)
    御浪町や若宮町に行く時に神田町店の前のメニュー「菜めし田楽 」は目にしていました ☆
    幼少の頃は 父と一緒に岐阜公園「菊展 」に行き 食べた覚えがあります (^-^ゞ
    炭火で焼く 香ばしいにおいがしてきそう ‼️‼️‼️

    菊人形の前で 撮ってもらった写真
    今はセピアカラー (#^.^#)

    1. とても素敵なセピア色の、お父様とのひと時。
      菜飯田楽の香りがしそうで、牧歌的でいいものですって!

  7. なつかしい記事をありがとうございます。私が小学生か中学生のころ、ウチに来客があると母が木の芽田楽を作ってもてなしていました。豆腐と里芋の田楽です。黒い長い七輪に炭をおこし竹串に具材をさして焼いてました。あの頃の焼き味噌の香ばしさ、いまでも覚えております。当時、里芋は好きではありませんでしたが歳をとったいまなら、お豆腐と共に是非いただきたいと思います。調べれば、「むらせ」というお店は現存しているそうですね。一度行ってみます。と同時に、木の芽田楽を自作してみたいと思い立ち、アマゾンで長い七輪の価格をチェックしました。秋には自家栽培の里芋も取れる予定です。オジイの楽しみが一つ増えました。ありがとうございました。オカダさん。

    1. いいですねぇ、そいつぁー!
      ご自身で自家栽培された里芋の田楽で一杯なんて、羨ましすぎるハーヴェスト祭ですねぇ!

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