今日の「天職人」は、愛知県幸田町の「厩舎人(うまやのとねり)」。(平成十七年九月十三日毎日新聞掲載)
緑の大地馬を駆り 君と二人で夕陽追う 小高い丘も茜色 海から寄せる夕映えに 空にくの字の渡り鳥 馬を駆りたて追いかけた 帰り支度の往く夏に 惜しむ二人の想い乗せ
愛知県幸田町のアオイ乗馬クラブ、花井静男さんを訪ねた。

「飼葉に麦と、麬(ふすま)に塩。それと間食に青草。これが馬の餌だけど、こいつら結構美食家なんだて」。厩舎の飼葉桶がカランと鳴った。 静男さんは、柵から顔を出す馬の、長い鼻を撫でながら笑った。

「こうやって毎日厩(うまや)に入っとるで、もう餌の時間かと勘違いしとるだぁ」。
静男さんは昭和二十(1945)年、豊田市の農家で姉二人の下に長男として誕生。
地元の中学で農林高校の受験を目指した。ところが中学三年の年に、実家の農地に自動車部品製造会社の進出が決定。慌てて農林高校の志望を、工業高校へと切り替えた。
「皆がサラリーマンになってくのに、いつまでも農家やっとってもなあ」。 無事、岡崎工業高校の機械化へと進学。ところが翌年、父が交通事故でこの世を去った。
卒業と同時に実家の土地に進出した自動車部品製造会社に入社。疲弊した戦後の傷跡も徐々に癒え、東京五輪、東海道新幹線の開通と、高度経済成長時代が幕を開けた。
昭和四十三(1968)年、洋裁学校に通う姉の紹介で、同県一色町からはな江さんを妻に迎え、男女三人の子を授かった。
それから二年後。遠縁が現在地に、乗馬クラブを開業。
「当時は冒険心が旺盛で、会社勤めじゃなしに、何か人と違うことをやりたかっただ」。 静男さんは会社を退社し、乗馬クラブに出資。馬の世話から乗馬クラブの運営を、一から学んだ。
「最初は触るのも怖かったって。馬の習性を知らんだで、ハエを追おうとした後足で、蹴っとばされたこともあっただあ」。 ようやく馬の世話にも、慣れ始めた頃のことだった。遠縁の経営者が、乗馬クラブを担保に、高利の借金をしていたことが判明。返済の代わりにクラブを差し出すか、それとも?
余儀なく選択が迫られた。
「こいつらどうなってしまうんだろう?」。静男さんの心労など窺い知る由もない馬たちは、真っ黒な澱みの無い眼差しを向けた。

若干二十七歳の静男さんは、借金返済のために自らが借金を組み直し、マイナスからの再出発を決めた。
それから早、三十三年。現在は、サラブレッドとアングロ・アラブ種の十一頭を擁する。
「七~八歳(人間では二十五~二十六歳)で競走馬を引退し、家へやって来て第ニの人生が始まるだあ」。二十年近くの余生を、静男さん夫婦と共に過ごす。
「家みたいな所に来る馬は、幸せもんだあ」。競走馬時代に、故障した馬の末路は短いとか。
厩での静男さんの一日は、毎朝六時半の餌やりに始まり、夜八時半の餌やりで終わる。餌は、飼葉・麦・麬に塩。途中で間食として、新鮮な青葉が与えられる。

「あんたら見たことあるか?馬が糞を舐める姿」。馬が自ら、不足する塩分を補うためだとか。
「前にお客さんが、栄養付けたろうって、ニンニクのみじん切りを混ぜたったらしい。でも食べ終わったら、ニンニクだけ全部残してあったんだわ。小石やビニールとか、針金なんて絶対口にせん。自分の食べていい物と、食べちゃいかん物をよう知っとるだで」。
ここで二十年近くを過ごした馬たちは、人間になおせば八十~九十歳とか。
だが体重は、四百五十~五百Kgという巨漢だ。
「年老いて腰が弱くなると、馬はもう終い。でも家族の一員だで、息引き取るまで看取ってやりたいけど、自分で起きれんとクレーンで持ち上げるしかないだで。第ニの人生を見切るのが、一番難しいわ。情が移るでなあ」。

静男さん夫婦が世話した馬は、二百頭にも及ぶ。
「最近よう思うんだけど、馬が明日からおらんようになったら、一日何して過ごそうって」。
現代の厩舎人(うまやのとねり)は、居並ぶ十一頭の大きな子供たちを、慈しむように眺め回した。
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おはようございます。
・厩戸人(うまやのとねり)のお話ですね。
・(写真)馬 可愛いですね。
・「馬が糞を舐める姿」。馬が自ら、不足する塩分を補うためだとか。私は、知りませんでした。
・私は、乗馬倶楽部(乗馬体験)に、行った事が有りません。
馬と言えば若い頃、良縁に恵まれますようにと、絵馬にお願いをしたものでしたね~。
夕方、高山の紙絵馬のニュースを観ましたが、いつも思いますが、いい馬の絵ですよね~。
紙絵馬の馬の絵は、生き生きと描かれてますものねぇ!
馬の眼差しって なんとも言えない魅力があって 全てを見透かされてる気がするんですよね。
人間以外の生きるもの全てがそうだと思います。
ニュージーランドで乗馬を体験した時 少し練習してすぐに山道へ…
ずっと緊張してたけど 馬のほうがドンと構えてたので 雄大な景色を楽しむ事が出来ました。そして癒し効果も( ◠‿◠ )
我が息子達のような人を対象とした ホースセラピーもあるぐらい 言葉なき言葉を感じてくれる馬って 私達大人も勉強になります。
意外と人間は、言語を持たないままの方が、妬みや嫉み、そして何より言葉があるから通じているだろうと勝手に思って、誤解を招いたりすることも無く、ただただ感性の赴くままに、優しく接し和える物かも知れませんよねぇ。