「天職一芸~あの日のPoem 150」

今日の「天職人」は、三重県桑名市の「茶道具指物師」。(平成十七年七月十九日毎日新聞掲載)

ぶんぶく茶釜煮え立って チンチン湯気を吹き飛ばす    ドロンと狸飛び出せば 蛙(かわず)も跳ねる縁側で    茶人気取りでカシャコショと 茶筅鳴らせば鳥も鳴く    夏の盛りの通り雨 忙しきことよ獅子脅(ししおど)し

三重県桑名市のこんどう工房、茶道具指物師の近藤千力(ゆきちか)さんを訪ねた。

写真は参考

「これ見てみいな。なとして組んであるか、あんたら解るか?」。麻痺の残る身体を重たげにもたげ、老職人は立ち上がった。隣の部屋から岡持ちほどの大きさをした、茶道具を持ち運ぶための屋久杉製茶箱が、座卓の上へと置かれた。

千力さんが指差した茶箱の四隅には、蟻組(ありぐ)み細工の技法が取り入れられている。

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普通の指物であれば、片方が雄ならば、それを受ける側は雌の受け口となる。

しかしこの蟻組みの技法は、組み合わせる両方の板共に、両端に雄雌両方の凹凸が交互に細工され、一度組み上げたら最後、二度と外れぬほどの強靭さが得られる。

「斜交(はすか)いに切り込んで、それを組み込んであるやろ。どやったら出来るか、あんたらには解らんやろなあ。それくらい、難しい組み方やで、誰も真似できやんわさ。わしも親方に教えてもうては、永い間かけてそれを改良して来たんやで。教えて欲しい言われても、まあ絶対教えやんわさ」。

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千力さんは昭和四(1929)年、桑名で八百屋を営む家の二男として誕生。尋常高等小学校を卒業した昭和十九(1944)年、三菱航空機に入社し、養成工として戦闘機の部品作りに励んだ。

「終戦後は、一番上の姉婿が建具屋の親方しとったもんやで、下働きの弟子にしてもうて。建設会社の下請けで、松阪の現場へ六年行っとった」。

義兄の親方の下、炊事洗濯の下働きに始まり、すり上げ障子等の建具作りを身に付けた。

建具職人としてのイロハが、朧げに分かりかけてきた二十三歳の年、転機が訪れた。

「親方と喧嘩してもうて、親父の在所があった員弁郡藤原村(現いなべ市藤原町)で、独立して建具屋始めたんやさ」。

順風満帆、薔薇色の人生が訪れるはずであった。しかし。

「一年に一軒、たんまに家が建ちゃあいい方なんやさ。後はそこらへんの、おかしな仕事しかあらへんのやで」。二年後ついに見切りをつけ、桑名市内へと移転。

二十七歳の年に、親方の姪を嫁に迎え、三人の子を授かった。「好きも嫌いもあるかさ。親方が決めてもうて」。時は昭和三十一(1956)年。一部の大都市を除き、未だ職人の世界には、封建的な徒弟制度が色濃く残っていたそうだ。

住宅需要が引っ切り無しの、高度経済成長期と歩調を合わせ、近藤さんは建具作りに追われ家族の成長を支えた。しかし昭和も四十(1965)年代を下る頃になると、サッシが登場し急激な勢いで建具の職が薙(な)ぎ払らわれて行った。

「そんな頃やった。茶道のお師匠はんが『こさえてまえんか』って、訪(たん)ねてこられて」。世は終戦の太平から約三十年、文化教室華盛りを迎えつつあった。

茶筒、菓子器、茶箪笥、棗(なつめ)から、冒頭の蟻組みの茶箱まで。中でも蟻組みには、指物師の力量が惜しみなく発揮される。

まずは、材となる屋久杉・桐・杉への丁寧な鉋掛け。次に、頭の中の設計図を頼りに、指物の真骨頂たる蟻組み細工の凹凸を斜交いに施す。

斜交いの凹凸を、平らに繫ぎ合せるだけでも至難の技だ。

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しかし近藤さんの蟻組み細工は、底板・側板・天板が、いずれも直角にぴたりと寸分の狂いもなく組み合わさる。仕上げは、慳貪(けんどん)と呼ばれる蓋だ。

取っ手を持って蓋を上げ、下側を斜め手前に引いて外す。茶道の優雅な和装の所作には、何とも似合いすぎる。

「六十年もようやったわ。飽きやんと」。

蟻組み細工を施す指物師は、全国広しと言えど近藤さんの他に数多くはいない。

跡取りはと問うた。「こんな仕事、もう誰(だ~れ)もせやん。でも近いうちに、腕のええ職人に教えといたろと思(おも)て」。

宮大工の蟻組み(写真は参考)

茶人が描く、侘び寂びの境地。

匠は、人知れずこっそりと、己が技のすべてを注ぎ、茶箱の四隅に組み込んだ。

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投稿者: okadaminoru

1957年名古屋市生まれ。名古屋在住。 岐阜県飛騨市観光プロモーション大使、しがない物書き、時代遅れのシンガーソングライター。趣味は、冷蔵庫の残り物で編み出す、究極のエコ「残り物クッキング」。 <著書> 「カカポのてがみ(毎日新聞社刊)」「百人の天職一芸(風媒社刊)」「東海の天職一芸(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸2(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸3(ゆいぽおと刊)」「長良川鉄道ゆるり旅(ゆいぽおと刊)」

「「天職一芸~あの日のPoem 150」」への7件のフィードバック

  1. おはようございます。
    ・茶道具指物師のお話ですね。
    茶道具を、入れる箱ですね。
    ・蟻組み 釘を、使わないで 木をつなげる方法綺麗ですね。
    ・私は、蟻組みではないのですが、釘を、使わずに木をつなげる方法を、TVで見た事有ります。

  2. 母が嫁入り道具として持って来たものなのか、それとも元々あった物なのかは分かりませんが、古そうな岡持ち型の茶道具入れがありました。茶道具が一式揃っていて、子供の頃にそれでお抹茶を立ててもらったことがあります。にがぁ〰い、けど美味し〰ぃ(^o^)

  3. 昔の人は、凄いですねぇ!
    「クギ」なんて無かった時代
    誰が?どう?考えたのか!
    想像もつかない・・
    それにしても新型コロナウイルスが終息いつになるやら?
    これまた!想像がつかない!
    想像がつくのは・・
    私の髪の毛の行く末だけぇ!
    あ~ぁ~⤵

  4. 「なとして組んであるか、あんたら解るか?」
    この時の職人さんの ちょっと笑みを浮かべ 内心自信に満ち溢れてたであろう表情が目に浮かびます( ◠‿◠ )
    この方が造る製品は 触れて滑らか 動きも滑らか…
    茶道の如く 静寂な空間の中で凛として佇んでいるんでしょうね。

    1. そうですよ!
      出しゃばり過ぎずにひっそりと!
      それでいてそこに無くてはならない!
      そんないぶし銀細工のような人生も、素敵すぎますかねぇ!

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