「天職一芸~あの日のPoem 149」

今日の「天職人」は、岐阜市川原町の「鮎炭火焼き職人」。(平成十七年七月十二日毎日新聞掲載)

ほろ酔い歩く城下町 浴衣姿で涼み行く          夜店を巡り品定め 盥(たらい)のラムネ君が手に     鼻をくすぐる香ばしさ 道行く人も立ち止まる       炭焼き鮎にかぶりつき ぼくはビールで喉鳴らす

岐阜市の川原町泉屋、五代目泉善七さんを訪ねた。

「蓼(たで)喰う虫も好き好き」ならば、焼きたての鮎を蓼酢(たでず)に浸けるのも然りかな。「いや、家ではそれは邪道。蓼酢で臭みを消すような鮎は、使ってませんから」。 善七さんは、焼き場の備長炭に火を熾(おこ)しながら、きっぱりそうつぶやいた。

善七さんは昭和四十一(1966)年、創業明治二十(1887)年の老舗に誕生。長女の誕生から十年を経て、やっと授かった跡取り息子だった。

当時の泉屋は、長良川の恵みである鮎やハエを加工した、高級進物品から佃煮までの加工販売が中心。

「子供の頃から、父に連れられて一流の料亭や割烹、それに高級なステーキを食べさせてもらってました」。食通の父の影響は、味覚に対する感性を磨き上げた。

しかし高校二年の時に、先代が他界。翌年、高校三年在学中に本名の栄一から、五代目善七を襲名した。

「本当は、これでも外交官になって、世界中を巡るのが夢だったんです。だから『ああっ、これで俺の人生が決ってしまった』って感じで」。大学進学を前に、儚い夢は泡沫(うたかた)となって長良川を下った。

東京の大学を出ると、店に戻り古参の職人に混じって製造を学んだ。「よく職人と喧嘩しました」。一徹な職人達は、やがては主人と仰ぐ器かどうか、若干二十二歳で鼻っ柱も強い善七さんを、心の奥底で試していたのだろう。

それから二年後、高校時代の同級生を妻に迎え、二人の娘を授かった。「両親にとって、自分が遅い子でしたから、早く子供が欲しくって」。京都の大学に通う妻と、東海道五十三次分の遠距離恋愛が成就した。

バブル経済の崩壊は、少なからずとも泉屋にも影響を及ぼした。それまでは百貨店でも飛ぶように売れていた、ご進物用の高級ギフトもさっぱり低迷。

「ギフトの行き詰まりを感じてました。でも、鮎を食べること自体はなくならないだろうと」。 今から十年ほど前のこと。市内の繁華街にある本店の店先で、夏場だけじっくりと炭火で四十分かけて焼き上げた鮎の塩焼きを販売した。

丸ごと一匹の天然鮎は、どこにも包丁を入れず、ただ天日塩だけを程よく振り、そのまま炭火にかけられる。

熾りに落ちた鮎の脂が、灰と共に舞い上がり再び鮎の柔肌を覆い尽くす。

何とも言われぬ馨しい薫りが、鮎の身の中へと封じ込められてゆく。

並々ならぬ善七さんのこだわりが、ついに報われた。

三年前のある日、関西の食通雑誌記者がふらりと訪れ、鮎の炭火焼の虜に。以来、全国各地からその評判を聞きつけ、本物の鮎を賞味しようと食通達が訪れた。

今年六月。長良川の辺に残る、古い町並みの一角に、念願の新たな店を開業。「この辺りは昔、筏流しの拠点で、筏の下に群れるハエを『いかだばえ』と呼んでおったんです。それが創業以来の看板商品『いかだばゑ』の甘露煮です」。鮎にも負けぬ味わい、いかだばゑの商品は、泉屋五代が今日まで護り抜いた。

その発祥地とも言うべき場所に立ち返り、五代目善七は、今日もパチパチと炭火を熾し、天下一に違わぬ天然鮎を焼き上げる。

「河口堰が出来てから、この辺の苔が悪くなって、鮎も臭い。だから家は、郡上辺りの上流で上がる天然ものを取り寄せてます」。

長良の清流に生きた鮎だけが、神の与えた天然無垢の「スッピンの旨さ」を宿す。

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投稿者: okadaminoru

1957年名古屋市生まれ。名古屋在住。 岐阜県飛騨市観光プロモーション大使、しがない物書き、時代遅れのシンガーソングライター。趣味は、冷蔵庫の残り物で編み出す、究極のエコ「残り物クッキング」。 <著書> 「カカポのてがみ(毎日新聞社刊)」「百人の天職一芸(風媒社刊)」「東海の天職一芸(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸2(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸3(ゆいぽおと刊)」「長良川鉄道ゆるり旅(ゆいぽおと刊)」

「「天職一芸~あの日のPoem 149」」への11件のフィードバック

  1. 鮎、ハエ、アマゴ川魚大好きです。鮎は夏になるとお父ちゃんが釣ってきたのが晩御飯のおかずになりましたよ。七輪の中に炭をおこしてこんがり焼きがついたのはホクホク美味しいですよ。
    我が家だけのルール
    「魚は骨も皮も全部たべよう」
    お陰さまで自身の骨も丈夫になりましたよ。
    大人になってからは回りを見て我が家ルールはしてませんが自分一人の時は我が家ルール守ってます(笑)

  2. おはようございます。
    ・鮎炭火焼き職人のお話ですね。
    ・仕入れる鮎にもこだわりが、有るのですね。
    ・鮎美味しそうですね。
    ・色々な鮎の商品が、有りますね。
    ・私は、鮎料理を、食べた事が有りません。

  3. このお店や皆さんは 大雨の被害がなかったんだろうか?大丈夫なんだろうか?と思いながら ブログを読んでいます。
    姿が変わってしまった長良川。
    そこに住む生き物達は?
    職人さん達が 神の与えた天然無垢のスッピンの旨さを宿す鮎にまた必ず出会えますように。

    1. 鵜匠さんや地元の方に聞くと、男性の腕くらいの大きさの、サバのような立派な鮎が昔は沢山いたようですよ!
      今は川が変わってしまい、鮎の餌にも影響があるそうです(泣)

  4. 岐阜県生まれの彼女と結婚して、岐阜に住んでいる長男。お嫁さんのご両親に鮎料理をご馳走になった事があります。鮎三昧です。やはり、岐阜の方は鮎料理を良く食べられるのでしょうかʕ•ٹ•ʔ

    1. 鮎づくしとは、なんとも贅沢なことです!
      鮎には目がないって方もいらっしゃれば、鮎はもう食べ飽きたなぁ~んて、とっても贅沢な方もおいでになりますものねぇ。
      でも岐阜の鮎は、格別なようですよ!
      ほかの地方の鮎は、あまり食べたことがないので・・・(汗)

  5. お久し振り~~ぃねぇ♬
    最近!天気が悪いせいか?
    左膝が痛くて⤵
    歳やなぁ~と思う今日この頃です。
    鮎と言えば!「郡上鮎」
    まだ、私の奥さんの実家「郡上白鳥」にあった頃
    お盆に帰省すると、大皿にてんこ盛りの鮎が
    正しく!鮎のピラミッドやぁ~~!
    それが、少し離れた親戚の家に行っても同じで!
    鮎のピラミッドやぁ~~⤴
    地元の方たちは、てんこ盛りの鮎が当たり前だそうです。
    羨ましぃ!

  6. 先日 友達の行き付けのお店から連絡があり 馬瀬川の鮎を食べて来た所です (#^.^#)
    お腹の部分が ちょっと黄緑色っぼいのが馬瀬川の天然鮎なんですよね~ ☆

    泉屋さんの鮎は 私も横浜への手土産に使います。 鮎の甘露煮も上品ですが 一夜干しも 梅煮も美味しいですよっ! (^_^)v
    河原町は 「 ぎふのギフト」が勢揃いですからのんびり夕涼み ★
    今年は 花火大会はないので、浴衣を着て下駄をカラカラ鳴らし 団扇をパタパタ 鵜飼をみながらデートなんて してみた 〰️〰️〰️ い

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