今日の「天職人」は、愛知県蒲郡市の「鼻緒職人」。(平成十七年五月二十四日毎日新聞掲載)
浴衣の君の手を引いて カランコロンと下駄鳴らす 鎮守の杜に燈が灯りゃ 祭囃子も夏を呼ぶ 綿飴を手に駆け出して 目当ての夜店(みせ)で屈み込む 針金細工紙のタモ 金魚掬(すく)いの君が夏
愛知県蒲郡市のこばやしはきもの店、三代目の鼻緒職人・小林和徳さんを訪ねた。

橋の袂。鼻緒の切れた下駄を片手に、困惑顔の町娘。
「お嬢さん、あっしの肩につかまりなさい」。若い手代が娘の前に屈み込み、手拭を引き裂き鼻緒を挿げ替える。時代劇によくある出逢いの場面だ。
「両親が亡くなって、女房が店の面倒を見るようになった時、『下駄の挿げ方なんて、俺らあ知らん』って、惚(とぼ)けとったじゃんね。まだサラリーマンやっとっただで」と和徳さん。傍らで妻がくすりと笑った。
明治四十二(1909)年創業のこの店に、和徳さんは三人兄弟の長男として昭和十六(1941)年に誕生。地元の高校を上がり東京の大学を出て、コンピューターのシステムコンサルティングの職に就いた。
とは言え、昭和四十(1965)年のこと。
まだ前年に初の国産高速コンピューターが、開発されたばかりの時代である。
昭和四十一(1966)年に名古屋へ転勤となり、それから四年後に豊橋市出身の清子さんを妻に迎えた。 一男二女を授かり、昭和五十五(1980)年に実家へと戻り、先代親子と共に同居へ。

「親父が亡くなってから、母が女房に仕入れと、下駄の挿げ方を教えただよ」。しかしやがてその母も他界。和則さんが定年を迎え、店を継ぐ決心を固めるまでの間、妻は細腕一つで暖簾を護り抜いた。
「来る時が来たら、そん時は店閉めればいいかなって思うとっただあ」。平成十四(2002)年、晴れて定年退職。店をどうすべきか、思案に暮れている頃だった。
「がまごおり商店ご自慢コンクール」への出品話が持ち上がり、昔取った杵柄を、腕試しとばかりに振り上げた。
地元の三河木綿を鼻緒に誂(あつら)え、それを挿げた下駄を出品。見事、受賞と相成り、眠っていたはずの鼻緒職人としての遺伝子が目を覚ました。そうなると、後はもう止まらない。これまでの空白の時間を取り戻すかのように、和徳さんは子供の頃の記憶を手繰り寄せ、鼻緒作りに励んだ。「幸い道具は、残っとったじゃんね」。

鼻緒作りの工程は、多岐に渡る。まず、客が持ち込んだ思い出深い生地を表面に、甲に当る裏側には本絹三越織りの生地に裏打ちし、表を内側に重ねて裁断。
両脇をミシン縫いし、巨大な耳掻きに似た、先端の曲がった自転車のスポークでひっかけ裏返す。 次に海苔巻の要領で、海苔の代わりのハトロン紙に、シャリのように綿を広げ、干瓢(かんぴょう)の様にボール紙の芯と、縄芯と呼ぶ麻と化繊の紐を載せ巻き上げる。
そして、細長く筒状に縫い上げた鼻緒の中へ、巨大な耳掻きを差し込み、真ん中で二つ折りに。
「この前壺をかがる二つ折りが、鼻緒の命じゃんね」。 鼻緒に前壺をかがり、アイロンで熱を加え押さえ込む。前壺とは、足の親指と人差し指の付け根に当る鼻緒の先端部で、鼻緒と同じ要領で細工される。
男物三十八㎝、女物三十六㎝の鼻緒の仕上げは、両端を糸で〆込む。
「子供の頃は盆暮れになると、何百足って鼻緒の挿げ込みを手伝っただあ」。和徳さんはそうつぶやきながら、鼻緒の端に目打ちで穴を開け、縄芯の端を通して絞り込む。 それを今度は、下駄の三つの穴に通し、鼻緒が挿げられる。
前壺の裏側には、兎や花の裏金を打ち付けて縄芯の結び目を隠す。踵側の二つの縄芯は、両方を一つに結んで巻き上げる。

「鼻緒を挿げる時は、その人の歩き方の癖を聞いて、足の形を見ながら甲高に合わせて挿げるだて」。とても、四十年に及んだ会社勤めの隔たりなど、先ず持って感じさせぬ堂の入り様。
「所詮、下駄も鼻緒も日用品だで、どんなに高価な物でも、何時かは磨り減らして捨てるだあ。だもんで、美術品や工芸品になったら終いだて」。
鼻緒職人は、傍らの妻を見つめ、まるで自分を諭す様につぶやいた。
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日本でつくる下駄は足の大きさに合わせて鼻緒を直す事ができるので夏の時節毎に替えるのが楽しみでしたね。今年は浴衣に袖をとおす事もないですね。(コロナで中止が多いですから)
そうそう。
やっぱり夏は、浴衣姿でプッハァと楽しみたかったなぁ!
おはようございます。
・鼻緒職人のお話ですね。
・鼻緒職人さんが見えたのですね。知りませんでした。ブログを、見て勉強になりました。
・下駄の鼻緒は、職人さんの手作りなのですね。
・私は、下駄を、履いた事が有りません。
鼻緒を、交換して貰った事が、有りません。
・鼻緒は、色々なデザインが有りますね。
日曜日に郡上八幡に所用で行ってきました。町を歩いていたら下駄屋さんがあり、そういえば日和下駄が欲しかったんだと思い出し、色々と見せていただきました。好みの鼻緒を挿げてもらえるとの事で一気にテンションが上がりましたが、下駄は最近、履いた事がなく結局、練習用にと歯の裏にラバーの貼ってあるお値打ち品の男下駄を買ってきました。
帰宅して下駄を履き外に出てみたら歩く度に良い音がして、ちょいと新鮮な気持ちになりました。
お店の方が「今年は、踊りがなくて淋しいんやけど、店だけは開けなと思って・・。」と仰っていました。
確かに今年は、コロナの影響で、八幡の町から下駄の音が消えてしまうんですねぇ。
でも地元の方は、こっそり踊っているかも!
下駄や草履って、鼻緒擦れが怖くて二の足を踏んじゃうんですよ。自分に合わせて作って貰ったら大丈夫なのかな?って、なかなか履く機会は無いですが。
オカダさんは、花火大会の時に浴衣でしたが、鼻緒擦れはしなかったですか?
ぼくは意外と鼻緒で擦れたことはないですよ!
頑丈なのかなぁ!
今から50年前 結婚した時、冬場はウ-ルの着物を着て下駄をはいまていましたね、古いでしょ。
雨や雪の日は、下駄の先にカバーを付けてはいていましたよ、懐かしい話しです。
夏は 浴衣に下駄で盆踊り大会でやぐらの上で踊った事思いだします。
ありましたねぇ。
下駄のレインコート!
下駄かぁ~!
子供の頃、夏になると、何故か?
買って貰って、夏休み中履いてました。
朝のラジオ体操へ行くのも下駄、
柳ケ瀬「丸物」何処へ行くのも下駄を履いていました。
今じゃ~⤴夏になるとペタペタ音をさせて「ビーサン」履いてます。
私の夏の風物詩でしょうか!
昨年は「ホテル郡上八幡」で加藤さんにお世話になって
「七夕♬カラオケ♪ランチ会」を開催
今年もと、思っていましたが・・・
ヒロちゃんの浴衣姿が見れないと思うと、夜も眠れない⤵
寂しい~~ぃ!
そうでしょ、そうでしょう!
ヒロちゃんの浴衣姿!
誰やぁ、名古屋場所だなんて!
落ち武者殿!そりゃあないですよ!
私の浴衣姿はあの人に見せたかったのよ(笑)
ちなみに名古屋場所は中止で東京場所(無観客)になります。
やっぱりヒロちゃんは、一途だなぁ!
今は鼻緒の種類も色々、渋い物からカラフルな物まで…。
浴衣の時だけでなく、カジュアルな洋服に合わせて下駄を履くのも、お洒落かなと思いますね。
洋装でちょっとカラフルな鼻緒の下駄なんて、イケてますねぇ!
幼少の頃 母から 「 あー!鼻緒が切れそうやで、下駄やさん行ってきて~❗」 と 言われ 近所の 履物店にお使いに行ってました (#^.^#)
おじさんが 「 直ぐやるで待っとって」と 言って ちっちゃい台の上で トントン トントン リズム良く鼻緒をすえて行くのを 私はずーっと見ているのが好きでした (^-^ゞ
でも 下駄を履いていると、鼻緒で指が擦れて痛くなるので 履く前にバンドエイドで保護していました〰️〰️
(/≧◇≦\)
もう何年も 浴衣着てないな~ ‼️‼️
やっぱり浴衣姿っていいものですよね。
それと下駄の音も!
浴衣姿で下駄を履いたのは いつが最後だったかなぁ〜。
下駄を履いたままダッシュが出来ない事を体験してから 二度と履かなくなりました(笑)
年に一回ぐらいは 浴衣姿でおしとやかにしてたかったんだけどなぁ〜( ◠‿◠ )
歩幅も小さく ちょっとだけ内股に歩いたりして…
涼しげで色っぽい女性 憧れちゃいます。
今年はコロナの影響で、めっきり浴衣姿の方を見かけませんねぇ。
熱田祭で今頃は、浴衣姿の娘御たちで賑わうんですけどねぇ。