「天職一芸~あの日のPoem 137」

今日の「天職人」は、岐阜県大垣市の「鮒味噌職人」。(平成十七年四月十九日毎日新聞掲載)

すいすい川面滑るよに アメンボたちも愉しそう      小川の辺(ほとり)爛漫と 儚き花も競い合う       川面に揺れる浮眺め 父と二人の鮒釣は          釣果(ちょうか)の神に見放され 魚篭(びく)に山盛りどて土筆

岐阜県大垣市、うなぎの川貞(かわてい)商店東前店の三代目、鮒味噌(ふなみそ)職人の古川定唈(さだお)さんを訪ねた。

「何でもそうやて。手数をかけたったら、その分だけええ味が出るんやで」。定唈さんは、初代伊之助の言葉をつぶやいた。

揖斐長良の大河が、河口へと向かい、一つに寄り添うように蛇行する。水郷地帯を南に擁(よう)する大垣では、古くから川魚の恩恵に貴重な蛋白源がもたらされた。

夏は鰻、冬は鮒やもろこはえに、川海老と鯰。それゆえ、臭みのある川魚に、独特の調理法が編み出された。

「この辺は、湿地帯やったで、あちこちに池があったんやて。だで昔は、田植えや稲刈りも、舟に乗ってやっとったんだわ」。

定唈さんは昭和十八(1943)年、本店のある大垣市郭町(くるわまち)で三人兄弟の長男として誕生。大学から親許を離れた。

「子供の頃から、焼きばっかり手伝わされとったで、土用丑の時は、一人で焼いとったほどやて」。

鰻の修業は普通、脇方三年、割き三年、串打ち四年に焼き一生とか。

定唈さんの修業は、跡取りゆえに即戦力が求められ、一生もんの焼から始まった。「大学時代は、夏休みが終わるまで、鰻焼かされとったんやて。だで、指の付け根で焼けた金串挟むもんやで、水脹れになって、夏の終わりにはタコができるほどやった」。懐かしそうに掌を見つめた。

先祖が高須松平家の武士であり、腹開きは切腹に通じると、この地では珍しい背開きを今も続ける。

中でも、最も技術が要求されるのは、串打ち。一本なりの鰻に四~五本の串が、皮と身の間を縫うように打たれる。焼き上げるまでの身の縮み具合と、焼かれて反り返る身の歪みを想定しながら。

「まあこれ、冷めたったけど、一口食べてみたって」。そう促されて一口味見。冷めたとは言え、もっちりふっくらとして、鰻の油がじゅわっと口中に広がった。

定唈さんは大学卒業後二年間、瑞浪のゴルフ場でレストランの厨房に勤務。昭和四十三(1968)年に本店へと戻って、再び修業を開始。その二年後、瑞浪時代に知りあった能登半島出身のミホさんを妻に迎えた。「鰻が大好きやで、たぶん俺と結婚したんやて」。不思議にも、他の川魚は未だ苦手だとか。二人は子宝に恵まれ、現在長男が四代目として厨房を預かる。

「ここらでは、お正月のおせちに欠かせないのが、鮒の味噌煮ともろこの甘露煮やて」。十月、鮒の解禁を待ち、味噌煮造りが開始される。

「鮒は泥臭いで、井戸水の生簀(いけす)に放して、一週間かけて臭みを抜くんやて」。次に鱗を落とし腸(はらわた)を取り出す。そして二升釜に経木(きょうぎ)を敷いては、鮒を乗せ、一度に約五十匹、七輪に藁灰(わらばい)を入れ、ことことと丸二日間水炊きを続ける。

「姿を壊さんように、骨まで柔らかくせんと」。 そこに今度は、八丁味噌と味醂に、最高級の砂糖を加え、再び一時間、味が染み込むまで炊き上げれば、水郷地帯ならではの郷土料理「鮒味噌姿造り」の完成だ。

眼の前に供された鮒味噌の姿造り。箸をそっと添えて見た。まるで箸の自重だけで、いともた易く身が解れる。口の中に、在りし日の母のような、やさしい甘さが広がった。臭みは何処にも感じられない。八丁味噌に染まった、あっさりとした鮒の柔らかな身と味わい。

水の都に相応しい逸品。 惜しみなく注がれた職人の手数が、素材の旨味を見事に引き出し、複雑に絡み合い、美味なる和音を奏で上げる。

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投稿者: okadaminoru

1957年名古屋市生まれ。名古屋在住。 岐阜県飛騨市観光プロモーション大使、しがない物書き、時代遅れのシンガーソングライター。趣味は、冷蔵庫の残り物で編み出す、究極のエコ「残り物クッキング」。 <著書> 「カカポのてがみ(毎日新聞社刊)」「百人の天職一芸(風媒社刊)」「東海の天職一芸(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸2(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸3(ゆいぽおと刊)」「長良川鉄道ゆるり旅(ゆいぽおと刊)」

「「天職一芸~あの日のPoem 137」」への11件のフィードバック

  1. おはようございます。
    ・鮒味噌職人のお話ですね。
    ・鮒味噌姿作りは、郷土料理なのですね。知りませんでした。ブログで、勉強になりました。
    鮒味噌は、おせちの時に、かかせないのですね
    ・鮒味噌作りは、手間がかかるのですね。
    ・私は、鮒味噌を、食べた事が有りません。

  2. 好き嫌いが多かった子供の頃、祖父と父は鮒味噌を食べてましたが、私は食べた事は無いかも。でも、鰻は昔も今も大好きですよ。あの、タレが焦げた匂い、たまらん⤴️

    1. ぼくは関東風の鰻も、この辺のパリッパリの鰻も、鰻なら何でもござれです!
      ああ!それにしても白焼きは、やっぱり関東風がお気に入りです。
      山葵醤油をちょいとつけて、冷酒でクイッと!

  3. 10万の給付金で先日ウナギ食べにいきました
    実母とうなちゃん連れて
    川貞ウナギはやはり旨かった

  4. 少年の頃
    初心者の釣り師?には鮒で釣りデビュー!
    食べると言う感覚は・・
    だから「鮒味噌」食べた事がありません。
    八丁味噌で味付けしてあるのなら絶対!美味い!
    65歳になっても、まだまだ食べた事ない食べ物がいっぱいあります!
    話変わって
    皆さん、三密でオカミノファミリーの皆さんで食事会出来ませんが
    個々に特別定額給付金で美味しい物でも食べに行きましょう⤴
    私は給付金で、何年か?振りに「うなぎ」食べに行くぞぉ~!
    イェィ~~⤴

  5. 鮒味噌は、おばあちゃんの好物でした。
    昔は近所の八百屋さんやスーパーで売ってましたし、美味しそうに食べてましたよ。
    今週末は祖母の命日、たまには思い出してあげないとね~。

    1. 昔は父が釣って来た鮒を、コトコトコトコト母が火鉢で煮込んで、自家製の鮒味噌を作ってくれたものでした。
      無性にちょっと食べたくなる時が、今でもありますよ。

  6. ☆ うなぎちゃ~ ん ☆
    大・大・大好き~ ((o(^∇^)o))
    両親も姉も 息子夫婦 も可愛い怪獣君達も 大好物です (#^.^#)
    有難い事に 我が家のお墓があるお寺は直ぐ近くに鰻屋さんがあるので 幼少の頃から お墓参りをして鰻を食べて帰っていたので 未だにそうなっています (^-^ゞ

    私達が行き付けの鰻屋さんも4代目
    何年か前に 5代目が他の所に出店されましたが 我が家は4代目の 焼き具合やタレが 好みです (^_^)v

    先代から ちゃんと受け継いで行かれたんだと思いますが 忠実に再現するって 大変な事なんでしょうね ‼️‼️

    1. やっぱり何代にも渡って守り受け継がれてきた、秘伝のたれってぇのが、何と言っても決め手ですよねぇ。
      ぼくは次に、鰻丼のご飯の程よい硬さが重要です。
      ネットリやベッタリした柔らかめのご飯の鰻屋さんには、二度と足を運びませんねぇ。
      ああ!加納宿の二文字屋で腹一杯鰻が食べた~い!

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