「天職一芸~あの日のPoem 115」

今日の「天職人」は、愛知県蒲郡市の「ロープ職人」。(平成十六年十一月六日毎日新聞掲載)

大漁旗を追うカモメ 漁港に上る鬨(とき)の声      父が手を振り寄せる船 子らは駆け出す艫綱(ともづな)目掛け                          ロープ一本それだけで 電車ごっこに大小波(おおこなみ)  八の字引きと綱登(つなのぼ)り 漁が終わればロープも遊具

愛知県蒲郡市のロープ職人・石田敏雄さんを訪ねた。

写真は参考

「形原の町は、ロープ作り日本一らぁ」。敏雄さんは、凛とした姿勢で迎えた。

ロープ産業の興りは、小島喜八が明治七(1874)年に撚糸機械を開発。高品質な麻糸撚(よ)りの成功にさかのぼる。

石田さんは尋常高等小学校を出て、運送会社に勤務。とは言え、当時は自転車の人力運送が主力だった。「だもんで、自転車はうまいもんらぁ」。

二十歳で中国南京へ出征。しかし肺結核で送還され、戦渦を免れた。

病も癒えた昭和十九(1944)年、製綱工場を営む石田家の次女と結ばれ婿入り。軍需ロープの生産に追われた。

麻に柔軟剤をかけ、麻梳機(あさすきき)で梳き返し、スライバーと呼ぶ細い麻糸を撚る。それを何本か撚糸機に送り込み撚糸に。

次にロープの種類に応じて、指定本数の撚糸を製綱機にかけ、撚糸を撚り合わせストランドに。再び指定本数のストランドをクロッサーにかけ、撚り合わせてロープとなる。

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少しロープ作りが身に付き始めた時、大地が大きく揺らいだ。「三ヶ根山が真っ赤に光って、工場はペチャンコらぁ」。昭和二十(1945)年一月十三日、マグニチュード六.八の三河地震が直撃した。東南海地震から、わずか三七日後のこと。死者二千三百六名、住宅全壊七千二百二十一戸の大惨事となった。だが敏雄さんは幸い、一命を取り留めた。

終戦の翌年には、めでたく長女が誕生。復興に向け工場を再興し、ロープ作りに明け暮れた。一日に直径十㎜のロープであれば、一丸(まる)二百mを一人で十五丸、三千m分を撚り上げ、昭和の高度経済成長期を駆け抜けた。

しかし幸不幸は、背中あわせ。四十八歳の年に、二十五年連れ添った妻が還らぬ人に。

その後周りの計らいで、数々の見合い話が持ち込まれるものの、なかなか首を縦に振らなかった。 「私がちょうど十人目やったんやて」。翌年、岐阜県八幡町から後妻に入った芳枝さんが、夫の傍らで照れ臭そうに笑った。

「一緒になって三十三年、朝起きると毎日主人の髪を解くの。この人、未だに少年の心が六割も残ってて、小さなことにもすごく感動して」。 現役引退後も、町の子供たちにロープの結び方を教える老ロープ職人。夫婦仲の良さなら、町一番の鴛ぶりとか。

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いつまでも、解(ほど)けちゃならぬ老松結び。

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投稿者: okadaminoru

1957年名古屋市生まれ。名古屋在住。 岐阜県飛騨市観光プロモーション大使、しがない物書き、時代遅れのシンガーソングライター。趣味は、冷蔵庫の残り物で編み出す、究極のエコ「残り物クッキング」。 <著書> 「カカポのてがみ(毎日新聞社刊)」「百人の天職一芸(風媒社刊)」「東海の天職一芸(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸2(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸3(ゆいぽおと刊)」「長良川鉄道ゆるり旅(ゆいぽおと刊)」

「「天職一芸~あの日のPoem 115」」への11件のフィードバック

  1. おはようございます。
    ロープ職人のお話ですね。私は、ロープ職人が、見える事知りませんでした。
    ・ロープは、色々な種類(工事現場等で見る黄色と黒のロープ,漁師さんが使うロープ)が、有りますね。荷造り用ロープも有りますね。
    漁師さんが、使うロープも作っているのですね。
    ・ロープを、作る機械が、あるのですね。すごいですね。
    ブログを、見て勉強に、なりました。

  2. この、縄作りの工場見学へ一度行きたいですねぇ!
    写真を見る限り、凄い!
    一見の価値があると思う!
    何でも、工場見学体験はイイねぇ⤴
    自分が経験出来ない色んな事が勉強出来るもんねぇ!
    差し詰め、見学に行くのなら
    愛知県清須市にある「キリンビール工場」
    ビールが試飲出来るし⤴
    プッハァ~好きな「オカミノファミリー」にはピッタリ!
    でも、呑み助のオカダさんには飲み放題じゃないから
    はがゆいですねぇ!

    1. 工場見学って、子どもの頃の社会見学みたいで、面白そうですよねぇ。
      キリンビールの工場見学は、学んで楽しく飲んでも一つ楽しくって、そりゃあもう幸せ幸せですって!
      でも一緒に行くお連れは、やっぱり落ち武者殿のような下戸の方が理想的かも!
      だってどうせ飲めないんだから、その分け前にあずかってプッハァなんて最高最高!

  3. 「天職一芸〜あの日のpoem 115」
    「ロープ職人」
    素敵なpoemですね。
    子供の頃に鉄棒に熱中しすぎて
    「一番星見つけたら帰ってこなあかんよ」「うん」
    「外灯がついたら帰ってこなあかんよ」「うん」と
    とうとう家の裏の庭に鉄棒を作ってもらい 鉄棒に飽きてくるとロープを見つけブランコにして遊び もう少しブランコらしくならないかなぁと板を見つけてロープの上に乗せて遊んでいました。
    子供の結ぶ結び方では解けやすかったけれども 楽しかったです。また、ついこないだの事のように、遠い昔を思い出しています。ありがとうござます。

    簡単には解けない結び方もあるのですね

  4. 私達が普段、お世話になっているものにも色々な歴史がありますね。
    結び方も覚えておくと、思わぬところで役に立つ時もありますね。「結び」の絵本が確か押入れにあったっけ、と思い出しました。
    ロープ職人さん、お人柄の良さが文面からも伺えました。ほのぼの〜っ。

    1. 紐の結び方って、昔ながらのものなど、その都合都合でうまく考えられているものです。
      先人の智慧には、返す返す脱帽です。

  5. ロープって結び方もいろいろあるし 使い方も…。
    命を守る為に使われる事さえも。
    そう考えると凄いですね。
    昔 子供達が小学生の頃 ツリークライミングを体験させた事があります。
    ロープを使って木登りをして 森や自然を楽しむんですが 子供達はジョン・ギャスライトさん達指導のもと 楽しそうに上へ上へ。でも 地上で上を見上げてる私は 生きた心地がしなかったです(笑)

    1. あっ、それって、常高寺のジョンさんのツリーハウスですか?
      でも大人はハラハラドキドキでも、子どもたちはジャックと豆の木のジャックになったようで、楽しかったことでしょうねぇ!

  6. なにを隠そう
    わたしは
    トラックロープの編み職人といわれてます
    この世代でトラックロープの補修、先端の結びができる人はいないらしい
    まあ、9ミリと12ミリしかあえませんが

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