今日の「天職人」は、三重県伊勢市の「伊勢玩具刳物師(くりものし)」。(平成十六年九月十八日毎日新聞掲載)
子供の世界 スターはいつも 独楽(こま)にヨーヨー 匠な手技 どんなやんちゃな 奴だって 一目置いた ひ弱なぼくに みんながぼくの 技知りたいと やんちゃな奴も 弟子入り志願 独楽の違いが 技となる 父の刳物 独楽の出来栄え
三重県伊勢市の、二代目伊勢玩具刳物師の畑井和生さんを訪ねた。

「進駐軍のやつらは、五本の指にヨーヨー付けて、両手で一遍に回すんやさ。あれじゃあ、戦争にも負けたはずや」。和生さんが両手で真似て見せた。
和生さんは、尋常高等小学校を上ると、軍事徴用で戦闘機のプロペラを製造。戦後は伊勢に戻り、先代に付いて轆轤(ろくろ)を回した。

戦後も落ち着きを取り戻すと、中断されていた「伊勢おおまつり」が再興され、平和博覧会も開幕。 「あの頃は、進駐軍にヨーヨーがよう売れたんやさ。進駐軍の奴らは、両手で十個のヨーヨーを、器用に回すもんやで、それ見て日本人も『なにくそ』ってなもんで、真似るもんやで、飛ぶようにようけ売れよったんやさ」。
この地の刳物業者五軒が、先を競うように足踏み轆轤を回し続けた。
伊勢の神域、神路(かみじ)山から、百日紅やチシャノキ、椿を切り出し、天日に晒し二年間据え置く。「半生のまま作ると、後で黴が来るんやさ」。刳物師たちの先祖は、神路山を神宮林として拠出。その見返りとして、立ち木の払下げが今尚許されている。
戦後間も無く、和生さんは「バット型連発ポンポン鉄砲」なる、コルクの鉄砲を考案し意匠登録を申請。「これが当時の野球小僧にバカ売れや。本当はポンポン銃にしたかったんやさ。せやけど進駐軍から、えらいお叱りもうて(もらって)なぁ」。
最盛期の昭和二十七~二十八(1952~1953)年頃は、ヨーヨー・ケン玉・達磨落しが輸出品として持て囃された。轆轤五台の稼動に、弟子十八人。昼夜を問わず作業に追われた。

昭和二十九(1954)年、同郷の妻を迎え、一男二女が誕生。満ち足りた明日の訪れを、疑うことなどなかった。
しかし昭和四十六(1971)年、ドル・ショックが日本中を直撃。「ドルの値が下がって、儲けあれへんし。あほらしてなぁ」。そこで今度は、修学旅行客向けに販路を求めた。しかし濁流のような時代の流れに抗うことなど出来ず、やがてその客足も絶えた。
「所詮子供騙しみたいなもんや。せやけど独楽もなあ、軸との釣合が取れとれば、ちゃんと行儀よういつまでも回っとるんやさ。今しは玩具の多さを、豊かさと勘違いしとるんやで」。
六十年片時も休むことなく、回り続けた轆轤。まるで刳物師の人生を刻む時計のように。
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おはようございます。
・伊勢玩具刳物師(くりものし)のお話ですね。
・伊勢玩具刳物師(くりものし)職人さんが見えた事知りませんでした。
ブログを、見て勉強になりました。
・昔の玩具って良いですね。
・けん玉は、動画で、やっていますね。
けん玉は、色々な技が有りますね。
私は、けん玉が、苦手です。
・私は、子供の頃 コマ回し,だるま落としを、した記憶が有りません。
・私は、お土産屋さんで、木の玩具を、見た事有ります。
『 刳物』言葉と意味インプット完了!
だるま落とし・けん玉・こま・ヨーヨー
小学生の頃 よく遊んでました。
小学5年の時 山の学習で1泊した夜 部屋でだるま落としで遊び 盛り上がったのを思い出しました( ◠‿◠ )
けん玉やヨーヨーもかなり練習しました。
大人になってからも 旅行先のお土産物屋さんで見掛けると ス〜っと寄って行って買った事も。なんだか良いんですよね。子供達にもチャレンジさせたり…。
今でも時々 息子が楽しめる物はないか?とおもちゃ屋さんを覗く時があって当たり前なんだけど 全部箱に入っててプラスチック製で…。
「ワァ〜何これ〜」っていう感情になる時もあるんですよ。
豊かさとはなんぞや?
量だけでは 心の豊かさには繋がらない。
ん〜 やっぱり心の豊かさイコール人かな⁈
そうそう人肌の温もりが感じられる、人の手によって仕上げられたモノたちに、心まで癒されるのがいいものです。
ケン玉は、ぼちぼち出来ましたが、ヨーヨーは、上手く引き上げれませんでしたね。
超アナログ人間としては、素朴な遊びが和みますね。
ぼくもなにかと鈍くさい方で、ケン玉もヨーヨーも全くもってへたっびでした。
ゆいいつ得意だったのは、カッチン玉のメッカチでしたぁ!
玩具屋さんや駄菓子屋さんにも ありましたが、最近は 道の駅や 海外の人が集まる 観光地でよく見かけるようになりました。
男子はかっちん玉 女子はおはじきの 時代でしたね ((o(^∇^)o))
だるま落としは 大人達も ワイワイしながら、楽しく遊べそうですね
|^▽^)ノ
木の玩具って、やっぱり子どもたちには慣れ親しんで欲しいものです。
積み木なんてよくやったもんだなぁ。
ケン玉は今も私持っていますよ。「何故って?」以前テレビでケン玉はボケ防止になると聴いて買ったんですが、全然出来ません、大皿には何とか乗りますが、それ以上は無理ですね、ボケ防止にはなりませんが、玉が手に当たると痛いので刺激になって良いかもね。(笑う)
なるほどなるほど。
でも上手な方は、実に見事ですものねぇ。
コマまわしは得意でしたよ。縄の巻き方が難しくてね、緩ければ回らないし、キツすぎるとズレテまきなおしを繰り返し、丁度良いと時間も長く回ってましたよ。
さすがヒロちゃん!
自慢じゃないですが、ぼくは・・・。
コマ回し、これも苦手でしたねぇ。
写真に載っているような玩具で、遊んだ事がありません!
けん玉とかヨーヨー(プラスチック)触った事があるくらいで
もつぱら「ぱんこ(メンコ)」梅林校下では、こんな呼び方をしていました。
後は、鉄コマでしょうか!
子供の頃は、誰が呼ぶともなく町内の片隅で「ぱんこ」をやっていました。
一応ルールは「ぱんこ」が裏返ったら負け
上級生のおにいさんは、
アルミの缶一杯にみんなと勝負して勝った「ぱんこ」を持っていました。
見た事のないような「ぱんこ」を持っていて、
下級生からは憧れの「ぱんこマン」でした。
あ~ぁ~!
あたしも誰かに憧れられたいもんですぅ!
地域地域で、遊びの名前は異なるものですねぇ!