「天職一芸~あの日のPoem 104」

今日の「天職人」は、愛知県一宮市の「鞄職人」。

小さな背中ピカピカと 大きく揺れるランドセル      君が成長する姿 見守り続け役終える           幾つもついた傷跡は 六年分の泣き笑い          君が大きくなるに連れ 小さく揺れるランドセル

愛知県一宮市のキトー鞄製作所、二代目鞄職人の鬼頭直人さんを訪ねた。

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半世紀を捧げ、二十万人の新一年生に、手縫いのランドセルを作り続けた男。それが直人さんだ。

キトー鞄製作所は、初代が大阪で鞄職人として開業。直人さんも大阪で産声を上げた。しかし空襲が激しさを増し、小学二年の年に、親類を頼り愛知県祖父江町に疎開。

中学を上ると、直ぐに、父の元で朝六時から深夜まで作業に追われた。「大学行きたかったんだけど、『職人に大学なんていらん!』って、ど突かれながら毎日修業だて」。

ランドセル作りは、革の裁断に始まり、革の裏側を鉋掛(かんなが)けし厚さを調整。折り曲げる箇所は、「縁(へり)すき」と呼ぶ作業で折りしろを作る。そしてゴム糊で接着し、専用ミシンで縫製。金具を付け、蓋や肩紐を手で縫い取り付ける。製造工程は百手以上。朝から夜まで、熟練工でも一日一個がやっと。

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「昭和三十(1955)年代は、まだ高級品だったで、ランドセル買っても机は後だったでなあ」。 昭和三十七(1962)年、妻俊子さんと所帯を持ち、一男二女を授かった。

「家中ランドセルだらけやで、うっかり長男のを作るの忘れとって。『ぼくのはどれ?』って言われて、確か慌てて傷物(きずもん)持たせたよね」。傍らで妻が懐かしそうにつぶやいた。

しかしその後は、大量生産の合成皮革(ひかく)に押され、受注は激減。ついに二年前工場を閉め、自宅で妻と二人の家内工業に切り替えた。(平成十六年八月七日時点)

するとある日、京都から一本の電話が。

余命一ヶ月と宣告された、娘を持つ母親からだった。入学式に行けるはずも無い我が娘に、ピンクのランドセルを、例えそれがベッドの上であっても、せめて一度だけでも手に持たせてやりたい…。 そんな母の願いが直人さんを突き動かした。

何もかも打っ遣(うっちゃ)って、ピンク色のとにかく軽いランドセル作りに没頭した。「ランドセルを抱く娘の姿と、その姿を間近に見つめるしかない母の気持ちを想うと…。そん時、大学なんか行かんで良かったって思ったって。鞄職人だったで、その母子の最後の望みを、叶えてやることが出来たんだで」。老鞄職人は目頭を潤ませた。

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一人に一つのランドセル。形はどれも同じでも、六年かけて詰め込む想いは人それぞれ。

ハレの日、入学式の記念写真。どの子も校門でランドセルを重そうに背負う。でもどこかちょっぴり誇らしげだ。

ランドセルを背負うことが、幼児から子供への階段を上る、まるで大切な儀式であるかのように。

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投稿者: okadaminoru

1957年名古屋市生まれ。名古屋在住。 岐阜県飛騨市観光プロモーション大使、しがない物書き、時代遅れのシンガーソングライター。趣味は、冷蔵庫の残り物で編み出す、究極のエコ「残り物クッキング」。 <著書> 「カカポのてがみ(毎日新聞社刊)」「百人の天職一芸(風媒社刊)」「東海の天職一芸(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸2(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸3(ゆいぽおと刊)」「長良川鉄道ゆるり旅(ゆいぽおと刊)」

「「天職一芸~あの日のPoem 104」」への13件のフィードバック

  1. おはようございます。
    ・鞄職人のお話ですね。
    ・ランドセルは、ひとつひとつ手作りで出来ているのですね。ブログを、見て勉強になりました。
    ・私は、ランドセルは、赤色でした。確か祖父が買ってくれたと思います。6年間持ちました。ランドセルは、丈夫ですね。
    ・ランドセルは、お値段が高いですね。
    職人さんが手作りで、作っているのですね。納得しました。
    ・昭和30年代ランドセルは、高級品だったのですね。今よりも値段が高かったのかな? 昔は、ランドセルも兄弟等のお古を、回したりしたのかな?

  2. ランドセルは物が悪かったせいか皮がゴワゴワになって使いづらくなって4年生頃までしか使わなかった記憶があります。今のランドセルはおしゃれで使い勝手が良いものもあるようですね。まもなく還暦を迎える私は小学生時代は遥か彼方昔日のものになりました。

    1. 今では改良されて、随分ランドセルも軽くなって機能的なようですねぇ。

  3. ランドセルって、6年間保証が付いてはいるけれど、ちゃんと6年間使えるように丈夫に作られているんですよね。

    1. だって放り投げたり、ジャンケンして負けると、5人分くらいのランドセル担いだり!
      皆さんもしましたよねぇ!

  4. 『ピッカピッカの1年生♪ 』
    今年は 真新しくて大きいランドセルを背負う1年生が歩く姿を入学式当初しか見てませんね。
    子供の声すら聞こえてこない。
    でも そろそろ新しい教科書や筆箱を入れてカタカタさせながら楽しい時間を過ごして欲しいなぁ〜( ◠‿◠ )
    約20年前 娘は赤いランドセルを選びました。他にいろんな色のランドセルがあったけど目立つのかイヤだと…。
    二人の息子達は ずっとリュックタイプの鞄でした。持たせる物がたくさんあってバス通学だったので。小学部1年の頃は ランドセルを背負って歩く姿を想像したり 買ってあげたかったなぁ〜と思ってみたり。
    毎年ランドセルのCMが流れると ふっと思い出してしまう時があります( ◠‿◠ )
    息子達は 何色を選んだんだろう?

    1. 確かに、なんであんなに重たい、牛革のランドセルだったんでしょうね!
      そりゃあ風雨に打たれても、6年間は背負い続けなければなりませんから、それなりに頑丈なのはわかるけど、まだ小さな小学一年生には酷でしたよねぇ。

  5. 京都の親御さんのお話し、エエ話でした。
    エエ話の後に、私のコメントで汚したくないので・・・!
    このところ、若干スランプ気味で、丁度良かった!
    今日はこの辺で・・・
    追伸!
    オカダさん「君が生まれた夜は♪」
    たまには2番も良いと思います。
    だって守護星なんですもん!
    私なんて、貧乏神だもんねぇ!
    まぁ~⤴一応「神様」だけどねぇ!

    1. ええっ、どうしたの!スクラップ気味って!
      あれっ、違った?
      じゃあ今度、「君が生まれた夜は」のフルコーラス、やってみますかぁ!

  6. ※ ランドセル ※
    我が家の小さな怪獣君も 来春1年生
    本人はまだ 全く興味が無く 先日も 「 黒で良いよ !」と 言っていました ((o(^∇^)o))

    関東では 一昨年前頃から キャメルカラーが流行ったらしく 幼稚園のお友達は 1年以上前から 予約 10万円とか 〰️〰️
    (((((((・・;)

    ランドセルに いっぱい いっぱい 夢を詰めて 貰えたら嬉しいですね (^-^ゞ

  7. ピカピカの一年生、50年程前だな~あの頃は可愛かった、わ・た・し(笑)
    今でも可愛いですかね❓️❓️❓️フッフッフ
    六年生になる頃はペッタンコになってたランドセルでしたが六年終わった後もしばらく大事な物入れに使って机の脇に掛けてたような気がする。

    1. 今は、6年間使ったランドセルは、思い出の傷の所を残して、ミニチュアのランドセルに作り直してくれるそうです。
      6年間の思い出をそのまんま詰め込んで!

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