
またしても必要火急な用があって、日帰りで越前花堂駅にまいりました。
用を済ませ名古屋へ戻るため米原方面のホームに行ってみると、そこでこんな案内板を見かけました!

確か小さな巨人と言われた、あの大先生の歌にあった「越美南線」の長良川鉄道ではなく、「越美北線」ではありませんか!
越美北線は、福井駅と岐阜県の美濃太田駅の間を、岐阜県郡上市白鳥町石徹白(旧福井県大野郡石徹白村)を経由して結ぶ鉄道、越美線の一部として建設されたものの、その計画は果たせなかったものだそうですねぇ。
越美北線は、福井駅から九頭竜湖駅を結んでいるそうですが、乗ってみたいものの乗ってしまえば九頭竜湖で途方に暮れてしまいます。
乗り鉄かも知れないぼくではありましたが、断念してローカル線を乗り継ぎ、4時間半を掛けて戻ってまいりました。
おかげで気分転換の小旅となりました。
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岐阜と福井の山はかなり岩盤が強いし、自動車文化になり鉄道に乗らなくなり客が減りと悪循環になり計画が頓挫したらしいです。九頭竜湖駅までの間に朝日村の駅が有るからそこで降りて福井大野に言って米原に戻れば良いよ。ただし歩く勇気が有ればの話ですがね(((^^;)たしか二駅ぐらいだと思ったけど田舎の二駅は都会の二駅の4~5倍はあるからね(笑)
距離だけなら兎も角、上り下りが伴うでしょうから、膝が笑っちゃうよね!
九頭竜湖駅は道の駅も併設されていてドライバーのオアシス&休憩所にもなっていますよね、恐竜のモニュメントもあってほっこりしていい所です。
繋ぐはずだった越美南線も一時存続が危ぶまれましたが今は長良川鉄道として
しっかり中濃地区の観光に寄与貢献してくれていますよね!
長良川鉄道が誕生していなかったら郡上市も本当に大きなマイナスだったと思います。
ローカル鉄道は、地域と地域を結ぶ絆鉄道ですものねぇ!
おはようございます。仰るとおり、九頭竜駅で終点になってしまうのでそこで一夜を明かすことになるかも?
ってことになりますね~でも、この駅の近くは泊まるところはあったかな~?因みに越美北線の終点の九頭竜駅は道の駅にもなってて私も石川県に行く時は必ずと言っていいほどここで止まりますね。電車小旅っていいものですね~コロナが終息した暁には長良川鉄道に子供を乗せてあげたいなっておもってるんですけどね~♪
ミキちゃんもコロナストレスが溜まってんだろうねぇ!
ぜひ、親子電車小旅へ!
おはようございます。
・用事があって越前花堂(えちぜんはなんどう)に行ったのですね。
・越美北線は矢印の方向へ と書いてる案内を、見つけたのですね。
・ローカル線に乗って小旅を、したのですね。 気分転換出来て良かったですね。
今の時期 電車は、混んでなかったですか? ガラガラでしたか?
・電車に乗る方(利用する方)は、旅か通勤か帰省ですね。 車を、使うので、利用率減るでしょうね。 電車の運営も大変ですね。
・私は、越美南線,越美北線に乗った事有りませんね。 越前花堂に行った事有りません。
・越美南線 歌が、有りますね。 私は、曲(越美南線)を、聞いた事有ります。
おはようございます。昭和62年秋に越美北線が民営化前に外の風を感じる列車の運行があって美濃白鳥から九頭竜湖駅までJRバスの接続があって九頭竜ダムを眺めながら九頭竜湖駅へ、越美北線で越前花堂から北陸線で帰ったことがありましたが今では両線を結ぶバスはないでしょうし、貴重な旅でした。
それはいい体験でしたねぇ。
JRのバスは2002年に廃止になりましたよ。九頭竜湖(ダム)の底が私の生家が有ったところ、S39年10月前回の東京オリンピックの年に全村移転、まだ私は8ヶ月の可愛い赤ん坊の頃の話(笑)
そうだったんだぁ!
徳山村みたいだねぇ。
4時間半もかかるんですね。
ゆったりと気分転換…なによりです( ◠‿◠ )
福井かぁ…
むか〜し むか〜し 想いを寄せてた方がいるんです。思い出してしまいました。横断歩道のど真ん中で告白したけど…(泣) 今は 社長さんになってるんです。元気でいてくれたら嬉しいなぁ。
胸キュンキュン!
人には人それぞれに交差して行き交う地点が、いくつもいくつもあるものなんでしょうねぇ。
以前、高知の友人がこちらに来た時に、長良川鉄道の終点駅から越美北線の終点駅まで歩いてみたと言ってました。とても大変だったので、途中で断念してヒッチハイクしたと言ってマシタ!
ヒッチハイクの経験は、残念ながらぼくにはないですねぇ。
そのご友人は、きっと善人顔でいらっしゃるんでしょうな!
あちこちに鉄道が計画されて、実現出来なかった越美北線越美南線
近くで言うと、三岐鉄道もそうですね
関ヶ原までつなげる予定だったとか
樽見鉄道も福井まで伸ばす計画でしたが
交通手段はそうした時代時代の流れの中で、様々な変遷をたどって、現在に至っているのでしょうねぇ。
廃線どころか、幻の鉄道が計画されていたのですね。歳をとると鉄道の旅に恋い焦がれます。山陰線は半世紀まえはディーゼル機関車がひっ張る客車列車が主流でした。手で扉を開閉できたものでした。あの頃に戻りたいです。
ぼくも一度だけですが、城崎から出雲まで山陰線に揺られ、車窓越しに大山を眺めたことがあります。
太平洋側とは一味異なり、もう一度出かけたいものです。