「天職一芸~あの日のPoem 83」

今日の「天職人」は、三重県津市の「削り節職人」。

おっちゃん削った鉋屑(かんなくず) 何でそんなにええ匂い                           思わずうどん喰いとなる 黒い棒切れ何の木や       そないな魚あるかいな 子供騙して面白(おもろ)いか   少し摘んで喰うてみよ 出汁がジュワっと口ん中

三重県津市の「鰹節きよしや」へ、削り節職人の山下清さんを訪ねた。

「芯まで飴色しとる近海もんが、最高にええ出来の本節やさ」。清さんが拍子木ほどの大きさをした、背節を取り出した。

三重県大王町の波切で生まれ、母の勧めで削り節職人の修業へ。

新鮮な生鰹を仕入れ、頭・骨・血合いを取り除き、背割りで二分、背と腹も二分し四つに切り分け、下から火を入れ十分に乾燥させる。日陰で十五日間寝かせ、青い粗目の一番黴を付け、丸一日天日に晒す。そして再び十五日間、日陰で二番黴を付着させ、また天日干し。さらに十五日間、今度は細かい茶褐色の三番黴が付くまで、延べ五十日間作業を繰り返す。「煤けて真っ黒んなった本節を、小刀で滑らかな肌になるまで削ったるんさ。そん時の滓もええ出汁出るんやで」。黴付けから煤の削り落としまでが、削り節職人の腕の見せ所。

清さんは三年の修業を終え、四国へと渡った。「電気関係の仕事が好きやってさ、発電所に勤めましたんさ」。そして一年後郷里へと戻ると、役場から赤紙が届けられた。「まぁ、母が泣いて泣いて」。同県久居市の連隊で三ヶ月間の俄か教育を受け、中国の最前線へ送り出された。「なともならんわ。毎日毎日、人殺しばっかり教えよって」。昭和17(1942)年、内地に無事復員。「このままやとまた招集される言うて、嫁を世話されて海軍工廠に入ったんさ」。同郷のきみえさんを妻に迎え、戦闘機製造に従事し終戦を迎えた。

「この店は戦後間もないころ、ぜんざい屋やったんさ。一杯喰うたろ思て店入ったら、今日で店仕舞(しも)て四日市の人に売るんやと。そんでわしがな『こないな時代に誰が買いに来るもんかさ。まあ、あかなんだらわしが買(こ)うたろ』って、啖呵切ってもうてな」。そしたらその晩、ぜんざい屋が清さんを訪ねて来た。「あんたがゆうた通りやったわ。さあ買うとくれ」と。清さんはなけなしの金を搔き集め、食料品店を開業した。

昭和25(1950)年、鮮魚類の統制廃止を待って、鰹節専門店に鞍替えした。品揃えは、鰹の本節、二つに割いた小振りの亀節、銀ムロ節、ムロ節、鯖節、メジカ節。板場の職人用から家庭使いまで、削り節の混合配分は、清さんの目利き一つ。「所詮化学調味料では、絶対真似出来やん」。

写真は参考

海の豊かな恵みに囲まれて、この国独自の進化を遂げた鰹節。天然素材の旨味を完全に封じ込める、頑なな古来の製法故に成し得る逸品。

八十路半ばの職人魂から、削り節に勝るとも劣らぬ、味わい深い人生の出汁の香が漂った。

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投稿者: okadaminoru

1957年名古屋市生まれ。名古屋在住。 岐阜県飛騨市観光プロモーション大使、しがない物書き、時代遅れのシンガーソングライター。趣味は、冷蔵庫の残り物で編み出す、究極のエコ「残り物クッキング」。 <著書> 「カカポのてがみ(毎日新聞社刊)」「百人の天職一芸(風媒社刊)」「東海の天職一芸(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸2(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸3(ゆいぽおと刊)」「長良川鉄道ゆるり旅(ゆいぽおと刊)」

「「天職一芸~あの日のPoem 83」」への9件のフィードバック

  1. 子供の頃、削り節を『鰹節削り器』を使ってガリガリと母が削っていました。小さい頃は、手を削るからと中々やらせて貰えませんでした。が、忘れもしない 私の中学の入学式の朝、学校に中々現れない母を待っていると、着物姿に右手には包帯。「その手、どうしたの?」って聞くと「かつお節を削っていて手を削った‼」だって(°ー°〃)

    1. それは痛そう!
      ぼくも子供の頃、三重の田舎の従兄妹のオバチャン家で、ちびた鉛筆のようになった鰹節を、こわごわ削った事があります。
      もうそんなちびた鰹節ですから、どんなに頑張って削ったって、花かつおのようにはならず、フリカケの中に入っている小さな鰹節の欠片のようになったものでした。

  2. こんにちは。
    削り節職人のお話ですね。
    ・私は、実際に、削り節を、削り節器で削った事有りません。(体験等も有りません。)
    ・私は、鰹節の削り節器を、見た事,触った事が、有りません。 家に有りません。
    ・削り節は、ほうれん草(おりな)に削り節に醤油を少しかけて食べると美味しいですね。私の好きな食べ方です。
    ・豆腐に削り節を、かけてから醤油を、少しだけかけて食べると美味しいですね。 私の好きな食べ方です。
    ・削り節は、スーパーで削ったやつを見た事有ります。大袋と小袋に小分けしたのを沢山入ったやつを、見た事有ります。
    ・私は、スーパーで削り節を、買って来た事有りません。おつかいで、買って来てと頼まれたら買って来ます。

  3. 「天職一芸〜あの日のpoem83」
    「削り節職人」
    良い匂いが鼻先をくすぐりますね。クンクン 海なし県では(ごめんなさい家では)お味噌汁の中に煮干しがプカプカしてたのがどうも苦手でした。けれども食べていました。

    痛そうですね。私はお魚捌いていて指を
    思い出してしまいました。あいたたた

    かつ

    1. 家のお母ちゃんも煮干し出汁でしたよ!
      煮干しの出涸らしとみそ汁かけご飯が、我が家のバカ犬の老犬ジョンの餌でした。
      黄色みがかった、あっちこっち凹んだアルマイトの穴の開いた鍋が、ジョンの餌入れでしたねぇ。
      懐かしい!

  4. 私の母も お味噌汁を作る時は煮干しで出汁をとってました( ◠‿◠ )
    懐かしい気がします。
    両親が共働きだったので 小学生の頃から料理を始めたんですが 初めて鰹節でお出汁をとってお味噌汁を作った時 あの柔らかくて優しいお出汁の香りがホワ〜って顔の周りに漂った時 妙に安心した記憶があります。

    1. 煮干しや鰹に鯖節に、アゴにしても、日本特有の食文化であって、それらの産業の傍らにも日本文化がいろいろな派生産業として息衝いているように感じます。

  5. 昔、子供の頃
    オヤジが「シャリ♪シャリ♪」って正月になると雑煮の上にまぶすんでやってました。
    我が家の雑煮はシンプルで「かつお節、正月菜、お餅」
    蒲鉾なんて、大人になってからでした。
    まぁ~⤴雑煮は地域によって具材はそれぞれでしょうけどねぇ!
    でも、私はどこの地域の美熟女は大好きだぁ~⤴

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