「天職一芸~あの日のPoem 79」

今日の「天職人」は、岐阜県関市の「桐箪笥職人」。

娘が生まれた祝いにと 庭先植えた桐の木は        泣いて笑って喧嘩した 想いの数だけ枝を張る       嫁入り話が決まった日 桐に礼述べ斧を振る        嫁入り箪笥に姿変え 娘の幸せ託す寂しさ

岐阜県関市の杉山タンス店、三代目桐箪笥職人の杉山弘さんを訪ねた。

「図面なんて頭ん中やで、どこにもあれせん。この検竿(けんざお)一本で、桐箪笥一棹(ひとさお)作っちまうんやで」。長めの胴縁(どうぶち)には、尺寸分の単位で三面に目盛りがビッシリと刻み込まれている。弘さんは使い込まれた検竿を繁々と眺めた。

杉山タンス店は、明治末期に弘さんの父が創業。「親父は最初、大阪で警官になったんや。でも『人に嫌われるで』いうて、直ぐに大工の見習いへ」。修業が身に付くと、これぞという箪笥を購入しては分解し、こっそり技術を盗み取って箪笥屋を開いた。「岐阜の箪笥は、作るのんも早いが、壊れるのんも早い。そこで親父は尾張の良さを取り入れたんや」。

やがて二代目を継ぐ長男と、二男坊の弘さんに恵まれた。しかし、そんなささやかな幸せを嘲笑うかのように、時代は戦争のうねりの中へと突き進んで行った。昭和18(1943)年、父が他界。そしてまるで後を追うように、二代目の兄がマリアナ諸島に散った。弘さんは悲しみに打ちひしがれる余裕も無いまま、各務原の陸軍航空工廠で戦闘機の整備に借り出された。

玉音放送と共に、貧しくも平安な日々が訪れ、父の一番弟子であった職人が箪笥屋を開業。弘さんはその職人の下で修業を積んだ。

そして若干二十三歳の若さで、父と兄の無念を晴らすべく、杉山タンス店を再興。それから五年、悦子さんを嫁に迎え二男一女を授かった。

一棹三年と言われる桐箪笥職人の多難な修業。砥粉(とのこ)と夜叉液(やしゃえき)で、独自の色合い出す最後の仕上げは、未だ弟子に明かすことのない秘伝の一つ。

「昔は娘が生まれると桐の木を植え、嫁入りの時に箪笥にして持たせたもんや。桐はええ木やて。金槌で叩いても元へ戻るし、ぶっつけた傷があっても蒸気吹きかけりゃあ元にもどるんやで」。弘さんは洗濯のために戻って来た、桐箪笥の引き戸を開けた。裏側には擦れた墨書で初代の銘が。「桐は水分の調節が上手く、衣類の湿度管理に最適。火事の時でも水を掛けてやれば、水を吸収してなかなか燃えません」と、四代目を継ぐ康弘さん。

初代が手塩にかけた戦前の桐箪笥に、往時を偲ばせる美しい柾目が蘇る。弘さんはまるで亡き父を偲ぶかのように、引き戸をそっと閉めた。

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投稿者: okadaminoru

1957年名古屋市生まれ。名古屋在住。 岐阜県飛騨市観光プロモーション大使、しがない物書き、時代遅れのシンガーソングライター。趣味は、冷蔵庫の残り物で編み出す、究極のエコ「残り物クッキング」。 <著書> 「カカポのてがみ(毎日新聞社刊)」「百人の天職一芸(風媒社刊)」「東海の天職一芸(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸2(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸3(ゆいぽおと刊)」「長良川鉄道ゆるり旅(ゆいぽおと刊)」

「「天職一芸~あの日のPoem 79」」への11件のフィードバック

  1. おはようございます。
    ・桐箪笥職人のお話ですね。
    ・家に桐箪笥(父の着物を、入れる箪笥)が、有ります。
    私は、着物の帯を、片付けを、手伝った事ありますが大変でした。
    ・桐箪笥の修理出来る職人さん 貴重ですね。
    杉山さん 図面が無しで、検竿(けんさお)一本で、桐箪笥一竿作れるのですね。すごいですね。
    後継ぎ(息子さん)が、いて良かったですね。

  2. 「貧乏人の子沢山の家に生まれた」と、今は亡き母はよく言ってましたが、嫁入り道具だと言う桐の箪笥がありました。親の気持ちの品だったのでしょうね。

    1. 親ってぇのは、どんなに自分の物は我慢しても、ちゃんと娘にはそうやって持たせるものなのでしょうね。

  3. 桐箪笥…手元に置いた事はないけど 家具屋さんで 何度も「ワ〜いいなぁ」って言いながら 引き出しを開けさせてもらった事はあります(笑)
    洋服や着物にとっては 物凄く居心地の良い場所なんですよね!
    職人さん一人々の頭の中に設計図や作業工程があるならば 桐箪笥一棹ごとに愛着もあるでしょうし そういう製品は お客様もず〜っと大切にされていくはずです( ◠‿◠ )

    1. お祖母ちゃんの桐のタンスを、お母様も洗いに出して、そのお嬢様も洗いに出して、またお嫁入り道具にするなんて、考えただけでも素晴らしいですものね。

  4. 「天職一芸〜あの日のpoem 79」
    「桐箪笥職人」
    知れば知るほどに桐の箪笥とは奥の深い箪笥だったんですね。ちなみに家ではかりんの木を植えてもらったときに
    「箪笥にしてあげると言われてました。」
    「3本では無理やらぁ〜」なんて子供の頃に言ってましたけれど…
    黄色い実は何かにつけて飲むと喉に良いと言っていた事を思い出していました。

      1. ありがとうござます。
        箪笥の内装に使用するかりんと喉に良いカリンとは違うかリんだと知った
        今でもなんだか ほっこりしています。

        1. そうなんですか。
          かりんにも、そんな違いがあるんですねぇ。
          昔の方は本当に凄いとただただ恐れ入るばかりです。

  5. 昔、子供の頃に住んで居た町内に、家具屋さんがあり
    「キ~ン~」と電動カッターの音がして
    そこのオヤジさんは、いつもおがくず塗れで「坊、そこの端切れ持ってけぇ~」
    夏休みになると、木の端切れを貰って、工作していました。
    そこの「家具屋さん」の隣が
    「酒屋さん」その前を通ると「味噌」の良い匂いがしてました。
    町内をまたいで「ラビットスクーター」の修理屋さん
    子供の頃は少し歩くと色んな、お店が有り、楽しかったなぁ~!
    今日は静かに終わらさせて頂きます。
    あばよぉ~⤴

    1. なんだよう!
      ちっともオチがないじゃないよぅ!
      期待したぼくが悪かったぁ!

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