今日の「天職人」は、愛知県豊橋市の「女釘師」。
お給料日はひと月で 父が一番偉い日だった 百円握ってスマートボール 母も渋々送り出す 両手に抱えた紙袋 卓袱台の上で店開き お煎にキャラメル金平糖 父は得意げ赤ら顔
愛知県豊橋市のアサクラスマートボール、女釘師でもある店主の朝倉文子さんを訪ねた。

「ガラガラガラ」。店内のあちこちで、大きなビー玉がスマートボールのガラス板を転がる。試しに百円で挑戦。だがすぐには、うんともすんとも言わない。三秒ほどして、二十五個のちょっと大きめのビー玉が手元へと転がり落ちて来た。「あかんて!まっと左半分に玉を落とさんといかんじゃんねぇ」。前掛けをした文子さんが、台の向うから声を張り上げて笑った。

文子さんは生後間もなく、朝倉家の養女として迎えられ、女学生時代を名古屋で過ごした。しかし終戦間際の空襲で焼け出され、一家は文子さんの実父を頼り豊橋へと移り住んだ。
「戦後間もない頃にこの店借りて、野菜や果物に、かき氷も売っとっただぁ」。昭和23(1948)年、重三さんが婿入り。
それから二年後に、店を借りたいと浜松の男が訪れ、スマートボール店を開業した。「その人の息子が店番任されとったんだけど、売上持っては夜遊びばっか。とうとう一年もせんうちに店仕舞いらぁ」。結局文子さん夫婦が、そのままスマートボールの営業を引き継いだ。

当時は十円で玉が五個。バチンコ屋の大将の勧めで、遊技場組合に加盟し、出玉を景品や現金に換金した。「それが流行ってないだよ。だってパチンコは、玉が真っ直ぐ下に落ちてくけど、これは台が斜めだで、玉がなかなか落ちてけへんらぁ。だで売り上げだってちっとも増えんじゃんねぇ」。
やがてパチンコは手打ちから自動へ。最新のデジタル技術を取り入れ、射幸心を煽って我が世の春よとばかりの隆盛期へ。しかしそれとは裏腹に、スマートボールは衰退の一途を辿った。昭和60年頃には、スマートボールの台も製造が中止に。現存する二十六台が、薄れ行く昭和の名残を今に留める。

「もう全国でも、家と大阪通天閣の二軒だけらしいわ」。最新のコンピュータ制御によるパチンコとは違い、出玉の予測も立たず天候次第とか。
「もうやめようかと思いながらも、結局僅かばかりの年金まで景品代に注ぎ込んどるらぁ。でもやめたら呆けるかと思うじゃんねぇ」。文子さんは愛しそうに店内を見回した。

ついに最後の一個となってしまった玉を弾く。玉はゆっくりと盤上を転がり落ちながら、五と十五の当たり穴の上を行ったり来たり。思わせぶりな玉は、散々迷った挙句、五の当たり穴に吸い込まれた。
「釘師の腕がええで、そう簡単にようけ出る方へは入らんらぁ」。台の向うで女釘師はしてやったり。たった百円玉一枚の戯れ。緩やかな昭和半ばの時間が、心地よく流れていった。
このブログのコメント欄には、皆様に開示しても良いコメントをドンドンご掲示いただき、またその他のメッセージにつきましては、minoruokadahitoristudio@gmail.comへメールをいただければ幸いです。
スマートボウルをやった事ありますよ。子供のころお父ちゃんの隣でたってやった。お菓子もらえたのを覚えてる。ジュースもあったけど缶開けで2ヶ所あけて飲むミカンジュースだったな(笑)
懐かしい素敵な宝物のようなヒロちゃんの思い出だね。
おはようございます。
・女釘師さんのお話ですね。
・スマートボールは、昔のパチンコなのですね。
・私は、スマートボール遊んだ事有りません。
・親に連れてて貰ったり,友達と行く事,一人で行く事が、有りませんでした。
・スマートボールが、出来るお店は朝倉さんのお店と大阪通天閣のお店 2軒だけなのですね。
・昔 スマートボールを、して遊んだお客様が、朝倉さんのお店に見えるのかな?
スマートボール、懐かしいですね。
若い頃、豊橋に友人がいましたので、駅前商店街をぶらぶらしながら、このお店だったような~。
大きなビー玉がいいですよね~。
お持ち帰りしたいと思いましたもん。
そうそう!やっぱりあの、迫力ある大きなB球じゃなきゃ!
スマートボールよく遊びましたよ〜( ◠‿◠ )
力加減が難しいんですけど わかりやすいし クスって笑えるし ほのぼのするし。
上からボールが ザァ〜って出て来るとワクワクしちゃって(笑)
今みたいな時 家にあったら 息子達も楽しめたのになぁ〜( ◠‿◠ )
確かに、コロナお籠りには、ピッタリのアイテムじゃないですか!
力加減が難しかったですね。
弱いと玉は飛び出さず⤵️強過ぎると、一旦玉は飛び出すけれど、また元に戻って来てしまう⤵️あっちゃぁ…‼
穴の入り口の2本の釘に当たって、右へ行ったり左へ来たり、なんともあのかったるいようなもどかしさが、昭和を刻んでいた「時」の速度だった気がします。
スマートボール!
子供時代だったんで、手の力加減が難しかったですねぇ!
昔、パチンコも左手に玉を握って右手でレバーをはじいて
これも力加減が難しかった。
アナログチックで、穴を狙って勝負している感があって!
私は昔から「飲む打つ買うの三拍子」
なんて縁がなかったなぁ~⤴
真面目を絵に描いた様なわたくしです。
ぼくも実は、下手糞でしたぁ!
まったくもって博才が、からっきし無いともうしましょうか!
でも上手な方は、実に巧みな指裁きだったですよね。
羨ましい!