今日の「天職人」は、三重県松阪市の「紺屋(こうや)」。
学園祭のバザーの掛け声 君の声だけ聞き分けられた ささいな君の仕草にも ぼくの心は忽ち揺らいだ 秋の夜焦がす月になりたい この地球(ほし)が君であるなら 例え闇夜にまぎれても ぼくの灯りで君を染めたい
三重県松阪市の京新染工所、九代目紺屋の上村徳三さんを訪ねた。

「藍は繊細な女子(おなご)のような生き物やでなぁ。とにかく手がかかるんさ」。徳三さんが藍染めの暖簾を見上げた。
京新染工所は、天明元(1781)年の創業。徳三さんは尋常高等小学校を上がると、同郷出身の社長を頼りに一人上京した。「月給十円。店童として採用する」と告げられ、社長宅で書生暮らしを開始。五年後に帰郷し、家業の修業を始めるものの、直ぐに召集令状が舞い込んだ。
終戦から三ヵ月後、毛布と煙草の誉(ほまれ)を払い下げられ復員。
「紺屋の仕事は、一生かかって、一生勉強やさ」。火壺を中心に四ツ目に藍甕が作業場の土間の地中に埋め込まれ、火壺に点火して藍を発酵させる。気難しい藍のお守は、常に苛性ソーダと石灰を入れ、攪拌しながらアルカリ性を保たねばならない。

一方印染(しるしぞめ)の決め手は糊炊き。糊を小さく切って、焦がさぬよう十分に熱を加える。「糊置き(印の白抜きの部分に糊を引く)して泣く(滲む)ようではあかん」。糊の出来不出来が、染めを左右すると言う。目分量を頼りに、煮立てた糊に仕上げの米糠を混ぜ、舌で舐めて糊の具合を吟味する。「今しここらで染屋は四軒。糊仕事はもう二軒だけやさ」。
藍草は蓼科(たでか)の蓼藍と呼ばれる植物で、阿波(徳島県)の特産。「藍染は、今でこそ高級品。せやけど元々は下衆(げす)な商売やった。年に何度か、阿波の国から集金人が来る度、親父はよう隠れよった」。愛甕の維持費に窮する割に、庶民相手の普段着染めでは見入りも細いと、徳三さんは卑下するようにつぶやいた。
京新染工所に料金表などない。「夫婦でその日を食べられ、わずかばかりの熱燗でもあればそそれでええ」。一日当たりの夫婦の生活費に、請け負った日数分。これだけが染め代だ。材料代など、細かな事は一向にお構いなし。
紺屋は、昔から呉服屋の主を「旦那」と呼び、ひたすら崇めた。しかしその信頼関係も、時代と共に崩壊の憂き目に。昨今の不況の余波か、半月以上も費やした染め代もそのままに、「旦那」と慕った大店も倒産。半月分の夫婦の夕餉と熱燗は、不渡り手形の紙屑と化した。
「まあせやけど、逆に自分がせんで良かったと思わなしゃあないさ」。上がり框(がまち)に腰掛け、紺屋の老職人は冷たくなった茶を啜った。
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おはようございます。
紺屋さんのお話ですね。
・今は、藍染は、高級品ですね。昔は、下衆(げす)な商売だったのですね。
・上村さん 夫婦で、食べれる分だけあれば良いのですね。
旦那と慕っていた大店が、潰れて大変ですね。
・京新染工所は、天明元(1781)年の創業老舗のお店ですね。
・染物屋さんも4件あって2件が糊仕事出来る所少ないですね。
昔は、沢山あったのでしょうね。
・私は、紺屋と聞いたら浪曲(浪花節)の紺屋高尾を、思い出しました。
確か篠田実さんが、やってましたね。
・私は、藍染の物を、持っていません。
藍染めって、これからの季節、涼しげでいいですよね。
藍染めのグラデーション、草木染めの優しい色合いが、大好きです。
藍染めって、自然な風合いでぼくもとても好きです。
中学の家庭科の授業で、白のTシャツを模様を付けたい所を糸でくるくる縛り、藍色の染料で染めた事があります。糸を解いた所が模様になっている、いわゆる有松絞り、も・ど・き。
暫く着てたけど、タンスの中にしまっておいたら、ある時 母が着てました(笑)
やりますねぇ。
有松絞擬きにチャレンジとは!またそれを知らぬ間に来ておられたお母様が、とてもいじらしいじゃないですか!
藍染めの作品って 妙に落ち着くんですよね( ◠‿◠ )
お店で見かけると いつもス〜って近寄って眺めてます。
今 思い出したんですが 双子である私は 小さい頃から洋服の色はブルー系ばかりでした。妹は 明るい色ばかり。
小さい頃は よく似てたので 見分ける手段だったのかも⁈(笑)
なるほどなるほど。
ぼくが子どもの頃、近所に三つ子の女子の同級生が居ましたが、最後の最後まで三人の区別が全くつきませんでした(汗)
先日
チコちゃんでやっていました。
何で?ジーパンは青いの?
抗菌、消臭、害虫、蛇よけ等に効果があって、
日本では「藍染」アメリカでは「インディゴ」だそうです。
詳しくは「ネット」でどうぞ⤴
でもさぁ~
最近の若者は破れた「ダメージジーンズ」とか言って、
あれじゃ~蛇も逃げて行かんわぁ~
ダメージの穴凹ジーンズは、我々世代が履くと、お洒落なんぞとは思ってもらえず、「ああ可哀想にあのオッサン!ユニクロのジーンズも買えないんだぁ}なぁ~んてね。
いらんお世話じゃあ!
双子あるある
いつのまにかイメージカラーがありましたね。それでも高熱を出して寝ていたら
父の旅のお土産を「どっちが良い?好きなのえらびゃあ」って「お姉ちゃん好きなのえらびゃあ」と言って好きな色を選ばせて貰いました。お姉ちゃんは優しいです。
いいものですねぇ、姉妹って!
ぼくなんて、無い物ねだりですねぇ。