「天職一芸~あの日のPoem 61」

今日の「天職人」は、岐阜県川辺町の「猟師」。

隣のジッチャは大酒のみで いつも昔を自慢する     村一番の鉄砲名手と 湯呑み持つ手も震える癖に     田畑を荒らす大猪が 月夜の里を駆け回る        ジッチャは長筒獣に向けて 手先の震えもピタリと止んだ

岐阜県川辺町に狩人の渡辺富男さんを訪ねた。

「まぁかん!年取ると的がはずる(外れる)で!」。富男さんは今年の狩猟期間明け(平成十五年八月十九日時点)に銃を破棄すると言う。

十人兄弟の四番目に生まれ、尋常高等小学校を出るとすぐ、名古屋の材木屋へ奉公に上がった。

昭和19(1944)年戦火拡大の最中、たった一枚の赤紙で否応なく出征。何の恨みも無い人間に銃口を向け、己の命を守るがために引金を弾き続けた。戦場では、殺すか殺されるかの二つに一つ。生死を分かつ緊張の呪縛は、玉音放送によりやっと解き放たれた。

復員後郷里に戻り、馬車曳きで農家の大家族を支え、昭和23(1948)年、狩猟免許を取得。

「一発でええ。十七貫目(約六十四キロ)くらいの猪やったら」。当時は、一丸弾のSKB(日本製の猟銃)が主流だった。その同じ年、ウズベキスタン抑留から復員した長兄が他界。妻と子二人を遺して。富男さんは周りの薦めもあり、兄嫁と所帯を持った。それが家族を守ろうとする、昭和元年生まれの頑なな男の姿だった。

「権現山の猟場で、二十五年ほど前までは、ようけ大物仕留めたもんやて。これまでで一番は、四十貫目(約百五十キロ)の大猪やった。ほんでも紀州犬の向こうっ気の強い花子が前足噛まれてまって。そんでも五連発のブローニングの散弾一発分、弾代の二百円が牡丹鍋やで安いもんやて」。現在の狩猟期間は、十一月十五日から二月十五日までのわずか三ヵ月。「まあ狩人だけじゃ喰えんて。それに猟場も年々失われる一方やで」。

昭和23年頃は、川辺町だけで百人を下ら、なかった狩人も、今は趣味のハンターが二十人を切る程度となった。森が狭められ、獣たちの生息域も狭められたせいだ。時の移ろいは、一発(数丸から十数丸)で広範囲を射止める散弾の世へ。

昔の一丸弾時代は、獣に対する木守りの精神が受け継がれていたのだろう。森に暮らす獣たちの明日までも、根こそぎ奪い去るのではなく、彼らの犠牲を最小限に抑えるための。

富男さんは銃を返納した足で、真っ先に鳥獣慰霊碑へ向かい、線香と花を手向けた。

投稿者: okadaminoru

1957年名古屋市生まれ。名古屋在住。 岐阜県飛騨市観光プロモーション大使、しがない物書き、時代遅れのシンガーソングライター。趣味は、冷蔵庫の残り物で編み出す、究極のエコ「残り物クッキング」。 <著書> 「カカポのてがみ(毎日新聞社刊)」「百人の天職一芸(風媒社刊)」「東海の天職一芸(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸2(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸3(ゆいぽおと刊)」「長良川鉄道ゆるり旅(ゆいぽおと刊)」

「「天職一芸~あの日のPoem 61」」への9件のフィードバック

  1. おはようございます。
    猟師さんのお話ですね。
    渡辺さん大変でしたね。(小学校を、出てから奉公に上がってから出征して帰って来てから家族を、支えて行ったのですね。狩猟免許を、取ったのですね。)
    猟師さんも減ったのですね。猟師だけでは、生活出来ないので、副業を、しないと駄目ですね。
    私は、猟師を、実際に見た事有りません。猟師さんは、猪,鹿等を、狩りして生活しているのですね。

  2. いつの頃からか鴨肉が好きになり、テレビに鴨肉のお料理が出て来ると「お母さん、鴨肉が好きなの」と、ことごとく子供たちに言ってたんです。
    それで、子供たちもテレビに鴨肉が出て来ると「お母さん、鴨肉が好きなんだよねぇ」と言ってくれていたのに、それなのに、それなのに、成長と共に「くどい!」だと。
    まぁ、ごもっとも・・・(~_~;)

    1. あらら、それはお気の毒ですねぇ。
      でもお子さんたちも耳に胼胝ができるほど、その台詞を聴かれていたわけですから、今年の母の日は鴨肉がドーンとなぁ~んて!

  3. 生きていく為に 生活していく為に
    引き金を引く。そして 命をいただく。
    その先には なんのためらいもなく命をいただいてる私たちがいる。
    このような機会があるごとに 命をいただくまでの流れを再認識しています。
    感謝です。

    1. だってどんな命であったとしても、それはそれは尊いものですものね。

  4. 嫁の父親は若い頃、猟師をしていたそうで
    よく、銃の弾を作っていたそうです。
    猪肉、熊肉などは、料理屋さん、民宿にそれぞれの肉を売って生活していたので、
    殆ど家で食べる事はなかったようです。
    仮に食べていても子供過ぎて食べた記憶が・・・?
    猟犬も二頭ほど飼っていたそうで、本当に賢く
    教えなくても本能的に分かるんだそうです。凄いですねぇ!
    ヘちこ(へぼ)(蜂の子)はよく食べたそうですが
    たまに白鳥の親戚の家に行った時、道の駅で買って来て
    嫁家族はご満悦な顔で食べています。
    私にも、勧められますが、都会っ子の私にはグロテスクで無理⤴

    1. あらら、姫のお父上様も、漁をなさっておられたのですか!
      しかしぼくも、ジビエはちょっと・・・。

      1. えっ!やまモモさんもおかださんもダメなの❓️野生児の私は大丈夫(笑)ジビエ料理は毎年冬のご馳走でした。
        熊~野うさぎets食べましたよ。熊の胃は薬、ウサギの耳は害獣駆除の証で役場で駆除料と引き換えと動物の命は生活と直結していました。

  5. こんにちは。考えて見ました。
    私は、ジビエ(鹿,猪,熊,うさぎ等)料理を、食べた事有りません。
    (味,におい等)美味しいのか分かりません。

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