「天職一芸~あの日のPoem 49」

今日の「天職人」は、岐阜県美濃市の、「筆師」。

君がこの世に生まれた夜は 何度も筆を走らせた     どんな娘になるのだろうと 授けし名前読み上げた    平凡なれどただ健やかに 親の想いが筆を追う      仮名の墨痕和紙に滲めば 命も宿る君の名に

岐阜県美濃市の古田毛筆、二代目筆匠(ひっしょう)の古田久規(ひさのり)さんを訪ねた。

今では既に絶えた名古屋筆。その最後の職人だったのが、父であった故古田理一さんだ。空襲を逃れ郷里の美濃に戻り、生涯の大半、七十年を筆結いに捧げた。「そんでも会心の一本なんて、一年に一回あるかないかやて」。久規さんが斜め前に座す、妻を見つめた。

玄関脇の小さな作業場。年季の入った作業机を挟み、夫婦は黙々と指先を繰る。「子供の頃は、ここが遊び場やったんやて」。先代夫婦もここに座し、秒刻みで目まぐるしく動く世間の慌ただしさを他所に、緩やかな時を静かに刻み続けた。

二十歳を迎えた久規さんは、名古屋の青果市場に就職。決して父の跡を継ぐのが嫌だったわけでは無い。高度成長期は誰もが浮足立ち、書を嗜む心の余裕などなく、筆の需要も落ち込んでいたからだ。その七年後に公代さんを妻に迎え、美濃へと戻り先代と共に筆作りを始めた。

筆の命とも言うべき獣毛は、中国産のイタチの尻毛。毛の油分を抜き取るため、夏は一~二週間、冬ならば二週間~一ヵ月、土の中に埋め置く。そして土から取り出した後、綿毛を取り除き、湯で三十分ほど煮て乾燥させる。次に毛の長さを揃え、籾殻や蕎麦殻の白い灰で、毛が摩擦で温かくなるまで揉みしだき、油を徹底的に抜き取る。さらに十一~十二種類の分板(ぶいた)で毛の長さを合わせ、真鍮製の寄せ金で揃えて元を断ち切る。

先混ぜと呼ぶ筆先から喉までの部分には、タヌキの毛と四~五種類の長さの毛を混ぜる。その下になる腰混ぜには、鹿の毛とやはり四~五種類の長さの毛を練り混ぜ、丸く芯立(しんたて)をしてから上毛(うわげ)で化粧巻きを施す。そして最後に毛の根元を麻糸で緒締(おじ)めし、電木鏝で焼き入れてから軸に挿げ込む。

「一番ええのは、雄のイタチの冬毛やて。でも動物は夏と冬とで毛が生え変るけど、・・・人間の毛はもう二度と生え変わってくれんでなぁ・・・」と、久規さんは白髪混じりに薄くなった自分の頭を小突いた。傍らで公代さんがこっそり笑った。

一本の筆に三十数手の工程。途方もない時間と、細かな手数が惜しみなく注ぎ込まれる。

「弘法筆を選ばず」。だが美濃に唯一人の筆匠は、敢えて多難な筆作りに生きる道を自ら選び取った。

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投稿者: okadaminoru

1957年名古屋市生まれ。名古屋在住。 岐阜県飛騨市観光プロモーション大使、しがない物書き、時代遅れのシンガーソングライター。趣味は、冷蔵庫の残り物で編み出す、究極のエコ「残り物クッキング」。 <著書> 「カカポのてがみ(毎日新聞社刊)」「百人の天職一芸(風媒社刊)」「東海の天職一芸(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸2(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸3(ゆいぽおと刊)」「長良川鉄道ゆるり旅(ゆいぽおと刊)」

「「天職一芸~あの日のPoem 49」」への11件のフィードバック

  1. おはようございます。
    ・筆師さんのお話ですね。
    ・(筆の材料)筆の毛は、柔らかい毛から硬い毛が有りますね。(狸,山羊,イタチ,鹿の毛等が有りますね。)
    ・私は、名古屋筆有る事知りませんでした。勉強になりました。
    ・名古屋筆は、筆のブランドなのですね。
    ・1本の筆を作るのに30数手の工程が有るのですね。手間がかかっていますね。

    ・筆は、高い筆を買った事有りません。(私は、筆にこだわりがなかったです。習字道具セットに入っている基本セットの筆で、充分です。)

    ・書家さんにとっては、筆,硯,紙が商売道具ですね。

    ・吉田さんは、お父さんのお仕事を、継いだのですね。

  2. 筆って、使用されている毛によって、柔らかさや書き味も違うんですよねぇ。

    私より、後ろの毛が長〰い殿方を知っています。どんな書き味なのか一度試して見たい(゜-゜)

    1. もしやそれって、盗聴の真ん中がお寂しい代わりに、両脇と後部だけロン毛の・・・あの方でしょうか???

  3. 私も愛用させていただいている筆です。美濃市まで行って購入しています。
    以前は漢字用、今は仮名文字用を使わせていただいてます。しかも、こんなに多くの工程を経て作っておられるとは本当に驚きました。
    とても、ありがたい気持ちになります。
    古田毛筆さんの筆は、どんなに古くなっても、何故か捨ててしまうことができず大切に保管してあります。
    また漢字用は、持つところが気持ち細くなっていて毛に向かって、また太くなっていて、とても持ちやすいのです。
    また、同じ名の筆であっても当たり外れがあるものですが、古田毛筆さんの筆は、そんなことはありません。
    偶然に出会った筆でしたが、やはり間違いがなかったと確信できました。
    ありがとうございました。

    1. 虚舟さんは、実に実にお目が高いです!
      ぼくも何だか嬉しくってなりません!
      ぜひ、ご愛用ください。

  4. 一本の筆を作るのに 三十数手の工程があるなんて…
    貴重な材料の時もあるでしょうし。
    それだけにお値段もビックリする時がありますよ。
    筆を使って字を書く時 「はらい」や「はね」が上手く書けると凄く気持ちいいんですよね ( ◠‿◠ )
    何回も何回も書き直したりして。
    飽きないんですよね〜

    1. 毛筆もペン字も、人の書く文字は、同じ人が書いて、同じ筆跡であったとしても、書き手のその時の心象で、文字は微妙に変わるのでしょうね。

  5. *人間の毛はもう二度と生え変わってくれんでなぁ・・・
    ドキッ!
    職人さん、痛い所をついてきました!
    まるで、私の事を言っているか?のようなぁ!
    先日、テレビでやっていましたが「トルコの髭事情」
    髭が不揃いとか薄い男性は髪の毛根を「頬とか顎に植毛」する。
    髭が濃い方が女性にモテるんだそうです。
    私なんて髪の毛は薄いは、ヒゲだって濃い方ではありませんから
    トルコでは、モテないキモイ男なんやろうなぁ~⤵

    1. インドの取材で感じたのは、インド人は男も女も、睫毛は長いし、男たちの髭よりも、鼻毛が長いのにはとにかくビックリでした。
      でも、インドに3度も行くと、その理由が良くわかったものです。
      だって、田舎は当時舗装された道路なんて皆無で、とにかく土埃が酷かったから、それを遮断するための進化ではないかと思ったほどです。

  6. もう何年も筆を手にしていないから使えるのか ?
    もしかしたら ボサボサになって使い物にならないのかも ?? 見てみよー ‼️

    私達 人の髪の毛と同じで お手入れによって左右されるんでしょうね (・。・)

    あのシルバーさんは お手入れを怠ったのかしら〰️

    お習字を習っていた頃 固まった筆をぬるま湯に浸してゆっくり柔らかくした記憶が ‼️‼️

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