「天職一芸~あの日のPoem 46」

今日の「天職人」は、岐阜市日ノ出町の、「珈琲職人」。

朝昼晩 三杯の珈琲 いつもの店 いつもの席      「お待たせしました」 いつも君の声がした       いつもかわらぬ珈琲が 今日は何だかほろ苦い      小さな店を見渡せば 君と似つかぬ声がする

岐阜市日ノ出町で昭和2(1927)年から続く、たつみ茶寮、二代目女将の竹中さがみさんを訪ねた。

外観

女将は大正13(1924)年、岐阜県安八町で誕生。十六歳の年に初代夫婦の養女となった。しかし昭和16(1941)年、七・七禁令が施行され、珈琲は贅沢品として槍玉に挙げられた。戦争拡大は、国民の生活を日々蝕み、農林省により代用珈琲の原料が、さつま芋やユリ根に規格化された。「横文字の看板を取り換えた店もあったんやて。そんでもここでは、珈琲は珈琲って言うとったけど」。さがみさんが目を細めた。

昭和19(1944)正月。芝居小屋の金華劇場から出火。煙草の不始末により日ノ出町の一帯が類焼。一家は鍋屋町に居を構え移り住んだ。しかしそれも束の間。翌昭和20(1945)年7月9日、八百六十三人もの尊い命を奪い、市中を焼き尽くした岐阜空襲で、再び焼け出された。何人たりとも戦禍に抗う事など出来ず、呆然と玉音放送に耳を傾けた。

昭和22(1947)年、疎開先から引き揚げ、現在地に店を再興。さがみさんは美容師の資格を取得し、店の二階に美容室を構えた。やっと戦禍の呪縛から解き放たれ、生きる希望が輝き始めた矢先のこと。今度は目と鼻の先の映画館から出火。火の手は一気に近隣を襲った。「まんだ買ったばっかやった、電髪(でんぱつ)の機械も黒焦げやて。一階の店は水でベッタベタやったし」。三度目の貰い火は、二階のさがみさんの美容室だけを焼き尽くし、さがみさんの希望に満ちた夢は呆気なく潰えた。

店内

昭和27(1952)年、北海道出身の博さん(故人)と所帯を持ち、店を切り盛りした。翌年には、テレビの本放送でプロレスが中継され、力道山の空手チョップに人々は歓喜。「天皇家と同じやいう一番大きなテレビ買って。それが評判を呼んで、プロレスが始まると超満員やったて」。

昭和30(1955)年には、三代目を継ぐ一粒種の英次さんをもうけた。

未だに戦前から使用する大型ミルで、七種類の豆を挽き、創業時と何一つ変わらぬ手法で珈琲を立てる。「商いだけに、飽きんとやってこれたんやて」。

写真は参考

逆境をものともせず生き抜いたさがみさんは、七十六年前(平成十五年四月二十二日時点)と変らぬ珈琲を差し出した。こくのある深い薫りに導かれ、ちょっぴり切ない昭和初めのハイカラな味が、喉の奥に広がった。

写真は参考

*「七・七禁令」とは、奢侈品等製造販売制限規制。

*「電髪」とは、パーマネントの呼称。

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投稿者: okadaminoru

1957年名古屋市生まれ。名古屋在住。 岐阜県飛騨市観光プロモーション大使、しがない物書き、時代遅れのシンガーソングライター。趣味は、冷蔵庫の残り物で編み出す、究極のエコ「残り物クッキング」。 <著書> 「カカポのてがみ(毎日新聞社刊)」「百人の天職一芸(風媒社刊)」「東海の天職一芸(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸2(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸3(ゆいぽおと刊)」「長良川鉄道ゆるり旅(ゆいぽおと刊)」

「「天職一芸~あの日のPoem 46」」への16件のフィードバック

  1. 子供の頃、学校が休みの時は、父とよく喫茶店に行ってましたよ。
    父はコーヒーを飲みながらスポーツ新聞を読み、ちゃっかりまさこちゃんは、高価なチョコパフェ、父のお財布は、ちょっと痛かったかもしれませんね~。

    1. いやいや、お父様はちゃんとそんなことも織り込み済みで、娘との大切な時間を愉しまれていたと思いますよ。

  2. 喫茶店と言えばモーニング

    最近、テレビを見ていると「これで採算合うの?」と心配しちゃう位、豪華なモーニングを見かけます。
    大きなお世話か^^;

    1. 確かに!ぼくも「ひととき」の旅ガイドの取材で、思わずビックリしたことがありました。
      でも客としては、実にありがたいものです。
      ぼくが取材に伺った一宮の喫茶店には、タッパー持参のお婆ちゃんとかがいて、食べきれないモーニングを詰め込んで持ち替えられていましたもの。

  3. こんにちは。珈琲職人さんのお話ですね。

    唱和2年(1927)創業老舗の珈琲屋さんですね。

    竹中さん大変でしたね。

    (珈琲の写真)飲みたくなりますね。

    ・私は、親と一緒に喫茶店に行った事が、有りません。

    ・会社(前社)の飲み会のミニゲームで、コメダ珈琲店の珈琲チケットが、当たったのでコメダ珈琲で、珈琲を飲みました。
    珈琲も食パンも美味しかったです。
    モーニング結構ボリュームが有りました。
    色々な種類(3種類)のモーニングを、食べて見ました。全部美味しかったです。

    ・コンビニ珈琲美味しいですね。(セブンイレブンとファミリーマートとローソンの珈琲を、飲んだ事有ります。)

  4. 槍でもウォーキング、って言うお方もいらっしゃるようですが、オカダさんのウォーキングコースに、名鉄電車は見かけませんか?
    我が家は名鉄電車沿線で ベランダから名鉄電車が見えます。ある日、ベランダにいると、『紫色の電車』が目に入りました。 
    「えっ、今の何?」
    直ぐに、ネットで調べてみると、ミュースカイ エヴァンゲリオン ラッピングカーと。
    中々お目にかかれませんが、オカダさんは見た事は有りますか?カッコいいですよぉʕ•ٹ•ʔ

    1. いやぁ~っ、玄関を開けると遠くに小さく新幹線や東海道線に名鉄、そしてベランダからはやっぱり遠くに中央線が見えますけど、ミュースカイ エヴァンゲリオン ラッピングカーとやらは、お目に掛かったことはありませんねぇ。

  5. ほんと!オカダさんは 素敵な方々に出逢ってますよね ( ◠‿◠ )
    さがみさんが入れた珈琲…そして さがみさんがいる店内の雰囲気と香りを堪能出来たなら 心安らぐ時間を過ごせたでしょうね。
    昔ながらのこじんまりとした喫茶店って 味わいがあるから好きです。
    学生の頃 喫茶店でバイトをしてたんですが 珈琲の香りに包まれて贅沢な時間でした( ◠‿◠ )

    1. じっくり腰を据えて、ゆっくり時間を掛けて心を開いていただければ、たいていの方は素敵な方ばかりですよ!

  6. 喫茶店かぁ~!
    私が中坊の頃の話
    昭和42~3年の頃
    オーバーな話ではありません!
    毎週のようにあちらこちらで喫茶店がオープンしていました。
    開店の粗品目当てで、兄貴なんかツレと喫茶巡りをしていました。
    粗品で一番多いのが「爪切り」我が家には何十個とありました。
    後は「小銭入れ」「灰皿」全ての粗品には何々と店の名前が入ってました。
    当時は、チョット歩けば喫茶店に当たる!本当に多かった!
    残念ながら、中坊は喫茶店へは行く事が出来ません!
    勿論!悪ツレと「槍が降っても!」喫茶オープン巡りをして粗品を集めていました。

    1. ありました、ありました。
      灰皿に爪切り!
      一生かかっても使いきれないほど、店名の入ったのがどこの家にもありましたねぇ。懐かしい!

  7. あっ!見た!
    エバンゲリオンカラー
    あれはびっくり
    なにが来たかわからない

  8. 「天職一芸〜あの日のPoem46」
    「珈琲職人」珈琲の香りがしてきそうですね。小さい頃、若い頃にはインスタントコーヒーにお砂糖を入れていたのでこの角砂糖がとても懐かしく感じます。
    今ではすっかり見かけなくなりましたけれどもお花の形で砂糖菓子のようで家にお客様がみえた時にはクリープと一緒に出していた事も思い出していました。
    ダバダ〜♫

    1. 確かに、余所行き用のような、花柄の色の付いた角砂糖ってありましたよね。
      そう言えば、大人になったらティースプーンの上に角砂糖を乗せ、ブランデーをかけてマッチで火を点けてから、紅茶に入れるんだと思っていたのに・・・。
      すっかり忘れてしまっていました!
      今度やって見よう~っと!

  9. 今回は 岐阜 柳ヶ瀬 日ノ出町の たつみさんなんですね ~
    2年程前 友達を連れて行きました
    「まだこんな渋いお店あるんだね~」と 店内をキョロキョロ ‼️‼️
    ちょっと低めのレトロな椅子とテーブル
    ゆったりとしていますよ (#^.^#)

    私も遠距離恋愛をしていた頃 インベーダーゲームが置いてある喫茶店で待ち合わせをしていましたよ 〰️ ★

    今は毎朝 珈琲で1日が始まり ビールを ぷっファ〰️! として1日が終わります

    1. 珈琲もぷっはぁのキリン一番搾りも、ぼくにとって無くてはならない、命の水です!
      遠距離恋愛ってぇのもロマンチックで羨ましいですねぇ。

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