今日の「天職人」は、三重県答志島の、「老海女」。
沖の潜女(かずきめ)磯笛も止み 入日追いかけ海人船(あまぶね)還る 舳先(へさき)掠(かす)める海猫が 浜に豊漁告げて鳴く 島の女の晴れ着姿は 潮焼けの肌に濡れた磯着(いそぎ) 焚き火囲んで車座に 笑いも絶えぬ浜の海女火場(あまひば)
三重県答志島に最年長(平成十五年二月十八日時点で)の海女、四代目浜崎徳枝さんを訪ねた。
「海の底にお金が落ちとるんやで、息こらして(息が切れて)も拾(ひら)てまうんさ」。浜崎さんは、潮焼けした赤ら顔で語った。

浜崎さんは昭和4(1929)年、この島で七人姉妹の長女として誕生。村の娘の仕来りで、冬場は夏の海女解禁まで、行儀見習いに大阪や名古屋へ奉公に上がった。夏が来ると島に戻り、海女の稽古に明け暮れ、嫁入り修業の和裁を身に付ける。二十歳の年に浜崎家に嫁いだ。
以来海女として、沖を目指し海鼠漁へ。身を切るような厳寒の海は、単衣の磯着を通して冷たい海水が肌を突き刺した。答志島の海女は約二百人。しかし海鼠漁に出るのはわずか二十人。鮑や雲丹に比べ、海鼠の漁場の水深が深いからだ。
浜崎さんは海人船を漕ぐ「トマイ(船頭)」さんと漁場を目指す。「腹にスカリ(網の袋)と腰紐括って、ナンマリ(鉛)爆弾(十五~六キロの錘)抱えて一気に潜るんやさ」。おおよそ一回の潜水は一分以内。「息が上(あ)ごてまう寸前に、腰紐しゃくったるんやさ。そうするとトマイさんが必死に腰紐たくし上げる。まあ、わしら海女の命の管理人みたいなもんやな」。現にトマイは、夫や息子など血縁者が多いと言う。二年前にご主人を亡くし、今は漁師を継いだ長男がトマイを務める。
漁を終え、海女火場に戻って、海女達と共に暖を取るのが一番の愉しみ。「歌(うとう)たり、亭主の愚痴を言って、そりゃあ賑やかやで」。文字通り男子禁制、海女達の裸の集会だ。


「海は愉しいよ。四季折々の色しとって」と、隣の家の海女仲間、山下きよこさんが呟いた。「そやさ!宝の海やでな。海に潜る時は、ドウマイ・センマイ(ドーマン・セーマン)言うてな、この手拭い頭に巻いて、米と小豆を紙に包んで、お酒と一緒に無事を祈って海に撒いたるんやさ」。浜崎さんは古びた手拭いを開いた。真ん中に「急々如律令(きゅうきゅうにょりつりょう)」、左に五芒星、右には縦四本、横五本の格子(魔物の侵入を防ぐ網)が描かれている。陰陽道の魔除けの呪文が、いつしか海女の護符となった。

海と生きて六十年。誰よりも海を愛し、その美しさと気高さを知る老海女。お元気でと別れを切り出すと「わしら海女薬(あまぐすり)いう、ええ薬もうとるで、まだまだ身体が言うこと利くうちは潜るわさ」。島に大きな笑い声が響いた。
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おはようございます。海女さんのお話ですね。
・浜崎さんは、奉公に行ったり海女さんの修行したり和裁の勉強したり色々大変でしたね。
浜崎さん体を、大切にして下さいね。
・「急々如律令(きゅうきゅうにょりつりょう)」、左に五芒星、右には縦四本、横五本の格子(魔物の侵入を防ぐ網)が描かれている。このお守り初めて見ました。このお札が海女さんのお守りなのですね。
・浜崎さん 息子さんが船頭さんの後継ぎになって良かったですね。
・海女さんは、昔よりは今の方が少ないでしょうね。
・今 海女さんになる方は少ないでしょうね。
海女さんの肺活量って凄いんでしょうね。
私も、学生時代は肺活量には少々自信がありました。
それが、結婚して、子供とプールで潜りっこしたら、苦しさの余りパニック状態寸前。
それ以来、潜る事に自信が無くなりました。
今じゃ、水着姿に自信が無い(-_-;)
今じゃ、水着姿に自信が無い(-_-;)
これまた自虐的で・・・しかし上手い!座布団一枚もんですねぇ!
当時は ウエットスーツがあるわけもなく 想像しただけで震えがきます。
命懸けのお仕事ですよね。
海も生き物だから トマイさんと息を合わせないと魔物が忍び寄る…
「海の底にお金が落ちとるんやで…」
日焼けした笑顔いっぱいのちょっと小柄な女性を想像しました( ◠‿◠ )
海女小屋での集会 見てみたいなぁ〜
まるで女子会でしょうね(笑)
ps. 伊勢ゆべし 食べましたよ!
柚子をくり抜き その中に豆味噌や落花生や胡麻などが入ってて…
香りはお味噌 食べると柚子そのものでした。これは お酒の肴にピッタリみたいです( ◠‿◠ )
あら、お取り寄せですか!
日本酒にピッタリじゃないですか!
なごやンさんが言われる様に
水着なんて、もう何十年着ていない
今じゃ~メタボなお腹周り・・・
これでも、若い頃は少しだけお腹が「仮面ライダー」のように「ワレテ」いた!
そうやって、過去の栄光にこだわっちゃうのは、やっぱり加齢による若さへの郷愁でしょうか?