「天職一芸~あの日のPoem 29」

今日の「天職人」は、岐阜県岐阜市の、「散髪師」。

改札口へ続く駅舎は 今でもあの日の薫りがする     君は北へぼくは西へ 故郷行きの汽車を待った      駅舎に広がるシャボンの薫り 真新しいスーツに似合う様に君と出逢ってからの髪を切った             「社会人か」君の最後の囁きを 発車のベルが掻き消した ぼくは今でもあの日の君を 心の何処かで探し続けてる

旧JR岐阜駅、ステーションデパート二階のカットポイント青木に、初代散髪師青木勇さんを訪ねた。

この場所で孫子三代に渡り床屋を営む。農家の出であった勇さんは、尋常高等小学校卒業と同時に、柳ケ瀬の理容館に修業に出た。当時は洗髪三年、顔剃り三年、一人前までに十年の歳月を要する時代だった。当時の小遣いは、一月三十銭。「一杯十銭の、牛の丼飯食うのが唯一の愉しみやったて」。勇さんが懐かし気に目を閉じた。

昭和17(1942)年、二十歳の暮れにラバウルへと出征。「わしはB29撃ち落して、金鵄勲章を貰うはずやったに、その前に終戦やったて」。勇さんは未だ口惜し気だ。翌年復員し再び柳ケ瀬の理容館へ。昭和24(1949)年、満州から引き揚げた長子さんを嫁に迎えた。

長子さんは子供を預け、朝から深夜まで柳ケ瀬で「お好み焼き」を焼き、夫を支えた。「当時お好み屋がどえらい流行ったんやて。床屋が九人で働いて一日九千円の時代に、お好み屋は女房一人で九千円売り上げる日もあったほどや。わしもあの頃は、昼に髪切って、夜は深夜まで葱切っとったて」。お好み屋の稼ぎで岐阜駅前の一等地を手に入れ、昭和28(1953)年に独立開業。

「ほんでもわしらぐらいやで。お客の頭叩いても文句の一つも言わんと、金貰えるのんわ」。岐阜市の人口の約1/3近くに当たる十五万人の頭を、半世紀掛けて刈り続けた老散髪師が笑った。

これを書きながら、現アクティブGの辺りにあった、ステーションデパートの青木さんの床屋を思い出しました。

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投稿者: okadaminoru

1957年名古屋市生まれ。名古屋在住。 岐阜県飛騨市観光プロモーション大使、しがない物書き、時代遅れのシンガーソングライター。趣味は、冷蔵庫の残り物で編み出す、究極のエコ「残り物クッキング」。 <著書> 「カカポのてがみ(毎日新聞社刊)」「百人の天職一芸(風媒社刊)」「東海の天職一芸(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸2(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸3(ゆいぽおと刊)」「長良川鉄道ゆるり旅(ゆいぽおと刊)」

「「天職一芸~あの日のPoem 29」」への19件のフィードバック

  1. どの時代にもプライドを持ち生きてこられたんですね
    人は…
    今はどうでしょう…

    1. プライドは周りの環境によって得るものでは無く、自分自身の内なる信念から生じると、ぼくは信じています。
      どんな仕事であったとしても!

      1. いいこと言います 
        僕は息子に
        「ブランドは買うのではなく、自分がブランドになれ」 
        って言うのと一緒ですね
        僕はまんさくブランド(^o^)/

  2. おはようございます。散髪師の話ですね。 青木さん十年間修行大変でしたね。苦労したのですね。
    青木さんの奥さんは、子供を預けてお仕事を、して旦那さんを支えたのですね。生活大変でしたね。
    青木さんの散髪屋さん 常連さんも見えたのでしょうね。

  3. ステーションデパート懐かしいです。
    昔ながらの床屋さんや美容室、まだまだありますよ。私がお世話になっているのは、78才のおばぁちゃま、現役です。
    いつも愚痴、聞いてもらってます。

    1. いいもんですよね。
      年配の美容師さんなんて、それこそ技術も話術も年季が入っていますしね。

  4. 床屋さんへ行く事もなくなったなぁ・・・
    子供時代、盆、正月になる前に良く行ったもんです。
    子供の頃は、ヒゲを剃って貰うのに憧れていましたが
    いつの頃から?髭を剃って貰うようになったのか?
    思い出せませんが、髭を剃る前に程良い暖かさの蒸しタオルで顔を覆って
    気持ち良かったなぁ~!
    そのまま睡魔に襲われる事度々
    「はいお客さん」と店のご主人の声で起こされもんです。
    まぁ~遠い昔の事
    今じゃ~落武者ヘアーだけど・・
    これはこれで年相応かなぁ
    悔しかったら、真似てもエエよぉ!

    1. いいえ、結構です!
      落ち武者カットだけは、ご免こうむりたいものです。

  5. この散髪師の方も奥様も人生ひたすらに掛け抜けて来たって感じですね。
    そういう姿って 只々眩しくて でも いつまでも見ていられる気がします( ◠‿◠ )

    1. 流されるまま、全ての現実を受け入れて、その中で自分の愉しみを見出だせることに精通したいものです。

  6. 私が初めて勤めた会社の支店長さんが、この散髪屋さん 青木さんの所に通ってみえましたよ!!
    ゆるーい時代 仕事中でも「ちょっと行ってくるわ 」と 私に 一言 堂々と行かれてました。
    戻ってみえると ポマードの匂いが フワ~ っと お土産は 季節の和菓子
    (#^.^#)

    そして その支店長さんがもう1ヶ所
    月に1度 月初めに行かれたのは お千代保さん お土産は みたらし団子と草餅 でした 。
    そして そして毎年1月 仕事初めの日は お千代保さんの鯰で新年会でした。(#^.^#)

    ほんと~に 昭和は 良い時代でしたね ◎

    1. 確かに昭和は、そんなゆる~い時代でした。
      だからといって、誰も目くじらを立てるわけでも無く。
      今では、そんな「昭和のイカシタおやじ」を見掛けなくなってしまいましたね。
      みんな「小粒」で、上の顔色ばかり窺って・・・。

  7. 旧岐阜駅の床屋さんは、私のいとこが長く修行に行っていたところです。
    お陰様で、今では家業の店を継いでおります。
    人を育てることにも尽力され、ひたすら感謝です。
    存じ上げなかった事実まで知ることができて良かったです。ありがとうございました。

    1. ええっ、そうだったのですか!
      でもいとこさんも、その折の修業がしっかり身に付いていらっしゃるんでしょうね。

  8. 私は家から歩いて数分のところに床屋さんがあるんですけど27年間お世話になってるところに行ってますよ(わざわざ車でね~)ここ最近では息子の髪を切って貰うのもお願いしてます。
    髪を切ってもらったあとにアイスを食べるのが習慣になってしまったので・・・でも、そのお陰か嫌がらずにおとなしくやってもらってるので、「おとなしい子やで凄く助かるわ~」っていつも言ってくださいますよ(笑)

  9. 岐阜駅のステーションデパート、懐かしいです。
    私が高校生の頃まであって、よく中を通って駅のホームへ行ったものです。
    お父さんは、まがりなりにも会社の人たちの髪を切っていました。
    だから私も就職するまで、お父さんに首根っこ掴まれて髪を切られていました。

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