今日の「天職人」は、三重県伊勢市の、「浅沓司(あさぐつし)」。
浮世の禊(みそぎ) 神所(しんじょ)を行けば 俗世の穢れ 祓い清める 玉砂利の音 古市(こいち)の旅籠 精進落とし 酒肴勧みて お国自慢に 夜も耽(ふけ)やらぬ
三重県伊勢市で浅沓を作り続ける、西澤浅沓調進所、浅沓司の西澤利一さんを訪ねた。

浅沓は、公卿や殿上人(てんじょうびと)、又神職高官が神事参勤時に着用する履物として、現在に受け継がれる。古来は革製。後に桐を刳り貫き、外側に黒漆を塗り絹布が貼られた。
また、苧麻(からむし)の麻糸で作ったものが「麻沓(あさぐつ)」と呼ばれ、後の世に深沓に対する浅沓と表記されるようになったとか。
伊勢地方での浅沓の歴史は、江戸期に入ってからで、型作りから仕上げまで、今では西澤さんたった一人が手掛ける。西澤さんは十八歳から祇園祭の山鉾の模型を父親と共に作り、京都へと納めていた。
昭和59(1984)年、伊勢最後の浅沓司が高齢のため、跡取りを求めていた。西澤さんは三十四歳にして弟子入りし修業を開始。しかし丸一日修業を務め、日当はたったの千円。子供と年老いた両親を抱え、修業を終えて戻ると、夜鍋仕事で山鉾の模型を作り家計を補った。しかし山鉾作りの基礎が活き、一年半で独り立ち。

程なくして初仕事が舞い込んだ。伊勢神宮内宮の宇治橋渡り初めの大仕事だった。楠の底板に四国産の和紙十四~十五枚を張り合わせ型を作り、砥粉に生漆を混ぜ、浅沓全体を覆うように何度も繰り返し塗っては磨く。最後は漆黒の艶を引き立たせる本堅地(ほんかたじ)色塗りで仕上げ、正絹の甲当て枕と呼ばれる綿の詰め物が添えられる。一足の完成までに約一月。片時も気が抜けぬ真剣勝負である。

内宮の玉砂利を踏みしめ、静々と進む神官の浅沓は、神宮の杜の木漏れ日を浴び、悠久の時の狭間で独特な輝きを放っていたものです。
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おはようございます。浅沓司(あさぐつし)さんが見えたのですね。
私は、知りませんでした。ブログで、勉強になりました。
西澤さん修行大変でしたね。(34歳私と年齢変わりませんね。家族が見えて生活するのが大変だったでしょうね。)
職人さんが後継ぎの方が見えれば良いですね。
写真を見て「あ〜っ!(見た事ある) 」って思わず 声が…(笑)
伊勢神宮での光景が すぐ浮かびました。玉砂利の音だけが響き渡る あの厳かな雰囲気が。
浅沓というんですね。
気品が溢れてて 深い光沢。
足を入れただけで身が引き締まるよう。
やはりここでも伝統工芸を引き継ぐ問題があるんですね。
作業工程の大変さだけの問題ではないのかも?
神様が御座すご神域に立ち入らせていただくわけですから、少なくとも神官がスニーカーとはいきませんものね。
ぼくら一般参拝者は、旅行気分のままスニーカーで平気でお邪魔しちゃいますから、神様!ごめんなさい!
最近お伊勢さんへ行っても、とんぼ帰りが多いので、浅沓を想像する事ができません。
今度お伊勢さんへ行ったら、浅沓を想像しながら歩いてみたいですね。
浅沓で玉砂利を踏んで静々と、正殿までお参りに行って見たいものです。