「天職一芸~あの日のPoem 11」

今日の「天職人」は、岐阜県高山市の、「鍛冶屋」。

宮川沿いの 川原を行けば 浴衣の裾も 風に戯むる   夕陽を浴びて 鍛冶橋渡りゃ 時刻むよな 槌の音    火床(ほど)のくろがね 鉄火の如く 頬を流るる 汗も拭えず                        踏鞴(たたら)踏み込む 手風琴(オンガン)弾きは 飛騨の匠の 鍛冶屋かな

宮川に架かる鍛冶橋の東詰め。明治15(1882)年から続く、新名(しんみょう)鍛冶屋に三代目新名隆太郎さんと、四代目清雄さんを訪ねた。

小さな作業場に、ひと昔前は火床も三つあり、鍛冶職人も六~七人もいたと言う。しかしご多分に漏れず、高度経済成長期の余波をもろに受け、機械化の波に呑み込まれていったと言う。「昔はここに木炭を二十俵も積み上げ、火床も真っ赤に燃え盛っとったもんやさ」。隆太郎さんはたった一つとなった火床を見つめた。

写真は、参考です。

しかし転機が訪れた。永年の勘と腕が物言う全国各地の文化財として残る、山車の飾り金具の修復だ。

「鉄は一つも捨てるとこなんてないんやさ。これ見てみ、昔の人の刀や。人を殺める道具だったもんやさ」。隆太郎さんは、二十センチメートルほどの柳刃の中子を握った。人を殺めるはずの刀が砥ぎ減りし、平時になっては役を成さず、鍛冶屋に鍛えなおされ食材を刻む新たな命を宿した。

以前一度、旅館田邊さんに泊まった翌朝、ふらっと新名鍛冶を訪ねた事がありました。何だか妙な懐かしさから。すると今では四代目が、ランプシェイドなどの作品を手掛けておいででした。

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投稿者: okadaminoru

1957年名古屋市生まれ。名古屋在住。 岐阜県飛騨市観光プロモーション大使、しがない物書き、時代遅れのシンガーソングライター。趣味は、冷蔵庫の残り物で編み出す、究極のエコ「残り物クッキング」。 <著書> 「カカポのてがみ(毎日新聞社刊)」「百人の天職一芸(風媒社刊)」「東海の天職一芸(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸2(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸3(ゆいぽおと刊)」「長良川鉄道ゆるり旅(ゆいぽおと刊)」

「「天職一芸~あの日のPoem 11」」への9件のフィードバック

  1. おはようございます。
    ・今日は、鍛冶屋さんのお話ですね。
    ・3代目新名(しんみょう)隆太郎さんと4代目新名清雄さんの所を、訪ねたのですね。
    ・私は、新名鍛冶屋さんの所は、通りますが、中に頻繁に入った事は有りません。
    ・新名鍛冶屋さんは、徒歩,交通機関,自転車で、行けます。高山駅より近いです。
    ・鍛冶屋さんは、TVで、見た事有ります。 鍛冶屋さんも減って来ましたね。後継ぎを育てるのが大変ですね。
    ・私の祖父が、新名隆太郎の事を、知っていました。確か手紙を、書いていました。
    ・刀から包丁に、なったのですね。写真を、見ると鍛冶屋さんの仕事は、すごいですね。

  2. 「鉄は熱いうちに打て」
    なんて「ことわざ」がありますが
    歳取ると、どうも柔軟な発想力、考え方が固くなってしまいがちです。
    鉄の熱もすっかり冷めて錆びて行く一方
    やわらかぁ~~い柔軟なシルバーでいたいもんです。
    でもねぇ!
    あたしゃぁ~いつまでも、きっと光り輝いている事でしょう!
    なんでか?
    それは・・・言わせないでェ~~(涙)

    1. あらあらまたしても自虐的な事!
      どうせテッカテカの頭頂部も、コンディショナーしてるんじゃないの?

  3. こんにちは

    鍛冶屋さんの仕事ぶりは大変そうですね。鍛冶屋さんのおかげで鋼を鍛える。と言葉になったのかと考えます。作るものは時代の流れで変わってしまっても当時の技や心のありようなどは受け継がれているのだろうと想います。いつまでも続いて欲しいと願うばかりです。

    1. 一槌一槌、鍛冶屋さんの心が打ち込まれた金物は、それだけ味わいがありますものね。

  4. 鍛冶屋さん なんだか懐かしい響き…
    トンテンカン トンテンカン
    テレビの画面でしか見たことがないけどあの熱い中 テンポよく槌で打つ場面が頭に浮かびます。
    古き良きものって 時代の流れに沿うことって 難しいんでしょうね。でも必ず回り回って 姿形は違えども 出会う時が来るんですよね⁈
    ps. トンテンカン… 打つタイミングを間違えると トンチンカン
    「とんちんかん」の言葉の由来なんですって( ◠‿◠ )

    1. ええっ、頓珍漢の由来って、鍛冶屋さんの「トンテンカン」からだったとは!
      また一つ勉強になりました。
      ありがとうございます。

  5. 私の住んでいた町にも鍛冶屋さんはありましたが、何を作っておられたかは思い出せません。

    1. 新名鍛冶さんは、戦後は主に農耕具を作っておいでの様でした。
      ところがその後機械化の波に飲み込まれ、手打ちの農工具は追いやられてしまったようです。
      それ以降は、全国各地の山車に使われている飾り金具などの製造が主になったようです。
      もちろん手作りのランプシェイドなど、お洒落な作品も現在は店頭に並んでいましたよ。

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