「青森駅界隈の町ブラ昭和残像ウォッチング」

ぼくの心の故郷は、どんなに時代が進化し続けようと、両親と貧しいながらも笑い合い、支え合って生きた、昭和半ばで留まっているようです。

ですから、こんな袋小路を見付けようものなら、ついつい立ち止まってしまいます。

それにしても、この「サロン タイガー」と「スナック パーティ」。二軒並んでいますが、あなたならどちらのお店をチョイスなさいますか?

ぼくだったら、そうだなぁ・・・やっぱり日が暮れて店の灯りが点らないと、決め手に掛けちゃいますねぇ。

これまたどこの町でも見かけられた、「駅前銀座」。しかし、銀座は各地の商店街の名前にも使用されていますが、さすがに「金座」「銅座」「銭座」なんてぇ名前は、使い勝手が悪かったのか、それとも見栄えしなかったのか、「金座商店街」とか「銅座横丁」なんて、さっぱり見かけません。

やっぱり「洒落た」=「銀座」が妥当だったと言うところでしょうか?

それにしてもこの「駅前銀座」。今では、「ばぁばの店うさ美」しか残っていないようです。でもここで疑問が頭を擡げてしまいました。少なくともこの「駅前銀座」の建物が建ったであろう、昭和40年代半ばの1970年頃に、既に押しも押されもせぬ「ばぁば」だった看板婆ちゃんは、今もってご健在なのでしょうか?それからざっくり約半世紀ですから、当時60歳で周りから「ばぁば」と呼ばれていらっしゃったとすれば、少なく見積もっても110歳越え!ひょえ~っ!でも、60歳で周りから「ばぁば」と呼ばれていたとしたら、61歳のぼくもりっぱに「じぃじ」か!

大変気になって夜になって看板に灯が点ったら寄って見たかったのですが、この夜は既に津軽三味線のLiveが聞けると言う「居酒屋ねぶたの國 たか久」を予約しておりましたので、断念!無念!

津軽三味線のLiveが聞ける「居酒屋ねぶたの國 たか久」のブログは後日ご報告いたします。

このブログのコメント欄には、皆様に開示しても良いコメントをドンドンご掲示いただき、またその他のメッセージにつきましては、minoruokadahitoristudio@gmail.comへメールをいただければ幸いです。

投稿者: okadaminoru

1957年名古屋市生まれ。名古屋在住。 岐阜県飛騨市観光プロモーション大使、しがない物書き、時代遅れのシンガーソングライター。趣味は、冷蔵庫の残り物で編み出す、究極のエコ「残り物クッキング」。 <著書> 「カカポのてがみ(毎日新聞社刊)」「百人の天職一芸(風媒社刊)」「東海の天職一芸(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸2(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸3(ゆいぽおと刊)」「長良川鉄道ゆるり旅(ゆいぽおと刊)」

「「青森駅界隈の町ブラ昭和残像ウォッチング」」への31件のフィードバック

  1. おはようございます。両方気になりますが、
    私だったらスナック パーティーに、行きたいです。 理由は、スナックに、行った事がないからです。
    オカダミノルさん 僕も立派なじいじと書いてますが、そんな事ないですよ。60代まだ若いですよ。
    確かに商店街は、あまり見かけませんね。(商店街の建物良いですね。お店の人とお話してゆっくり買い物する良いですね。残っているお店少ないですね。)
    既に居酒屋ねぶたの國 たか久を、予約済だったのですね。
    津軽三味線のライブを聴ける 居酒屋ねぶたの國 たか久のお話楽しみです。三味線の音良いですね。

  2. おはようございます。
    オカダミノルの心の故郷は、昭和半ばで止まっているのですね。私は、素敵だと思います。(私は、良いと思います。)
    昭和の風景と言えば、映画 オールウェイズ3丁目の夕日の風景ですね。
    私は、津軽三味線と言えば高橋竹山さんが、思い浮かびました。

  3. 以前、住んでいた処には「銀座スーパー」と名が付いたお店がありました。平成のはじめ頃まで有りましたが区画整理で立ち退きなくなりました。近くに大型スーパーがありましたから町の八百屋さんは太刀打ちできませんでしたね。足りないものがあるとちょくちょく利用してました。そこで働いていた店員さん、大型スーパーで即戦力で忙しくしてましたね。
    昭和レトロの裏に大きなビルが有るのは時代の流れなのでしょうね。

    1. まるで昭和と現代が背比べしているようで、摩訶不思議さが見事に混沌としていますよね。

  4. サロンって ヘアーサロンかなぁ?
    両方のお店を覗いてみたい気はしますよ。年代物の機材があるかも(^。^)
    心の故郷…
    時代の流れで いろんな事が発展してもやっぱり音楽や風景や物や そして空気の匂いまでもが ある瞬間 昭和の時代に(学生の頃まで)引き戻される事があります。その時の安堵感…やっぱり良いんですよね❣️自分だけがタイムスリップしたみたいな感じがして(^-^)
    今は 心も身体もギリギリなので 本当にタイムスリップした〜い

    1. わかります、わかります!
      夢ちゃんのそのお気持ち!
      ぼくなんて、どっぷりと昭和レトロな時代に包まれて、そのまま転寝を続けていたいとよく思いますもの。

  5. 夕暮れ時は寂しそう〜などと口ずさみたくなりましたが
    大人には大人の楽しみが待っているのですね!次回のブログも楽しみにしています。
    姉からもらった冷凍タピオカの食感が ⁇と思ったら ちゃんと袋の裏に説明がありました。昭和 平成 令和とこれからを楽しみたいです。

    1. 夕暮れ時が寂しそうなのは、別れを惜しむ若者たちの心境でしょうか?
      立派なオッサンになると、夕暮れ時が待ちきれなくって!プッハァと!
      ああっ、キリン一番搾りがぼくを呼んでいる!

  6. ただただ!懐かしい!
    いつかは取り壊されていまうんでしょうけど、
    時代の流れに消え去り、懐かしさも同時に消え去られ流れて行くのか?
    目に焼き付け思い出にしたいもんです。
    余談話し
    昭和30年代生まれのわたし
    当時の柳ケ瀬は人で溢れかえって、肩と肩が触れ合うくらい!
    5歳当時の事を今も覚えています、柳ケ瀬の丸物百貨店の北向かいにあった。
    おもちゃ屋さんで空前のブーム長蛇の列に並んで
    「ダッコちゃん」を買ってもらったのを思い出します。
    あの!ダッコちゃんは何処へ~~!

    1. えっ、落ち武者の腕にダッコちゃんって、何だか「八墓村」越えのおどろおどろしさが・・・。
      って、そう感じたのは、ぼくだけでしょうか?だって、今のあの落ち武者ヘアーが印象的過ぎて、容易に想像できないんですもん!

  7. 銀座と言うと東京にしかないと思ったら色んな場所にあるんですね。
    平成生まれの私には考えられない話です(笑)

    1. いまでも各地に、何とか銀座商店街とか、まだまた残っていると思います。
      それだけ花の東京の、本物の銀座への憧れがあったのでしょうね。
      今も東京の本物の銀座は、ぼくにとっても憧れの地です。

  8. みなさんもいろいろ思い入れがあるのですね。大垣にも銀座がありました。駅前通り新大橋を南へ50m行ったところに、それはありました。美味しい中華の「マルミ」、ビンに入った各種あられを量り売りしていた菓子屋、おもちゃ屋は駅前通り側の銀座入口に、ほかに洋品店もありました。道幅は狭く2mなかったと思います。ただしアーケードになっとるので雨雪の心配は不要でした。青森の銀座、柳ヶ瀬の通りそして大垣の銀座など、当時は人々のふれあいが確かにあったような気がします。オカダさん、明治村ならぬ昭和銀座村を作ってまえんでしょうか。

    1. とんでもない!ぼくに商才はありませんので、残念ながら昭和銀座村を作ることなど出来ません。
      でも令和が終わる頃になると、昭和も立派な時代劇となることでしょう!
      ぼくは、毎日新聞の連載で「天職一芸」を連載させていただいていた折、大垣駅前のロータリーの片隅で、テント張で靴磨きをしていたお爺さんに、何度も何度も大垣を訪れる度に、断られても断られても取材を申し込んだものです。
      しかしその度に、「わしが話すことなんかない!」と、けんもほろろに断られてばかりでした。
      きっと思い返したくない歴史があったのでしょう。
      ついに今から10年ほど前に、その靴磨きのお爺さんのテント張りの簡易店舗も、見掛けられなくなっておりました。
      今になって思います。
      もっともっと、毎日でもお爺さんのテントに日参し、なんとかお爺さんが封印してきた話を、聞いて見たかったものです。
      ただし、それを紙面に掲載するよう、原稿に仕上げられたかは、果たしてぼく自身にもわかりません。
      誰しも、あからさまにしてはならない、あからさまにすべきでない、そんな歴史の中に翻弄させられた、遠き日があるかも知れないのですから。

    1. そうでしょ!やっぱり多治見にも、銀座がありましたか!
      ぜひ多治見市銀座商店街で、本物の多治見の高木ともふみさんと一献とまいりますか!

  9. 津軽三味線。JR弘前駅の列車発車のベルは15年ほど前までは津軽三味線の一節でした。旅情が掻き立てられました。いまはどうでしょうかね。

    1. ああっ!さすがにそこまでは、失念していました。
      もし津軽三味線でしたら、ぼくはなんと勿体ないことをしてしまったのか・・・悔やまれます!
      しかし、イカじじい67さんは、実に博学ですねぇ!天晴れ!

  10. 先日、青森のこの界隈を夜歩きました。スナックのおばちゃんが表に出てて、あるいは艶っぽい引き込みもあるそうで。
    私はスナックで歌と話を楽しみましたよ。

    1. 昼下がりさんは、素晴らしい探訪を成さり、旅の一夜をとても有意義に過ごされたようで、何とも羨ましい限りです。
      ぼくも次回、そんな機会に恵まれましたならば、ポケットに1万円札1枚だけ忍ばせ、おばちゃんの客引きに応じて見たいものです。

  11. こんばんは。津軽三味線の発車合図があまりにも印象的だったので、竹山のCDを買いました。大垣駅の靴磨きの男性、オカダさんが仰せのとおりかもしれません。いや、そうなのでしょう。オカダさんも「君看双眼色、不語以無憂」のご心境と拝察いたします。ライブ情報を待っとりますぅ。

    1. 禅の境地とまではとても崇高過ぎる気がし、恐れ多い気分ですが・・・。
      君看双眼色(きみみよそうがんのいろ)、 不語似無憂(かたらざればうれいなきににたり)。
      実に素晴らしい、白隠禅師の美しい下語(あぎょ)には、ホトホト感じ入るばかりです。

  12. あっ、大垣の銀座懐かしい
    ありましたね
    満留美
    貧乏なまんさく家の母親は幼い三人の子どもを1ヶ月に一度タマコシへいき
    満留美によりラーメンをたべるのが楽しみでした

    1. みんなそんものでしたよ。
      家なんて月末近くになって、父の安月給が入って最初の日曜日に、家族三人余所行きに着替えて、バスに揺られ名鉄百貨店へ行ったものです。
      屋上デパートの噴水ジュースを買ってもらって、食堂のお子様ランチと相場は決まっていました。両親は食堂の品書きで一番安い、ラーメンでしたもの。

  13. まんさく様、ラジオでご芳名を存じ上げておりました。大垣の銀座や満留美をご存知でしたか。ぼくは満留美の漢字さえ忘れてしまいました。満留美は銀座がなくなってから、郭町の一角に移り現在は今宿に店を構えております。むかしいただいたラーメンとはすこし味が変わったような気がするのは、ぼくがオジイになったせいかも知れません。いまは大垣市内、マルイ百貨店もタマコシもヤナゲンもなくなりました。イカじじい67もそう遠くないうちに消えていくのです。

    1. 今宿…
      確かに銀座から追い出されてそちらに行ってから一度行ったら味がなんか違ってたかな?
      この前火災起こした麺うぇいってとこは満留美の分家ってきいたことある

  14. オカダさんこんばんわ
    私の地元にも銀座通りがあります
    15~20年前はお店はかなりありましたが今は閉めているお店が多いです
    銀座通りは名鉄新木曽川駅の辺りにあります。
    昭和の時代の時は銀座通りに銭湯♨がありましたよ今はもう無いですよちなみにあの頃は2~3回入ったかなぁ♨
    今思えば昭和時代は懐かしいです

    1. いいもんですよね。
      昭和の香りが残る場所って!って、そんな懐古趣味はぼくだけだろうか?

  15. そんな事ないですよ。オカダさん懐古趣味は皆さん一緒だからオカダさん大丈夫です✋これからも昭和時代を語り合いましょう✌私は好きですよ昭和時代

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