「青森駅前界隈」

店の入り口にもやっぱり「ねぶた」です。

それと杉玉には、やはり雪深い地方だからか、檜皮葺(ひわだぶき)の屋根が葺かれていました。

いいものですね。こんな景観の町並み。ほっと心が解けてゆくのがわかります。

こんな名物婆ちゃんも、現役です。

ポリバケツから釣銭を取り出す姿がとても印象的でした。

そう言えば子供の頃の八百屋さんなんか、天井からゴム紐に括り付けた笊があり、その中にお札やら小銭がたんまり入っていて、八百屋のオジチャンやオバチャンが笊を引っ張り降ろして、釣銭を数えて渡してくれたのを思い出しました。

こんな荒物屋さんも懐かしいものです。

なんだかパステル調の高野豆腐かと思いきや「干もち、美味しいよ!」と津軽訛りでお勧め下さったものの、勢いで買ったはいいが、果たして食べきれるだろうかと、二の足を踏んでしまったものです。

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投稿者: okadaminoru

1957年名古屋市生まれ。名古屋在住。 岐阜県飛騨市観光プロモーション大使、しがない物書き、時代遅れのシンガーソングライター。趣味は、冷蔵庫の残り物で編み出す、究極のエコ「残り物クッキング」。 <著書> 「カカポのてがみ(毎日新聞社刊)」「百人の天職一芸(風媒社刊)」「東海の天職一芸(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸2(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸3(ゆいぽおと刊)」「長良川鉄道ゆるり旅(ゆいぽおと刊)」

「「青森駅前界隈」」への18件のフィードバック

  1. お婆ちゃんとお話しながらのんびり買い物するのも良いですね。お婆ちゃんの津軽なまりはどこか懐かしさを覚えるものがあったのではないでしょうか。
    干し餅はそのまま素揚げにしてお菓子に、ちょつと山椒、七味をふりかけビールのおつまみに。みそ汁にはそのまま入れて食べると美味しいよ。
    餅米100%なので腹持ちが良くなるので食べ過ぎに注意を⚠️

    1. そうか!干もちって、その手があったか!
      揚げたあられは、美味しくってついつい止まらなくなるものです。
      そして後で胸やけで後悔しきりって、何度やっても直らないものですねぇ。

  2. 亀の子束子とP iKALくださ〜いと
    今、欲しいものを探してつい、言いたくなってしまいました。
    なんだか 懐かしいですね。

    1. 最近は、ホームセンターに気圧され、町の中に必ずあった金物屋さんや荒物屋さんも姿を見なくなりましたよね。

  3. おはようございます。袋入りの豆腐言われないと高野豆腐に見えますね。干もちだったのですね。味噌汁の具材にしても揚げてお菓子にしても良いのですね。寒い地方は、杉玉を、檜皮葺の屋根に葺かれるのですね。知りませんでした。景観町並み良いですね。(商店街良いですね。)名物お婆ちゃん現役すごいですね。元気ですね。
    ポリバケツから釣り銭を、取り出す所実際に見て見たいです。良いとですね。今では見ない所ですね。
    (オカダミノルさんの子供の時の話)
    昭和の時の八百屋さんの話 分かりやすかったです。(ゴム紐と竿を使ってお釣を、着けてやっていたのですね。)昭和の時に、タイムスリップして買い物を、して見たいです。
    お店の人とお話を、してゆっくり買い物するのも良いですね。
    今(現在)の朝市見たいですね。

  4. おはようございます。今でも昔からの老舗(ひでか)が、残っていたのですね。

  5. こんにちは。大垣駅前通り新大橋界隈にもむかし、テントを張った露店が沢山ありました。母に連れられて、大好きなとろろ昆布などの乾物を買ってもらった覚えがあります。その隣の荒物屋もディープですね。むかし京都の会社で研究職として働いていた際、こんな感じのお店が七条千本通にありました。実験に使う材料、例えば篩(フルイ)や鍋などを買いに行ったものでした。面白いものでは餃子の成型器もここで購入しました。当時、餃子の皮の冷凍障害抑制のための添加剤を開発していたためです。もう四半世紀ほど前になりますか。おかげさまで大手冷食メーカー様に開発品が採用されました。岐阜県、群馬県および香川県の工場で使われました。

    1. そうでしたか!イカじじい67さん達のたゆまぬ研究の結果を、我々は今もお手軽に冷凍餃子でプッハァと一杯のお世話に慣れている証ですねぇ。
      千本通りは懐かしいですねぇ。

  6. 全てがほんわか…ですよね。
    お店の看板おばあちゃまも(^-^)
    品物よりも おばあちゃまに惹かれて 話しかけて 最後には何か買ってしまうでしょうね❗️私なら(笑)
    高野豆腐…お客様の目に留まるように工夫されてて感心してしまいました。

    1. でしょう!干もちってわかんないですもの。
      てっきり色鮮やかな高野豆腐だとばかり、思い込んでました(苦笑)

  7. 津軽弁で思い出しました。
    中坊の頃の話
    悪がきの家に行った時
    そいつの名前は「一美(かずみ)」
    勿論!男!
    当時は硬派だったので、女性には全く興味がなかったけど
    今じゃ~!その反動で!美熟女!大好きになってしまった(汗)
    話がそれました。
    一美の母親がそいつの名前を呼んだんです。
    そう!津軽弁で「・・・・?」
    何言ってるか?サッパリ分かりませんでした。
    一美が言っていました、「母親は秋田県出身、津軽弁は、日本の(フランス語)だと!」
    そう言われれば、遠からず発音が似ているような!

    1. そうでした、そうでした!
      お好み焼きや焼きそばの舟を新聞紙で包んでくれたものでした。

  8. 天井からゴム紐に括り付けた笊でのお金のやり取りは記憶にあります。
    そうそう、
    包みも新聞紙だっただった(≧▽≦)
    片方から市場に入って反対側に出た時には、
    食材の買い物が終了してるって感じ。
    あの雰囲気なちぃ~なぁ。
    お店の人とのやり取りを見上げる視線で眺めてた幼少の頃。
    時は経ちやり取り出来る大人になったけど、
    そんなやり取りの場は周りから消えていた( ˊ•̥ ̯ •̥`)

    1. 何もかもが対面商法一辺倒だった昭和。
      そこにはいつも、人と人のほっこりした温もりが、他人を慮る精神が十分根付いていたのでしょう。
      それに引き換え、AIとかで何もかも利便性は増したでしょうが、目上の方やご老人に対する、人間として当たり前の事さえ、ぼくらは昭和と言う戻れられない時代へと置き忘れて来てしまったのでしょうか?

  9. お年寄りが働くシーンは街中では大型ショッピングモール、高速道路の料金所など、多く見かけるようになりましたがお婆さんの働く姿の方がホッコリします。

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