「昭和Nostalgia」(583)

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皆さんはもう、今年の銀杏をお召し上がりになりましたでしょうか?

子供の頃のわが家では、茶碗蒸しや塩炒り、天ぷらやら土瓶蒸しやらでも、銀杏が登場したことはありませんでした。

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って、そもそも土瓶蒸しなんてぇものがこの世にあるなんて、大人になってからどなたかのお供でお邪魔した、日本料理店で初体験するまで、わが家にゃ縁遠いものだった気がします。

だから初めて土瓶蒸しに出逢った時は、どんな作法で食してよいのやら、お連れ下さった紳士の所作を真似、恥をかかぬように冷や汗交じりでいただいたものです。

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わが家の食卓に銀杏が上がらなかったのは、お母ちゃんかお父ちゃんのどちらかが嫌いだったのか、はたまた銀杏自体がわが家の食費からして手の出ぬほど高級品だったのやら?

色んな食べ方のある銀杏ですが、皆様はどんな料理法がお好みですか?

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ぼくはもっぱら塩炒り銀杏で、飛騨の銘酒を熱燗でキュ~ッ!

これに勝るものは無し!

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今年もまた、祖父江の銀杏「藤九郎」を送っていただけました。

さっそく今夜あたり、塩炒り銀杏と銀杏の天麩羅で、真宗寺燗を愉しんでみるかぁ!


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「昭和Nostalgia」(582)

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今回取材に向った飛騨市では、やはり何と言っても今年の漢字一文字に選ばれた「熊」との遭遇が、心配事の一つでもありました。

ワイドビューひだを高山で下車し、レンタカーに乗り換え飛騨市へと向かったものです。

国府を越え飛騨市に入り、約束の時間までまだしばらくあり、道の駅アルプ飛騨古川でランチでもと向かった食堂の入り口に!

出たぁ!今年の漢字一文字が!

しかもよりによって二頭とは!

後ずさりしようとしていたぼくを尻目に、地元のオバチャンたちか怯む様子も無く、おしゃべりしながら熊の横を素通りして店内へ!

熊二頭はまったく動く気配も無いじゃないですかぁ!

恐る恐る近寄ると、なんてぇこたぁない、剥製の熊じゃないですかぁ!

てやんでぃ!

小心者のぼくは、こっそり胸を撫でおろしたものです。

その道の駅では、こんな摩訶不思議な自販機を見かけビックリ!

子育て支援も手厚い飛騨市ならではかぁと、感心したものです。

それにしても紙オムツの自販機とは、熊に続いて二度ビックリなランチタイムでしたぁ!


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「昭和Nostalgia」(581)

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今日から3日間、飛騨市の古川町を起点に、河合町、宮川町と「飛騨びと言の葉綴り」の取材で出掛けます。

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今回は、どんな出逢いがある事やら?

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雪国ひだを存分に、堪能してまいりたいと思っています!

今夜は古川も雪かも知れません。

寒い夜はもちろん、アッツアツの真宗寺燗で一献と洒落込むつもりです。


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「昭和Nostalgia」(580)

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ぼくが子どもの頃の芋飴は、こんなビニールの包装紙なんぞで包まれておらず、割り箸に芋飴が手で握ったように、ぼってりとした形で付いていたような気がします。

そんな不格好な芋飴が、ボール紙の箱の中に裸で入れられていて、子どもたちは割り箸部分を手にして、これにしようか?いやいやそっちにしようかと、とっかえひっかえを繰り返し、やっとのことで一つの芋飴を選んだものでした。

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それもそのはず、芋飴の割り箸の先に、当たりか外れの印があり、見事に当たりくじを手にすれば、もう一本芋飴が貰えると言う、とても子供騙しな籤だったものです。

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芋栗南京が苦手なぼくではありましたが、この芋飴は別格!

ぼくもとっかえひっかえ割り箸部分を手にし、迷いからかして一本の芋飴を、確か5円払って買った気がします。

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ぼくが通った一文菓子屋でも、この芋飴くじはとても人気がありました。

今考えると、恐ろしいほど不衛生極まりないものですけど、昭和の子どもたちはまったく恐れを知らぬものでした。

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何でも津軽地方には、こんな「イモあて」なる、美味しそうな籤の芋菓子が今でもあるようです。

何だかとっても美味しそうですねぇ。


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「昭和Nostalgia」(579)

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昨日、とある街角で、こんなモスグリーンのポストを見かけ、ついついパチリ!

よく見ると、ポストの下にスポンサーなのか、ラグビー社会人チーム「TOYOTA VERBLITZ」のロゴが!

昭和半ば生まれの時代遅れのぼくなんか、ついつい投函すべき年賀状を持ったまま、通り過ぎちゃう気がしました。

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昭和生まれのぼくの頭の中には、こんな風にポストは真っ赤と、ついつい決め込んじゃってる節があります。

でもまぁ、郵便制度が始まった明治時代は、こんな郵便ポストだってぇんですから、戦後の昭和24(1949)年に登場した、真っ赤な郵便差出箱1号(丸型)と呼ばれた、鉄製ポストが設置されたのを見て、明治生まれのぼくのお婆ちゃんは、さぞやビックリ仰天したことでしょうねぇ。

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お婆ちゃんが生まれた明治の時代は、こんな木製のポストだったようです。

まぁ、お婆ちゃんが腰を抜かした真っ赤なポストと、令和の時代にぼくがたじろいだモスグリーンのポストと、時代の変遷に伴う仕様変更と言う点では、何のこたぁ無い、一緒の驚きってぇことかぁ!

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一方海外に目を向けると、近代郵便制度発祥の地であるイギリスでは、ポストの登場は、嘉永5(1852)年だったとか。

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またまた、「世界で一番幸せな国」として知られるバヌアツ共和国は、南太平洋に位置する国。

こんなユニークなポストがあるとかないとか?

でも、インクが滲んじゃって使い物にならないような?


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「昭和Nostalgia」(578)

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こんな電動缶切りって、ご覧になった事、ありませんか?

ぼくは中学生になった頃、友の家で見掛け、あまりの便利さにとんでもなく驚いたものでした。

もちろんわが家にゃあ、そんな洒落た物なんてありませんでした。

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でも、何もそんな電動の缶きりじゃ無くたって、普通の缶詰くらいなら、業務用の大きなポンド缶ならいざ知らず、チョチョイノチョイで缶を開けられたって言うのに!

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昭和には、こんな電動缶切りのような、手抜き生活を応援するような、今となってはなぁ~んだかな、そんな電動器具ってぇのが結構あったものでしたねぇ。


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「昭和Nostalgia」(577)

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こんな電動消しゴムなんてぇのをご存知ですか?

ぼくは今日の今日まで知りませんでしたが、ぼくが中学生になった頃には、この世に登場していたんだとか。

少なくともぼくのクラスメイトたちは、誰も使っていた事は無かったと思います。

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でもこんな「電動消しゴム」なんてぇものを持たせてもらっていたとしたら、授業の内容をノートに書き込むよりなにより、それまでの重要な授業のメモまで、一つ残らず夢中で楽しんで消してしまい、テストの前に大いに後悔することになったでしょう。

それはそうと、あのジブリの宮崎監督も、こんな「電動消しゴム」を今でも愛用されているとか。

そもそも昔々は、文字を消すのに「消しパン」なるものが使われていたそうです。

とは言え、わざわざ「消しパン」専用のパンが作られていたわけじゃなくって、賞味期限切れのような、売り物とならなくなったパンが使用されたそうですから、それこそ食品ロスゼロに貢献してたんですねぇ。


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「昭和Nostalgia」(576)

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こんな和風の駄菓子をご存知ありませんか?

ぼくは子どもの頃から餡子好きでしたから、この駄菓子にゃあ目が無かったものです。

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今でもあるんだろうかと、ネットショッピングで探そうと思ったものの、肝心要であるこの駄菓子の名前が、とんと思い出せませんでした。

検索エンジンに「黒団子」とか「砂糖蜜掛け黒団子」とか、思い付くままに打ち込んでは見たものの、なかなか思い通りにヒットしないじゃないですか!

しかし!

もういいやと、あきらめかけた時、この写真を発見!

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果たしてこれと同じ物だったかまでは定かじゃありませんが、そう言えば漉し餡が一口大の団子状に丸められ、それを砂糖蜜でコーティングしたようなものだったと、遠い日の記憶が薄っすらと蘇ってまいりました。

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ぼくの記憶ではこんなビニール袋入りのものではなく、菓子屋さんの店先に並ぶ切り溜めに入っていたものを、量り売りで薄っぺらな白い紙袋に詰めてもらって持ち帰ったように記憶しております。

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駄菓子としての餡子玉とは異なり、和菓子屋さんにはこんなカラフルな餡子玉が並んでいたのを、通りすがりに見かけた事もありました。

でもそうそうおいそれとは、とても買い与えてなど貰えませんでしたねぇ。

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そして検索していると、漉し餡だけじゃなく、こんな粒餡の餡子玉もあるようです。

一丁昔を懐かしんで、近い内に買い求めて見るとしますかぁ!


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子どもの頃、こんな画期的で指に溶けたチョコが引っ付かない、チョコベビーに憧れたものでした。

でも一日10円の小遣いしかなかったぼくにゃあ、高嶺の花!

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遠足の時や、お婆ちゃんがやって来た時に、どさくさに紛れて一門菓子屋へお婆ちゃんを連れ込み、買ってもらう時くらいしか、口に出来なかったものです。

しかも腕白坊主共は、一粒一粒大切に食べるのじゃなく、赤いプラスチックの蓋を開け、そのまま口の中へ思いっきり放り込み、平らげちゃったものです。

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だからこんな、星形やニコちゃんマークが入ったチョコベビーなんて見たこともありませんでした。

でもどうやら、こんなレアなチョコベビーが紛れ込んでいたようです。

皆さんは、こんな星形やニコちゃんマークのチョコベビーを見つけたことがありましたか?

そんな大人気だったチョコベビーは、昭和40(1965)年の生まれとか。

今年で還暦なんですねぇ!

ってことは、敬老パスなんぞも貰えちゃうんでしょうかねぇ?


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「昭和Nostalgia」(574)

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子どもの頃の事、いつだったかもう覚えちゃいませんが、お母ちゃんが何処ぞかで作り方を聞き込んできたのか、缶詰ミカンの入ったババロアが、オヤツの時間に登場したことがありました。

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なんとも「どーよ!」とでも言わんばかりのドヤ顔のお母ちゃんが、「とっておきのババロアって言う、洋風の冷たいプリンみたいなオヤツや!さぁ、お食べ」と。

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ぼくはそれまで、ババロアなるものを食べたことも無く、せいぜいプリンかゼリーくらいのもの。

ババロアは、プリンのような滑らかなものとは異なり、どちらかと言うとゼリーのような食感だった事を覚えています。

そもそもゼリーがちょいと苦手だったぼくには、お母ちゃんの新型オヤツのババロアも不発に終わってしまった気がします。

だからか、わが家のオヤツには、二度とババロアが登場しませんでした。

よくよく考えると、ぼくがババロアを口にしたのは、その時一回だけだったような?

そんなババロアですが、19世紀初頭に現在のドイツ南部に当たる、バイエルン王国の宮廷に仕えていたフランス人シェフが考案されたものだとか。

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そんなにも昔から親しまれた洋風のお菓子だったんですねぇ。

どうにもぼくは、ゼラチンや寒天が苦手で、今もってなかなか手が出そうにありません。


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