「昭和Nostalgia」(506)

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子どもの頃のわが家にも、こんな昭和スタンダードな、湯呑と急須がありましたぁ!

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子供会の集まりや、お葬式のお寺なんかでも、決まってこんな湯呑でお茶が出されていたものです。

町の食堂のテーブルの上には、アルマイトのトレイの上に、こんな湯呑がたくさん載せられていたものでした。

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そしてグラスと言えば、ってえより当時ぼくはコップと読んでおりましたが、こんな模様の付いたモノばかりだった気がいたします。

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そう言えば、総入れ歯だったお父ちゃんが、寝る前に入れ歯を外し、飲み残しの入ったままの湯呑の中に入れ、翌朝になってお母ちゃんに「きったないなぁ!入れ歯を湯呑に入れんといてぇ!」と、幾度も怒られていたのを思い出しちゃいました。

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母方のお婆ちゃんも、わが家に泊まりに来るとお父ちゃん同様で、寝る前に湯呑の中に入れ歯を入れることがあり、翌朝になって湯呑から入れ歯を取り出して口にはめ、湯呑に残ったお茶を飲みほしていたものでした。

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当然ながらお母ちゃんは、そんなお婆ちゃんをこっぴどく叱りつけていたのも、今となっちゃあ懐かしい光景です。


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「昭和Nostalgia」(505)

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こんな国盗り物語のような、スライドパズルゲームなんてぇのもあったんですねぇ。

戦国時代の歴史好きにゃあ、たまらないゲームかも知れませんですねぇ。

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ぼくが子どもの頃、夢中になったスライドパズルは、こんなどこの駄菓子屋でも売っていたような、非常にチープでスタンダードなモノでした。

でもこれがまた厄介で、なかなか思う通りに並べ替えられず、癇癪を起したこともシバシバ。

そしてついには音を上げ、諦めて投げ出しふて寝を決め込んだりしたこともありました。

しかし翌朝目を覚ますと、枕元のスライドバズルが、ちゃんと順序良く整列しちゃってるじゃありませんか!

きっとお父ちゃんが見るに見かねて、完成させてくれていたんでしょうねぇ。

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こんな「箱入り娘」ってぇパズルもあるようですねぇ。

奉公人やご両親にガッチリと護り抜かれた「お嬢様」を、それぞれのパズルをスライドさせ、「お嬢様」を箱から出して差し上げるってぇ、そんなストーリーのようです。

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こちらは三国志をモチーフにした、スライドパズルのようですが、これまたそもそも三国志自体を知ってなきゃあ、何ともチンプンカンプンなゲームになっちゃいそうですねぇ。

いずれのパズルも、何かにつけ直ぐに音を上げちゃうぼくにゃあ、不似合い過ぎるゲームの一つだったに違いありません。

なんてぇこった~っ!


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「昭和Nostalgia」(504)

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こんなヘンテコな「マジックフラワー」なるものをご存知ですか?

ぼくは高校生になった頃だったか、名古屋駅の地下街ユニモールにあった「王様のアイデア」のショーウィンドーで眺めたことがあったような?無かったような?

宇宙からやって来た「マジックフラワー」とか言うものだそうで、受け皿に粉を撒くと蕾がふくらみ、やがて満開になるんだとか。

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ぼくは友人の誕生日のお祝いとかで、何か気の利いたものが無いかと、「王様のアイデア」を何度か覗いたものでした。

もう何が並んでいたのか、何を買ったのかも、これっぽっちも記憶にありませんが、ちょっと調べてみると前にもブログに書いた、こんなものやらあんなものやらまで、「王様のアイデア」のヒット商品であったとか。

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とにかく見ているだけでも十分に楽しめた、そんな名店であったように感じられます。


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「昭和Nostalgia」(503)

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今日は「昭和」ではなく、「令和」の今の世のお話です。

これは何もバーベキューで、キノコを焼いている写真ではありません。

名古屋市内の国道に面した歩道の街路樹が、老朽化して倒木となる事故があって以来、樹木医か市の環境課だかが街路樹の診断をし、倒木の恐れがある街路樹が伐採され、撤去されておりました。

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その一つがこの街路樹で、幹の太さはゆうに1m超えの大木です。

切り株の上を上下左右に碁盤の目のように、チェーンソーで切り込みを入れているからか、どーにもこーにもバーベキューの網のようにみえちゃうから不思議です。

そしてその傍らには、どこからやって来たのか、名も知らぬキノコの菌が付着し、まるで立派な原木キノコのように成長しちゃって!

だから遠目に見ると、丸太を刳り貫いた竈に網をかけ、バーベキューさながらにキノコを焼いているかのように見えちゃったんです。

まだまだ糞あっつい毎日ですが、そこはかとなく秋の気配が感じられる、ハーベストな光景でした。

これが毒キノコっぽいモノじゃなくって、マツタケだったら・・・。

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もう待ちきれずに、キリン「晴れ風」で乾杯~っと、洒落込んじゃうんですけどねぇ。


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「昭和Nostalgia」(502)

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旅シーズンだった夏休みも、残すところ後わずかとなってしまいました。

子どもの頃も、高齢者のお仲間入りをさせていただいた今となっても、旅と言えば列車の中で味わう駅弁だぁ~っと、未だにそう思い込んでいる節があります。

そんな駅弁にゃあ、子どもの頃からこんな3点セットが必ず付いていたものでした。

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何は無くとも無くちゃならない、駅弁を思いっきり頬張るための「割り箸」。

そしてその前に手を拭いたり口の汚れを拭ったりする「ポイ捨てお手拭き」。

さらに食後のシーハーシーハーに欠かせぬ「爪楊枝」と。

中でも「ポイ捨てお手拭き」は、消毒液に浸され四つ折りにされた小さなもので、大人が手を拭くにゃあ小さ過ぎて、ほんの気休めのようなものでした。

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でもお母ちゃんは、そんな駅弁のお手拭きをその場で使わず、旅先から大切に持ち帰っていましたねぇ。

だから何でも入っている、ドラエモンのポケットさながらの、お母ちゃんのバッグには、飴玉やティッシュペーパー、喫茶店から持ち帰ったコーヒーのお供のピーナッッの小袋やらマドレーヌ、更にはモーニングサービスに付いていたゆで卵と、紙ナプキンに包んで持ち帰った塩と一緒に、いざと言う時のためにと「ポイ捨てお手拭き」も忍ばせていたものでした。

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それらが大活躍した時がありました。

ぼくが26歳となった年、お父ちゃんが前頭葉大動脈破裂で、緊急の大手術を受けた時でした。

「手術中」の赤いランプが点灯する、手術室前の待合で、あまりにも長時間の手術時間となり、不謹慎にもぼくのお腹が「グゥ~ッ」と悲鳴を上げてしまったのです。

すると沈痛な面持ちのお母ちゃんが、ドラエモンのポケットのようなバッグをまさぐり、煎餅やらビスケットを探り出しぼくに差し出してくれたものでした。

そして食べ終えるとお母ちゃんは、何も言わずに「ポイ捨てお手拭き」を取り出し、口を拭うようにとジェスチャーで指示したまではよかったものの、いつ手に入れた「ポイ捨てお手拭き」だったのやら?

消毒液もすっかり蒸発してしまっており、カサカサだった事を思い出しちゃいました。


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子どもの頃のわが家の玄関の引き戸の鍵は、こんな感じの回転式の平べったい鍵でした。

小学生の頃は、お母ちゃんが「一人っ子だから、小学生時代から鍵っ子にするのはかわいそうだ」と、家でぼくの帰りを待ちながら、紳士服の縫製の内職なんかをしておりました。

だから放課後引き戸を開け「ただいま~っ」と叫べば、「お帰り~っ」とお母ちゃんの声が鸚鵡返しに聞こえたものでした。

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とは言え、町内の用事とかで止む無く家を留守にするときは、「玄関脇の植木鉢の下に、鍵を隠しとくで、それで鍵開けて家にはいるんやで」と、言い付けられたものです。

でもそれは何もわが家だけの事じゃなく、お向かいのサッチャン家も、斜向えのジュン君家でも同じように、玄関の鍵が植木鉢の底に隠されていたものでした。

それでも空き巣が入り込むことも無く、平穏に暮らせていたのですから、今から思うと何とも考えられぬほど、治安も良かったってぇ事なんでしょうねぇ。

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そう言えば、窓の鍵やらもこんな感じ!

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そして自転車小屋の入り口なんて、たやすく抉じ開けられそうな南京錠で施錠されていたものでした。

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せいぜいちょっと立派な南京錠は、こんなダイヤル式のものでしたが、印の所に数字を合わせ開錠する、その肝心要の暗号数字を忘れてしまい、いざ開けようとして、家族全員で大騒動したこともありました。

たった三桁の暗証番号すら思い出せず、それを書いたメモ書きをどこへ仕舞い込んだのかさえ、誰も思い出せないなんて、はぁ~あ~まったく持って世も末でございました!


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「昭和Nostalgia」(500)

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最近ずいぶん久しぶりに、こんなのにお目に掛っちゃいました。

懐かしなぁ・・・でも待てよ、これってぼくが子どもの頃にお目に掛ったものだったろうか?

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いやいや、子どもの頃にゃあ、こんな動く飾り物なんて無かったんじゃないのか?

それになんてぇ名前のモノだったのやら?

もうそう思うと気になってきになっちゃって!

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調べると、「フラワーロック」と言う名だそうで、周辺の音に反応して踊るんだとか。

ぼくも体と言うかヒマワリが茎をくねらせ、あたかも踊っているような姿を見たことがあります。

さて、それがどこだったのか?いつのことだったのか?

疑問が矢継ぎ早に頭の中を交錯して・・・。

どうやら昭和も終焉を迎える寸前の、昭和63(1988)年にタカラから発売されたとありました。

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ってぇ事は、随分大人になってからの事であり、喫茶店だったのかバーやスナックで見かけたものなのか、恐らくそんな頃の事だったのでしょう。

しかしまぁ、記憶ってぇのは、そんな程度のモノなんでしょうねぇ。

いやはや・・・。


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「昭和Nostalgia」(499)

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こんな感じのフルーツ用のフォークって、わが家にもあったような、いや待て、無かったのかなぁ?

そうだ!

小学2年か3年の夏休み。

1学期の初めに転校してきたばかりの、同じクラスの友の家に遊びに行った時の事。

ちょっとハイカラな友の家で、「おやつにどうぞ!」と出てきたのが、こんなフルーツポンチとやら!

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わが家じゃ逆立ちしたってお目に掛れないようなハイカラな代物で、一体全体何をどうやって食べたらいいのかさえもわからず、もうタジタジ。

友が食べるその所作通りに、「えっ、食べたことないの?」とまかり間違っても言われぬよう、子どもながらに見栄を張った記憶があります。

そうだ!

その時、フルーツポンチの入ったガラスの器に添えてあったのが、こんなフルーツ用の小さなフォークでした。

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よくよく思い出してみると、フルーツポンチなんて、その時友の家で食べたのが最初で最後。

だからどんな味がしたのやら?

さっぱり思い出せそうにありません。

とは言え、高齢者の仲間入りを果たした今さら、フルーツポンチってぇ柄でもありませんものねぇ。

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やっぱ、ぼかぁキリンの晴れ風ですねぇ!


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臨時のお知らせです!「KIRIN BEER PRESENT’S  オカダミノル  ほろ酔い Live 2025~秋涼の候 in C♭」 キャンセルが数席出ましたため、追加のご参加を受け付けます!!!

●日 時:2025年 10月12日(日)

     14:00開場、14:30頃開演、

     16:00頃終了

●会 場:MUSIC & BAR 『C♭』

     岐阜市神田町7-7-3 神田セ

     ブンビル 2F 

     058-266-4477

●出 演:オカダミノル

●参加費:お一人様Live Charge 

     4,000円(「キリン・一番搾

     り」「キリン・晴れ風」

     「キリン・氷結レモン」「キリ

     ン・グリーンズフリー(ノン

     アルコールビール)」の飲み

     放題)  

     *ソフトドリンクをご希望の

      方は、「C♭」において1ド

      リンク500円で、ご注文い

      ただくことも可能です。

      またソフトドリンクの持ち

      込みも可能です。

     *おつまみは参加者各自で、

      お持ち込み願います。

     *参加者全員に、KIRIN

      BEERさんからお土産も

      あります!

●定 員:キャンセル分数席(全席自由席)

●申込み:メールで、

     horoyoilive@yahoo.co.jp

     「オカダミノルほろ酔いLive

     2025」係まで。

     ※お名前、ご住所、お電話番

      号、参加人数をお書き添え

      願います。

     *万が一キャンセルの場合

      は、必ず2025年 9月30日

      (火)17:00までにメールで

      ご連絡願います。その時点

      を過ぎると、全額負担とさ

      せていただきます。

●締 切: *先着順、定員となり次第締

      め切り

●問合せ:horoyoilive@yahoo.co.jp

●主 催:オカダミノルほろ酔いLive実

     行委員会

●特別協賛:KIRIN BEER

二次会のご案内です。

ライブ終了後、17:00頃~名鉄岐阜駅周辺の居酒屋で、二次会を開催いたします。(料理7品・120分飲み放題付でお一人様 約3.000円程度の予定)二次会への参加希望の方は、「二次会参加」とライブの申し込み時にお書き添え願います。

「昭和Nostalgia」(498)

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昭和半ば生まれのぼくにとって、夏休みは海水浴やプール、そして昆虫採集に盆踊りと、愉しみがいっぱいだったものでした。

中でもお父ちゃんやお母ちゃんに連れられ、映画館で「ゴジラ」なんぞの話題作を見せて貰うと、もう天にも昇るほど嬉しくってなりませんでした。

参考

ある日曜の朝、お父ちゃんが「今日、映画へでも連れてったろか?」と、思わせぶりに言うじゃないですか!

そりゃあもう、こんなチャンスを逃してなるものかと、二つ返事で「行く行く~っ」と。

ところがどっこい!

参考

お目当ての「ゴジラ」なんかじゃなく、確か「連合艦隊司令長官 山本五十六(昭和43年封切)」だったような?

ぼくは幕間に「お煎にキャラメル~っ、アイスクリーム」とやって来る、売り子のお姉さんに首っ丈!

ぼくが物欲しそうな顔をしていると、「あれは高いで、帰りにバス停の菓子屋でこうたるで、我慢しぃ」とお父ちゃん。

映画の幕間に客席で食べるからこそ、普段と同じキャラメルやアイスクリームだって、もっともっと美味しいのに~っ」と、ぼくは残念で残念でならなかったものです。

いつの間に、映画館の煎餅売りは姿を消したのやら?

それはそうと、陸軍の歩兵部隊として出兵していた父は、なぜに海軍の映画を見る気になったのやら?

生涯そのわけを、お父ちゃんに聞かず仕舞いでした。

もしかしたら、陸軍の映画を見ると、思い出したくもない、心の奥底に封印した、悲惨な戦地での戦友たちの断末魔の姿を想い出してしまうからか?

そんな心の傷のトラウマが、あったのやもしれませんねぇ。

生涯一度も、戦地での事を何一つ話すことなくこの世を去った父。

もう二度と、父と同じような思いを抱かなくて済む、そんな世が一日も永く続いてくれることを、ただただ祈るしかぼくには術がありません。


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