「昭和Nostalgia」(525)

https://youtu.be/3CeTEMdXC7I

※遅まきながら、ぼくもフェイスブックとやらを始めました!まだまだ充実しておりませんが、ぜひ一度お越しください!Facebook

P20kotonohaのコピー

フルサイズの長文は、こちらから!

飛騨びと言の葉綴り~神岡町・山口正一さん – 飛騨市公式ウェブサイト


今日の「昭和Nostalgia」はコチラ!

写真拝見

そう言えばこんな、チューインガムの手動の自販機も見かけたものでした。

さて、こんな洒落た自販機!

いったいどこで見かけたものやら?

写真拝見

間違いなく言えるのは、毎日毎日足蹴く通い詰めた、駄菓子屋の「トシ君家」の店じゃなかったことは間違いないはずです。

この自販機を初めて目にした時は、そりゃあもうカラフルな真ん丸のチューインガムに魅せられ、買って欲しくって買って欲しくって!

確か朧げな記憶によれば、10円玉を前面の窪みに投入し、レバーをガチャガチャの要領で回すと、チューインガムが一つ転がり出ると言う仕掛けだったような?

でも家のお母ちゃんは、頑として買ってはくれなかったものです。

「そんなもん、ガムが裸で出て来るんやで、汚らしい」とかなんとか、何だか偏見に満ちた言い訳の様でもあったものです。

だから初めてチューインガムの自販機にトライしたのは、反抗期に入ってからのことだったのかも知れません。

でも、もうそんな歳の頃になると、カラフルなガムが一杯入った自販機を初めて目にして、心ときめかせた頃とは異なり、もうすっかり色褪せて見えていたような?

ただただアメリカンな甘さを、半ば持ち余すかのように、仕方なく噛んだような記憶が!

写真拝見

なかにゃあこんな、ピーナッツのようなものの手動自販機ってぇのもありましたですねぇ。

ぼくは買った事がありませんが!


このブログのコメント欄には、皆様に開示しても良いコメントをドンドンご掲示いただき、またその他のメッセージにつきましては、minoruokadahitoristudio@gmail.comへメールをいただければ幸いです。

「昭和Nostalgia」(524)

https://youtu.be/3CeTEMdXC7I

※遅まきながら、ぼくもフェイスブックとやらを始めました!まだまだ充実しておりませんが、ぜひ一度お越しください!Facebook

P20kotonohaのコピー

フルサイズの長文は、こちらから!

飛騨びと言の葉綴り~神岡町・山口正一さん – 飛騨市公式ウェブサイト


今日の「昭和Nostalgia」はコチラ!

参考

小学校の低学年の頃の事。

わが家の玄関先で、どこからか風に飛ばされて来たのか、洗濯物のような女子用の白いブラジャーが、落っこちていたのです。

写真は参考

わが家は両親とぼくの3人家族でしたから、ましてや母は年がら年中下着はシミーズで、ブラジャーなんてぇ代物をしたことも無い人でしたから、ぼくにとっちゃあ女子用の白いブラジャーが、一体何者なのか、知る由も無かったのです。

「お母ちゃん、玄関にこんなもんが落ちてたー」と、家に駆け込んでお母ちゃんに見せると、「なんやー、乳バンドやないか!きっとお向かいの、サッチャン家のお姉ちゃんのが、風で飛ばされて来たんや」と、そう言うと白いブラジャーを掴んで、お母ちゃんはお向かいのサッチャン家へ。

写真は参考

ですからその時点でぼくは、ブラジャーなる言葉自体を知らず、お母ちゃんが言った「乳バンド」と言うその言葉だけが、ぼくの心の中に記憶されてしまったようです。

しかし小学校の高学年になって、保健体育の時間だったかに、女子のブラジャーの事をさも知ったかぶりで「乳バンドやぁ!」と囃し立てちゃったものだから、まわりのクラスメイトから「なんやー、その乳バンドってぇのは?」なんて、散々いじられたものでした。

参考

しかしまぁ、「乳バンド」という名は、あまりにも色っぽさに欠ける、実用的な商品名であったものです。

ぼくのお母ちゃんは、結局終生乳バンドならぬブラジャーを、身に着けることはありませんでした。


このブログのコメント欄には、皆様に開示しても良いコメントをドンドンご掲示いただき、またその他のメッセージにつきましては、minoruokadahitoristudio@gmail.comへメールをいただければ幸いです。

「昭和Nostalgia」(523)

https://youtu.be/3CeTEMdXC7I

※遅まきながら、ぼくもフェイスブックとやらを始めました!まだまだ充実しておりませんが、ぜひ一度お越しください!Facebook

P20kotonohaのコピー

フルサイズの長文は、こちらから!

飛騨びと言の葉綴り~神岡町・山口正一さん – 飛騨市公式ウェブサイト


今日の「昭和Nostalgia」はコチラ!

写真は参考

子どもの頃は、今の様にスマホもLINEのような、そんなお手軽な通信手段を持たなかったのに、「今度の日曜日に、どこそこの家で上棟の餅投げがあるぞ!」とか、「どこそこで嫁入りの菓子撒きがあるから行くぞ!」ってな情報が、瞬時に町内を駆け巡ったものでした。

写真は参考

上棟式の持ち投げともなれば、割烹着姿のオバチャン達や、捩じり鉢巻きに鯉口シャツ姿のオッチャン達、それにタモやグローブを手にした子どもらで、大賑わいだったものです。

もちろん紅白のお餅のお裾分けにあやかりたい想いが、そりゃあもう大半だったに違いありませんが、上棟式の餅投げや嫁入りの菓子撒きってぇのは、地域の一つのお祭りのようなモノでもありました。

でも大半の紅白餅にしろ、嫁入りの菓子にせよ、割烹着の裾の両端を両手で掴んで、パラシュートの様に広げて、餅なり菓子などを一網打尽に物凄い形相で掬い集めるオバチャンたちには、子どもらなんて手も足も出なかったものでした。

写真は参考

もともと上棟式での餅撒きは、「散餅散銭(さんぺいさんせん)の儀」という、土地の神に対するお供えの意味があるのだとか。

またそれには、厄祓いの意味も含まれていて、餅を撒くことで厄を祓うことが出来る、つまり餅を拾った人が厄を持ち帰ってくれるとも、考えられていたと。

ってぇことは、割烹着の裾を広げて、誰よりも沢山餅を拾い集めていた、あのがめついオバチャンは、人よりそれだけ多くの厄を持ち帰ってくれたってぇ事か!

そいつぁーそいつで、感謝しなきゃ!

でもこの上棟式の餅投げは、ご近所衆に対し、建前をした施主が、「今後仲間入りをさせていただきます。よろしくお願いいたします」の意味を兼ね備えて居たんでしょうねぇ。


このブログのコメント欄には、皆様に開示しても良いコメントをドンドンご掲示いただき、またその他のメッセージにつきましては、minoruokadahitoristudio@gmail.comへメールをいただければ幸いです。

「昭和Nostalgia」(522)

https://youtu.be/3CeTEMdXC7I

※遅まきながら、ぼくもフェイスブックとやらを始めました!まだまだ充実しておりませんが、ぜひ一度お越しください!Facebook

P20kotonohaのコピー

フルサイズの長文は、こちらから!

飛騨びと言の葉綴り~神岡町・山口正一さん – 飛騨市公式ウェブサイト


今日の「昭和Nostalgia」はコチラ!

写真は参考

これこれ!

ぼくはこの塩味と食感が大好きでした!

森永の「スピン」ですねぇ!

写真は参考

まだこの前食べたばかりなのに?と思い、それがいつの事だったのやら思い出せずにいましたが、調べてみて何ともはやビックリ仰天!

2020年に製造工場の閉鎖にともない、販売が終了していたとか!

じゃあ、ぼくが最後に「スピン」を食べたのは、いったいいつの事だったのやら?

果たしてそれは、大人になってスナックとかで、酒のつまみとして供されたのか、はたまたそれよりもずっと昔、中高生の頃に食べたのが最後だったのか?

写真は参考

少なくとも2000年よりも、やっぱりずっとずっと前だったような?

不鮮明な記憶の欠片は、川面に浮かぶボールを、竹竿でこちらへと手繰り寄せるようなもので、思い出しそうになったと思ったら、また竹竿の先からボールが素抜け川の真ん中へと揺蕩ってしまうようなもの。

まぁ、こんな齢になりゃあ、そんな事ばっかりでございます。

それにしても、この「スピン」は好きなお菓子の一つでしたねぇ。

写真は参考

何でも「スピン」は、昭和44(1969)年に、カレー、バター、チーズ味の3種類の「スピン」として発売されたようです。

と言う事は、発売当時ぼくは、まだ小学5年生の頃の事だったってぇ事になっちゃうんですねぇ。

まったく嫌ですねぇ。

記憶は薄れゆくばかり!


このブログのコメント欄には、皆様に開示しても良いコメントをドンドンご掲示いただき、またその他のメッセージにつきましては、minoruokadahitoristudio@gmail.comへメールをいただければ幸いです。

「昭和Nostalgia」(521)

https://youtu.be/3CeTEMdXC7I

※遅まきながら、ぼくもフェイスブックとやらを始めました!まだまだ充実しておりませんが、ぜひ一度お越しください!Facebook

P20kotonohaのコピー

フルサイズの長文は、こちらから!

飛騨びと言の葉綴り~神岡町・山口正一さん – 飛騨市公式ウェブサイト


今日の「昭和Nostalgia」はコチラ!

写真は参考

ご覧のウエハースサンドは、ぼくの子供の頃の、ちょっと贅沢な大好物でもありました。

あのウエハースの食感が好きで、スーパーの菓子パン売り場で、懐かしの三角ウエハースサンドを見かけようものなら、ついつい手を伸ばしてしまいそうになるのも、子どもの頃の習い性の一つなんでしょうねぇ。

写真は参考

単にクリームやジャムを挟んだだけのモノや、ジャムやクリームをたっぷり塗ったスポンジカステラを挟んだモノやら、とにかくウエハースが付いていたらそれだけで十分なほど、ウエハースにゃあ目がありませんでした。

口の中の上顎にウエハースが引っ付いてしまい、それを缶蹴りなんぞをして遊びながら、ゆっくりと唾液で溶かし、遊びながらウエハースの残骸を、愉しむのも好きでした。

このウエハースは、英語のwaferで、語源は、中世のオランダやベルギー、そしてドイツ北部で使用された、蜂の巣を意味する「wâfel」から来ているんだとか。

写真は参考

何でもゴーフルやワッフルも語源は同じようで、蜂の巣状の凹凸のある焼き菓子を指しているようです。

写真は参考

既に14世紀には、英国でウエハースとして街中で売られていたんだとか。

そう思うと、ウエハースは約7世紀近くも、今もって世界の人々に愛され続けているものなんですねぇ。

写真は参考

あ~あ、なんだか食べたくなって来ちゃったぁ!


このブログのコメント欄には、皆様に開示しても良いコメントをドンドンご掲示いただき、またその他のメッセージにつきましては、minoruokadahitoristudio@gmail.comへメールをいただければ幸いです。

「昭和Nostalgia」(520)

https://youtu.be/3CeTEMdXC7I

※遅まきながら、ぼくもフェイスブックとやらを始めました!まだまだ充実しておりませんが、ぜひ一度お越しください!Facebook

P20kotonohaのコピー

フルサイズの長文は、こちらから!

飛騨びと言の葉綴り~神岡町・山口正一さん – 飛騨市公式ウェブサイト


今日の「昭和Nostalgia」はコチラ!

写真は参考

小学校の2~3年生になった頃のこと。

こんな俗に言う、シークレットブーツとやらを、わが家の玄関の三和土で初めて目にしたものです。

明らかにいつも見慣れた、お父ちゃんの通勤用の革靴とは異なるものです。

その日のそれより少し前の事。

学校からの帰り道、わが家が目前に迫った頃、見覚えのない背広姿のオジサンに声を掛けられました。

「おお~いっ、もしかしてミノ君やないか?」

そう親し気に名を呼ばれたものの、ぼくには誰なのかチンプンカンプン。

背がとても高くスラッとした、背広姿のオジサンはぼくを伴いわが家へ。

玄関の引き戸を開けながら、オジサンが「Nです、すっかりご無沙汰しちゃって!」と声を掛けると、慌ててお母ちゃんが飛び出してまいりました。

そしてお母ちゃんは玄関の三和土へと降り、下駄を履いてオジサンを出迎えたのです。

「N君かいな。ちょっと見ん間に、背も伸びて、えろう立派になって!お父ちゃんも直に帰って来るやろで、まあ上がって上がって」と、お母ちゃんがオジサンを見上げた。

写真は参考

ところが茶の間に入ると、アレレッ?

さっき玄関では、お母ちゃんが見上げるほど、お母ちゃんより頭一つ分も背が高かったオジサンのはずが・・・。

お母ちゃんはオジサンを見上げるどころか、オジサンの目の高さはお母ちゃんの目の高さとほぼ同等。

「あれっ、さっきは見上げるほど背が伸びたと思ったのに・・・?」と首をかしげるお母ちゃん。

オジサンは照れ臭そうな顔で、「あの革靴なぁ、あれ底上げやねん」と。

そんなペテンのような履物がこの世に存在していることを、ぼくは初めて知ったものでした。

でもまぁ、それは何もオジサンだけではなく、何でも古くはあのナポレオンも履いていたとか、近代ではスターリンやヒトラーなど、事の真偽の程は別として、古今東西数多の権力者や著名人が、上げ底靴を履いていたとする説もあるそうな?

いつの世も、男は見てくれを気にする生き物なんでしょうかねぇ?


このブログのコメント欄には、皆様に開示しても良いコメントをドンドンご掲示いただき、またその他のメッセージにつきましては、minoruokadahitoristudio@gmail.comへメールをいただければ幸いです。

「昭和Nostalgia」(519)

https://youtu.be/3CeTEMdXC7I

※遅まきながら、ぼくもフェイスブックとやらを始めました!まだまだ充実しておりませんが、ぜひ一度お越しください!Facebook

P20kotonohaのコピー

フルサイズの長文は、こちらから!

飛騨びと言の葉綴り~神岡町・山口正一さん – 飛騨市公式ウェブサイト


今日の「昭和Nostalgia」はコチラ!

写真は参考

昭和半ばの腕白坊主にとっちゃあ、牛乳に浸して柔らかくなったコーンフレークの朝食に、憧れたものでした。

写真は参考

TVのコマーシャルの影響と、ご近所のハイカラな家の子に、朝ご飯の代わりにコーンフレークを食べて来たって話を聞く度、とても羨ましく思え、お母ちゃんにせがんだものでした。

しかし!「日本人の朝ご飯は、昔からご飯と味噌汁に鰯の干物、それと味付け海苔って決まっとんやぁ」と、お母ちゃんは鼻もひっかけようとはしなかったものです。

ところがどういう風の吹き回しだったのやら、その日の朝餉の食卓の、中央にシスコーンの箱がデーン!

写真は参考

とは言え、ぼくの前の食卓には、空っぽのご飯茶碗と茄子のお味噌汁、そしていつもの味付け海苔が!

写真は参考

いったいどうなる事やらと目を見張っていると、シスコーンの箱を開け、お母ちゃんがぼくのご飯茶碗の中へ、コーンフレークをジャラジャラと入れ、その上から牛乳を注いだのです!

せめてご飯茶碗じゃなく、ちょっとはお洒落な洋物のボウルにでも入れてくれりゃあ、アメリカのホームドラマの朝食のシーンさながらだったのにぃ!

って、待てよ!

ミルクコーヒーや紅茶の代わりが、茄子の味噌汁かぁ?

まったく、なんてぇこった!


このブログのコメント欄には、皆様に開示しても良いコメントをドンドンご掲示いただき、またその他のメッセージにつきましては、minoruokadahitoristudio@gmail.comへメールをいただければ幸いです。

「昭和Nostalgia」(518)

https://youtu.be/3CeTEMdXC7I

※遅まきながら、ぼくもフェイスブックとやらを始めました!まだまだ充実しておりませんが、ぜひ一度お越しください!Facebook

P20kotonohaのコピー

フルサイズの長文は、こちらから!

飛騨びと言の葉綴り~神岡町・山口正一さん – 飛騨市公式ウェブサイト


今日の「昭和Nostalgia」はコチラ!

写真は参考

随分と大人になってからの、昭和も掉尾を飾るような晩年の事。

こんな不思議な不思議な、口の中で爆発するかのような、砕かれたキャンディーのようなものを口にし、昭和半ば生まれの腕白坊主は、ただただカルチャーショックを被ったものでした。

写真は参考

口に含んだ瞬間、小さなドンパッチの欠片が口の中で騒ぎ出し、何とも言えぬ感覚を味わったものでした。

写真は参考

もう今となっては手に入らぬだろうかと調べてみると、2000年に製造販売が終了していました。

このドンパッチは、1979年に味の素ゼネラルフーヅ(現・味の素AGF)から発売されたもので、その何ともユニークな食感で、たちまち一世を風靡したキャンディーでした。

写真は参考

口に含むと、パチパチと音を立てながら弾ける、驚きの食感が特徴で、多くの子どもたちの心を鷲掴みにしたようです。

って、ぼくが初めて口にした頃は、既に立派な大人になっていた頃ですが、それでも子どもたちに負けず劣らず、とんでもなく驚かされたものでした。

現在は、いくつかの類似品が製造販売されているようです。

写真は参考

そもそもは、1956年にアメリカ・ゼネラルフーヅ社の研究員、ウィリアム・ミッチェルが考案したとか。

キャンディが口内で溶けると封入された炭酸が発泡し、パチパチと弾けるのが特徴で、それが人気の的になったとか。

今度類似品でも買い求め、良く冷やした焼酎に入れて、サワーの様にでも愉しんでみますかぁ!


このブログのコメント欄には、皆様に開示しても良いコメントをドンドンご掲示いただき、またその他のメッセージにつきましては、minoruokadahitoristudio@gmail.comへメールをいただければ幸いです。

「昭和Nostalgia」(517)

https://youtu.be/3CeTEMdXC7I

※遅まきながら、ぼくもフェイスブックとやらを始めました!まだまだ充実しておりませんが、ぜひ一度お越しください!Facebook

P20kotonohaのコピー

フルサイズの長文は、こちらから!

飛騨びと言の葉綴り~神岡町・山口正一さん – 飛騨市公式ウェブサイト


今日の「昭和Nostalgia」はコチラ!

写真は参考

この何とも懐かしい、クルクルッと巻き上げられたお煎餅、ご記憶にありませんか?

きっと今でもスタンダードなお菓子として、スーパーのお菓子売り場のどこかで、販売されているのかも知れませんが、まずもってお菓子売り場を素通りしてしまうぼくには、子どもの頃に食べた記憶の中のお煎餅としか思えません。

ところで皆々様は、このお煎餅の名前をご存知ですか?

写真は参考

ぼくは知る由もありませんでしたが、調べてみると「京せんべい 絹巻き」と呼ばれる、江戸時代の昔から伝わるお菓子なんだとか。

職人が砂糖と水飴を、丁寧に練り上げた飴菓子の『有平糖』を、胡麻入りのお煎餅でクルクルッと巻き、1本1本手焼きで仕上げたものだとか。

写真は参考

そうかぁ!あのクルクル煎餅の中の白いものは、砂糖菓子の有平糖だったんだぁ!

その有平糖のホロホロッとした食感と上品な甘さ、そしてほんのり香る胡麻風味の煎餅は、とても素朴でありながらも絶妙な味わいです。

わが家で食べた「絹巻き」は、果たして渋チンなお母ちゃんが買って来たものなのか、或いはどなたかの手土産だったのか、お茶請けとして美味しくいただいた幼き日が偲ばれます。


このブログのコメント欄には、皆様に開示しても良いコメントをドンドンご掲示いただき、またその他のメッセージにつきましては、minoruokadahitoristudio@gmail.comへメールをいただければ幸いです。

「昭和Nostalgia」(516)

https://youtu.be/3CeTEMdXC7I

※遅まきながら、ぼくもフェイスブックとやらを始めました!まだまだ充実しておりませんが、ぜひ一度お越しください!Facebook

P20kotonohaのコピー

フルサイズの長文は、こちらから!

飛騨びと言の葉綴り~神岡町・山口正一さん – 飛騨市公式ウェブサイト


今日の「昭和Nostalgia」はコチラ!

写真は参考

こんな森永の「エンゼルパイ」って、ご存知ですか?

冒頭の写真は、森永製菓のHPによれば、昭和36(1961)年の誕生当時のパッケージのもののようで、当時は1個20円だったとか。

「エンゼルパイ」の特長は、チョコレートとマシュマロにビスケットと言う、この3つの馨しさが醸し出した初めての食感でした。

写真は参考

高級なイメージのあったマシュマロ。

そして森永製菓が創業当時から力を注いだチョコレート。

それに森永製菓看板商品のビスケット。

この三種の神器ならぬ、子どもたちの羨望の的とでも言うべき、三種のお菓子が組み合わされちゃったんですから、もうまさに天下無敵だったわけです。

写真は参考

でも子どもの頃、憧れて憧れてならなかった「森永のエンゼルパイ」は、ぼくの記憶の中ではこんな箱入りだったと思っておりましたが、何だか微妙なところです!

森永製菓さんのHPの年表を拝見すると、ぼくの小学校の遠足は、こっちのパッケージの1個30円時代だったのかも?

写真は参考

いずれにしても、当時の遠足のお菓子代の中では、群を抜いて高価な逸品であり、子どもたちの人気の的であったに違いありません。

なんだか無性に「エンゼルパイ」が食べたくなっちゃいましたぁ!

こんどスーパーのお菓子売り場を覗いて手に入れたら、ウイスキーの水割りのあてにでもしてみますかぁ!


このブログのコメント欄には、皆様に開示しても良いコメントをドンドンご掲示いただき、またその他のメッセージにつきましては、minoruokadahitoristudio@gmail.comへメールをいただければ幸いです。