「昭和Nostalgia」(554)

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まだ小学校の低学年の頃、家風呂が出来るまでは、お父ちゃんやお母ちゃんと銭湯通いをしたものです。

中でも興味津々でならなかったのが、「電気風呂」!

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お父ちゃんもお母ちゃんも、気持ちよさそうに入っているのを見ると、ついついどんなに馨しいお風呂なんだろうと、手を突っ込んでみたり爪先をオッカナビックリで突っ込んでは見るものの、何やらビリビリっと来るようで、ご老人や大人ばかりが入っている「電気風呂」に入るなんてぇ事は、中々ままならなかったものです。

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大人になって東京のプロダクションに所属し、大田区蒲田のアパート暮らしを始めた時、醤油風呂で名高い近所の蒲田温泉に通い出し、「電気風呂」に入るようになりました。

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子どもの頃とは違い、あのビリビリッと伝わって来る刺激が心地よく、長湯を決め込んだりしたものでした。

きっと在りし日のお父ちゃんもお母ちゃんも、そいでもってご老人たちも、その日の疲れを癒していたんでしょうねぇ。

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今度どこかの日帰り温泉ででも見掛けたら、ぼくもやっぱり長湯を決め込むんでしょうねぇ。

風呂上がりの、キリングッドエールを愉しみに!


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「昭和Nostalgia」(553)

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口に入れて食べると、グラニュー糖がジャリジャリと音を発する、そんな菓子パンをご存知ありませんか?

諸説あるようですが、宮崎県発祥の「じゃりパン」とか。

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それは、コッペパンに、ホイップクリームとグラニュー糖を混ぜた餡が、サンドされているものだそうで、宮崎市のパン屋ミカエル堂の発祥とか。

元々はバタークリームロールと言う名前で売っていたようですが、食べた学生が噛んだときにジャリジャリとした食感があり、じゃりパンと呼んだ事が名前の由来となっているとのこと。

ぼくが子どもの頃の記憶を手繰り寄せてみると、コッペパンではなく、普通の食パンにマーガリンガ塗られ、その上にグラニュー糖が散りばめられていた気がいたします。

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それを果たして「じゃりパン」と呼んでいたかどうかの記憶まではありませんが・・・。

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ぼくの子どもの頃の「じゃりパン」擬きのモノは、青森のソウルフードと呼ばれる「イギリストースト」や、岩手県のご当地パン「ネオトースト」と呼ばれるモノの方が、ぼくの記憶の中の「じゃりパン」に近い気がします。

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家ではお母ちゃんが市販の「じゃりパン」を真似て、「そんなもん、家でお母ちゃんが作ってやるで、パン屋で買わんでもええ」と言って、さっそく「じゃりパン」擬きを作ってくれたものです。

山切りではない普通の食パンにマーガリンを塗り、洒落たグラニュー糖の買い置きなんぞのないわが家では、上白糖を散りばめて供されました。

さっそく愉しみに頬張ったものの、グラニュー糖の「ジャリ」感は無く、上白糖の噛み応えの無い甘さが押し寄せて来たものです。

でも「ジャリ」感こそは無かったものの、味わいは共に同じで、ぼくは「お母ちゃんのサトウパン」とかって、勝手に呼んで良くリクエストしましたねぇ。

今度何でもない食パンを買ったら、「お母ちゃんのサトウパン」でも作って、在りし日のお母ちゃんを偲んでみるといたしますかぁ!


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「昭和Nostalgia」(552)

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ジャガイモもニンジンも一口ではとても頬張れないほど大きく、ブツ切り状態でゴロゴロ。

豚肉のこま切れが申し訳程度に入っている、それが昭和半ばのわが家の卓袱台を彩った、お母ちゃんの洋食ベスト3の内の一つ、黄色いカレーライスでした。

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お母ちゃんが家族3人分のカレーライスを卓袱台に配膳し、お父ちゃんの着替えを待っていただきますとなるのが、わが家の暗黙のルールでした。

お父ちゃんの着替えが手間取っていると、カレーライスのカレーの上っ面が、まるでオブラートでも被せたかのように、薄い膜が張ってしまったものです。

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ぼくはそれがどこの家でも同様なんだろうと思っておりましたが、ご近所でもお金持ちと評判の友の家でいただいたカレーライスは、大きくって柔らかな牛肉がゴロゴロ!

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そいでもって友のオバチャンが、わが家のお母ちゃんの割烹着の前掛けとは似て非なる、可愛らしい花柄のエプロンなんぞをお召しになって登場。

そいでもって、これまたわが家の丸い卓袱台とは月とスッポンの重厚なダイニングテーブルの上に、チキンライスの型で抜いたライスを盛りつけた皿と、アラジンの魔法のランプのような、カレーの入った「グレービーボート」なるものを、友とぼくの前に配膳し、「さぁ召し上がれ!ビーフカレーよ」と。

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わが家の豚の細切れ肉とは大違い!

そりゃあもう、これが本当の洋食なんだぁと、感じたものでした。

それから10年ほど後の事。

向田邦子さんのエッセイを読んでいた時、向田さんのカレーライスの回想譚に辿り着いたのです。

何でもその日の夕餉はカレーライスで、卓袱台の上に4人分のカレーライスが配膳され、家族4人が揃って「いただきます」と唱えてから、食事を始めると言うのが向田家の暗黙の了解事項であったそうです。

ところがその日、向田さんのお父様は、どうにもご機嫌が麗しくなく、何かの事でお母様を叱りつけていたんだとか。

向田さんは早くお父様が機嫌を直し、カレーライスを頬張りたいと、一心に祈っていたとか。

そう祈る間、カレーライスの表面を眺めていると、薄っすらとオブラートのような膜が張ったとか!

「それってわが家のカレーライスと一緒ジャン」と思うと、なんだかとてもお母ちゃんのカレーライスが愛おしく思えてならなかった事を覚えています。

どうやらオブラートの正体は、カレーを少しでも増量しようと、メリケン粉を溶かして入れていたからとか。

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もう今となっては叶いっこありませんが、もう一度あの大きく切ったジャガイモやニンジンがゴロゴロとしていて、豚の細切れが申し訳程度に添えられた、お母ちゃんの黄色いカレーが恋しくなってしまいました。


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「昭和Nostalgia」(551)

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昭和半ばのわが家に取っちゃあ、お母ちゃんのチキンライスは、それこそが立派な洋食だったものです。

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お母ちゃんはどこで手に入れて来たのか、こんなアルマイトの型を使って、お母ちゃんにしちゃあ洒落こいたチキンライスを、鳴り物入りで作ってくれました。

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おまけにこれまたどこで見聞きしたものか、チキンライスの上には、彩を兼ねたグリンピースが添えられていたものです。

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でもぼくは、今なお苦手なグリンピースをこっそりスプーンで拾い上げ、お父ちゃんのチキンライスの上に散りばめたりしました。

そう言えば、あのお母ちゃんの秘密兵器だった、チキンライスのアルマイトの型、どこへ仕舞い込んだのか、どなたかご存知ありませんかぁ?


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「KIRIN BEER PRESENT’S  オカダミノル  ほろ酔い Live 2025~秋涼の候 in C♭満員御礼でした!

定員を遥かに上回るご来場に、心より感謝申し上げます。

次回は新曲も交え、もう一つパワーアップしたLiveをお届けしたいと思っています。

どうぞ変わらぬご声援の程、よろしくお願いいたします。

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そう言えばこんなぼくも、周りの腕白坊主共と連れ立って、近所の算盤教室にちょっとだけ通ったことがありました。

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小学3~4年生の頃だったでしょうか?

算盤とケースを買ってもらって!

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最初の2~3回は楽しかったものの、そもそも算数とかが苦手だったぼくは、ついつい授業に付いて行けず、つまらなくって仕方なくなったものです。

まぁもっとも、算盤教室に通うってぇのは名目であって、教室の始まる前に皆がたむろする、駄菓子屋でのひと時が目当てだったわけですから!

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算盤を覚えて身に着けようなんて、そんな向学心なんて、これっぽっちもありませんでしたから!

それでも一ヶ月がなんとか過ぎ、いよいよ二ヶ月目に入ろうとした時、お母ちゃんから月謝袋を持たされ、算盤教室の近くまで行ったものの、その手前にある駄菓子屋で腕白坊主共に呼び止められ、そのままズルズルと算盤教室をサボることに!

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そうしてついに毎回のように無断欠席を続ける羽目に!

算盤教室に通っている振りをして、駄菓子屋で腕白坊主共と一緒に遊び呆けている間に、月謝袋の中身もあろうことかスッカラカン!

おまけに算盤教室の先生から、お母ちゃんに電話が入り、「無断欠席ばかりが続いているが、体でも悪いのですか?」と問い合わせがあり、何もかもが明るみに!

そりゃあもう、こっぴどく怒られたものでした。

あの世のお母ちゃん、本当に申し訳ありませんでした!


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「昭和Nostalgia」(549)

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小学校の運動場の、トランペットスピーカーから、行進曲や次の種目の案内放送が聞こえてくると、67歳になったと言うのに、ついつい心が騒ぎ出しちゃってなりません。

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ぼくの通った小学校では、運動会と言うと町内の一大イベントのようなもので、小学校に通っている子がいない近所のご隠居さん達も、皆が一緒になって声援を送ったり、お重の弁当を摘まんだものでした。

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中にゃあ赤ら顔で、湯呑で冷や酒を煽り、茶碗を箸で叩いて声援を送るオッチャン達もおりました。

ぼくは両親やお婆ちゃんと一緒に、大好きなお稲荷さんを夢中で頬張ったものです。

そんなお昼休みが終わると、見学に来ている大人たちが参加する、余興のようなプログラムが始まり、場を盛り上げてくれたりして、ぼくも大声で声援を送った覚えがあります。

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中にゃあ、湯呑の冷や酒を飲みすぎた、赤ら顔で千鳥足のオッチャンなんぞもいて、周りの失笑を買っていたものです。

でも令和の今の運動会じゃあ、そんなほのぼのとした昼食風景も、見かけられなくなっちゃっているんでしょうねぇ。

いや待て!

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仮に運動場で家族みんなで食事の出来る、そんな昭和チックな小学校があったとしても、手作りのお重の弁当なんかではなく、ウーバー〇ーツとかで出前を取るご家族もいらっしゃるかも?


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「昭和Nostalgia」(548)

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今日は、昭和時代に親しまれた「体育の日」ですねぇ。

ぼくなんかのように、コッテコテの昭和人にして見ますと、どうにもこーにも今の「スポーツの日」ってぇのに、トコトン馴染めなくっていけません。

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まぁそんなことはともかく、幼稚園や小学校の側を通ると、運動会の練習風景なんぞを目にする季節となってまいりました。

そんな運動会で思い出されるのが、白線引き!

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運動場に石灰でトラックのコースを描く、あの「ライン引き」!

ぼくが通った小学校では、用務員のオジサンか先生が、車輪の付いたライン引きを引っ張りながら、白線を運動場に描いていったものでした。

ぼかぁ、あのライン引きが一度やりたくってやりたくって、どうにも仕方なかったものでした。

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とは言え、用務員のオジサンにしても、先生にしたって、そんなことを小学生の子どもにやらせちゃあくれませんから、ますますぼくの憧れは募るばかりでなりませんでした。

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運動会の当日には、誰にも踏み荒らされていない、奇麗な白線で競技用のトラックが描かれていて、それはそれは圧巻だったものです。

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そう言えば、車輪の付いたライン引きが登場する前までは、こんな感じでライン引きをしていたんだとか。

誠にご苦労様でございました。


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「昭和Nostalgia」(547)

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子どもの頃、こんな蒸しパンが卓袱台の上に置かれ、折り畳み式の蝿帳が被せられているのを目にすると、学校から帰ってランドセルを背負ったまま、小躍りしたほどぼくは大喜びでした。

蒸しパンの中でも、こんな色をした黒糖味の蒸しパンにゃあ目が無かったものです。

それから半世紀以上が過ぎた頃だったでしょうか?

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コンビニかスーパーで、こんな大きな黒糖蒸しパンを見かけ、ついつい衝動買いをして、子どもの頃の味を堪能したことがありました。

何故、それほど恋しい味だったのやら?

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気になって調べると、蒸しパンの類は、母の出身地鹿児島や宮崎辺りでは、「ふくれ菓子」と呼ばれる郷土のお菓子だったとかで、それを想い出してお母ちゃんが黒糖味の蒸しパンを作っていたんでしょうか?

後に山崎パンから昭和62(1987)年に発売され、超ロングセラーになったと言われる「黒糖フークレエ」は、時代も異なっていて、とてもそれが子どもの頃のわが家の卓袱台に上がったとは考えられません。

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やっぱりお母ちゃんが、大きなアルマイトの蒸し器で、蒸しパンをせっせと作ってくれたんでしょうねぇ。

大人になってぼくが思わず懐かしさのあまり手にしたのが、山崎パンの「黒糖フークレエ」だったのかも?

あ~あ、また無性に食べたくなって来ちゃったぁ!


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「昭和Nostalgia」(546)

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昨日に引き続き、中学生になってからの、お母ちゃんの弁当のオカズの定番として、これまた君臨したのがこの「タコちゃんウィンナー」でした。

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ところが最初に赤いウィンナーが弁当のお供として登場したころは、こんな風にただウィンナーを炒めただけか、

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茹でただけのものでした。

しかし同じクラスの友の弁当には、赤いウィンナーに切り込みが入れられ、可愛らしい「タコちゃんウィンナー」となっているじゃないですか!

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家に帰ってそれをお母ちゃんに話してしばらくすると、ぼくの弁当箱にもいつしかタコちゃんウィンナー」が添えられるように!

きっとお母ちゃんも、パート仲間のオバチャンにタコちゃんウィンナーの作り方を聞いて来たのかも知れません。

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そしてぼくも、やめときゃあいいものを、ついつい「タコちゃんウィンナー美味しかったぁ!」とうっかり言ってしまったものですから、これまた二日と空けず弁当箱に添えられ続けることに!

まったく身から出た錆でした!

でもそんなことを想い出していたら、無性にタコちゃんウィンナーが食べたくなってくるから不思議です。

今度スーパーで赤いウィンナーを買い込んで、タコちゃんウィンナーでも作って、キリン晴れ風のおつまみとして、プッハァ~ッとやって見ますかぁ!


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