「昭和Nostalgia」(373)

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何だよ~っ!またトイレネタかよ~って、どなたかお嘆きになられませんでしたか?

そいつぁ~朝から申し訳ございません!

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でも昭和も後半の頃には、トイレの中でこんな芳香剤のスプレーを噴霧し、前の方がご使用になったトイレの中に蟠る悪臭を、花の香りのような匂いで覆い隠そうとする、そんなスプレーが設置されていたものでしたですよねぇ。

どなたかのお宅にお邪魔した時なんて、そんな芳香スプレーなどどこにも見当たらないのに、どこからともなく優しい花の香りがして・・・。

どこからこの匂いがするんだろうと考えながら用を足し終え、トイレットペーパーをカラカラと回して手に取ると、その香りが一際漂い出してビックリ!

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何と何と、トイレットペーパーの芯を通すバーに、芳香剤が仕込まれていて、なるほどなぁと唸った記憶があります。

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ところが最近では、そんな消臭スプレーはとんと見かけなくなり、コロナ以降便座を消毒する消毒液に挿げ替えられてしまったようです。

そう言えば昭和48(1973)年には、第一次オイルショックが勃発し、全国のスーパーからトイレットペーパーが消えて大騒動となったものでした。

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って言っても、わが家はまだその頃、ボットン便所でしかもトイレットペーパーなんぞと言った、ハイカラなものではなく、徳用のチリ紙でしたから、お母ちゃんが血相変えてトイレットペーパーに群がったと言う記憶はありません。

昔も今も、ちょっとした噂話が発端となり、それがやがて大騒動に発展するってな事が、いつの世になっても大いにあり得そうで、何とも物騒な気がいたします。


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「昭和Nostalgia」(372)

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またしても昨日に引き続き、今日もトイレの話題となり大変失礼いたします。

それはそうと、昔は喫茶店やレストラン、それにバーとかでも、トイレにはこんなダスキンのロール状のタオルが設置されていたものです。

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自分が手を洗い、このロール状のタオルで手を拭ったら、次の方のために上から下へタオルを引いて、新しいタオルを手前に引き出したものです。

ところが中にゃあそんなこともお構いなしで、濡れた手を拭ったものの、新しいタオルを引き下げずにいる方もしばしば見かけられたもの。

嫌~な気分で、誰が手を拭ったか知れぬ使用済みのタオルを引き下ろし、もう一度手を洗い直してから真っ新なタオルで手を拭ったものでした。

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運が悪いと、1ロールのタオルが全て使用済みになると、新しいタオルを引き下ろそうとしても、ロールがもう回転しなくなり、誰が使ったか、何人が使ったかも分からないビタビタのタオルの、辛うじてまだ濡れていない奇麗な部分を見つけ出し、そこで指先を拭う事もありましたねぇ。

しかもロール状のタオルが使用済みとなった事を、お店の方が察知されない限り、新しいロールと取り換えていただけないため、それはそれで厄介極まりないものでした。

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でも自分のハンカチを濡らさずに済むと言う点と、ハンカチを忘れてもちゃんと手を拭くことが出来ると言う点では、実に画期的で素晴らしいものでもありました。

しかしコロナ以降、感染症のリスクもあってなのか、ほとんど見かけることが無くなっちゃいました。

そんな話を、先日の飛騨市での取材の夜、古川町の駅近くにある居酒屋さん「志摩茶屋」さんで、関係者の方々と一献酌み交わしていた時に、何気にぼくのブログの話になり、「昭和Nostalgia」と題した記事で、最近頓に見かけなくなったダスキンのロール状のタオルの話を取り上げようとしているという話をしたところ、昭和の記憶が微かに残っている方の間で盛り上がったものでした。

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そしてビールから白真弓の真宗寺燗(「しんしゅうじかん」とも「しんしょうじかん」とも地元では呼ばれる、65°に近い超熱々燗)に切り替わった頃、先のビールで催した尿意を処理せねばとトイレへ。

用を足し終え、手洗いをしていると、何と何と!

現役のダスキンのロール状のタオルが待ち受けていらっしゃるじゃあないですかぁ!

そりゃあもう大感激で手を拭い、昔を懐かしみながら、ロールを上から下へと次の方のために新しいタオルを引き下ろしたものです!


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「昭和Nostalgia」(371)

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そう言えばこのところ、駅などの公衆トイレの入り口で、こんなチリ紙の自販機をすっかれ見かけなくなったものです。

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旅先で急に催したりした時など、50円だったか100円だったかで、こんな束になったチリ紙を大慌てで手に入れ、幾度となく窮地を救ってもらった経験がございます。

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今にして思うと、一束50円にしろ100円であったにせよ、割高感は否めませんが、緊急事態の折にそんな悠長な損得勘定など、とやかく言っている場合じゃありませんから、藁にも縋る思いでコインを投入し、ハンドルレバーを引き下ろした記憶がございます。

そう言えば小学校の3~4年生の頃。

当時ぼくはカブスカウトに入っていて、日曜日の度にバスや市電に地下鉄なんぞを乗り継いで、八事や覚王山の集会に参加していたものです。

その集会もお昼頃には終わり、腹を空かせたぼくはバスや地下鉄を乗り継ぎ、わが家へと一目散で帰ったものでした。

ところがある日の事。

地下鉄の東山線に乗り、中村公園を目指している途中、どうにもこうにもお腹が痛くなり始め、とうとう伏見駅に列車が到着した時にはもう爆発寸前!

肛門括約筋を最大限に絞ったまま、世にもけったいな格好をしながら、駅のトイレに駆け込みどうにかこうにか難を逃れたものです。

ところが!

一難去ったものの、今度は個室内に目を凝らしても、どこにもチリ紙やらトイレットペーパーの類がみあたらないじゃあないですか!

すわ一大事!

はてさて、後始末の最後の一拭きをどうするのか?

チリ紙に代わる古新聞も、筆記具のノートもありません。

そしてついにぼくは、無い知恵を絞りからかして、最後の策を講じることに!

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当時男子の多くが履いていたのは、こんな木綿のパンツで、ぼくもご多分に漏れず同様の物を履いておりました。

ぼくが無い知恵を絞りからかして思い付いた最後の手段は、パンツの前にある二重になった社会の窓の表側を破って、それをチリ紙の代わりにすると言う策!

ところがこれが頑丈に縫製されていて、素手で引き千切って破り取るまでにどれだけ時間を費やしたことやら。

しかも和式便所に屈んだまま!

何とかかんとか、引き千切ったパンツの一部で、危機を逃れはしたものの、家に帰ってからお母ちゃんに破れたパンツの訳を問われ、緊急事態勃発時の説明に苦慮した記憶がまざまざと蘇ってまいりました。

多分あの緊迫した折には、トイレの入り口で、チリ紙の自販機を見定める余裕すらなかったでしょうし、よしんば自販機を目にしたとしても、チリ紙をそこで買ってしまったら、中村公園からのバス代が消え果てしまったやも知れぬと躊躇したやも知れません。

もうそれからと言うものは、いかなる時もハンカチとチリ紙を、必ずポケットに入れる習慣が自然と身に付いた気がいたします。


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「昭和Nostalgia」(370)

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こんな可愛らしい壁掛け型の、芳香剤だったのか消臭剤だったのかも、よくトイレなどに掛かっていたものでした。

ゆっくりゆっくりと時間をかけ、その可愛らしい芳香剤は痩せ細り、次第に小さくなっていったものです。

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しかしそれが果たしてどんな匂いを放ってくれていたのかは、もう嗅覚の記憶のライブラリーを探して見ても、とても思い出せそうにありません。

皆々様のご家庭にも、やっぱりこんなの、ございませんでしたか?


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「昭和Nostalgia」(369)

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昭和半ばの頃、町医者でいただく薬は、こんな風に油紙のようなモノに包まれておりましたですよねぇ。

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でも子供の頃は、粉薬をなかなか飲めなくって、お母ちゃんがオブラートに包んでくれて、それを渋々飲んだものでした。

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そう言えば子どもの頃、ボンタンアメの周りを包んでいた透明の包装紙を、ぼくは食べられるオブラートとは思いも付かず、丁寧に透明フィルムを必死になって剥いていて、ボンタンアメの本場、鹿児島出身のお母ちゃんに散々笑われたものでした。

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そう言えば、お父ちゃんが「胃が痛い、胃が痛い」と言っては飲んでいた胃腸薬も、紙に包まれていましたねぇ。

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「昭和Nostalgia」(368)

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これが何だかすぐにお分かりの方は、これまたやっぱり昭和時代をお過ごしの方に違いないでしょう!

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ぼくなんて、写真を見るだけで、お母ちゃんの着物に纏わりついていた、樟脳の匂いが思い出されてなりません。

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子どもの頃、この樟脳がクスノキの精油から出来ているとお母ちゃんに教えられたものの、当時はそれが想像も出来ずチンプンカンプン。

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ただただ、あちらこちらで見かけるクスノキを、偉大なる樹木と畏敬の念を抱いて見上げていたものでした。

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それにしても、こんなクスノキから、よくぞ精油を取り出して、樟脳とやらを抽出する事を思い付かれたもの!

先人の並々ならぬ探求心たるや、いやはや天晴れ天晴れ!


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「昭和Nostalgia」(367)

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この当時の国鉄のキャンペーンって覚えて見えませんか?

なんでも大阪万博のあった年、1970(昭和45)年10月14日「鉄道の日」から、DISCOVER JAPAN「美しい日本と私」キャンペーンが始まったとされています。

ぼくはこのコマーシャルにすっかり魅せられ、まだ中学生になったばかりではありながらも、まだ見ぬ日本各地への旅に想いを馳せたものでした。

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このキャンペーンに伴って、京都や奈良など各地の古い日本の風情が見直されるようになり、アンアンやノンノと言った雑誌に取り上げられ、各地を旅する人々が増えたそうです。

昭和半ばの宮川朝市の風景

飛騨の高山もそんな頃から、「小京都」と呼ばれるようになり、全国でも屈指のディスティネーションの一つになっていったと、老舗旅館の女将さん(2020.1.24付け本ブログ「天職一芸~あの日のPoem 5」に記載)教えてもらったことがありました。

今じゃあ古い町並みも朝市も、海外からのお客様の方が、日本人観光客よりも遥かに多いとか!

そう言えば明日9日、「飛騨びと~言の葉綴り」の取材で飛騨市へ向かう途中、高山で下車しレンタカーに乗り換え神岡へと向かいますが、高山と言っても所詮高山駅の西口まで。

コロナ以降、高山の街中を随分歩いてないですねぇ。

帰り道にでも、ぶらりと寄ってみたいものです。


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「昭和Nostalgia」(366)

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ぼくはボーイスカウトのキャンプの時、コンビーフの缶の一部を巻き上げて開けるのがめっぽう苦手で、何度も何度も失敗した苦い経験があります。

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真っすぐ横に巻いていかなければならないのは分かっちゃあいても、どんどんどんどん気持ちとは裏腹に、斜交いに巻き上がってしまい、とうとう最後はサバイバルナイフで強引に缶をこじ開けたりしたものです。

すると口さがない先輩達からは、「ホントに不器用な奴だなぁ!」と、その度詰られたものでした。

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その点今のノザキのコンビーフは、台形型缶詰(専門的には枕型って言うそうです)の巻き取り方式から、缶自体がアルミ缶となって、アルミ箔と樹脂フィルムを貼り合わせた蓋を、ヨーグルトの蓋を開けるように捲り取る方式となって、ぼくのような不器用なものでも、斜交いに巻き上げることも無くなりましたから、なんとも有難い限りです。

でもこの巻き上げ式の開け方は、わらび餅の缶詰でも見かけました。

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それは名古屋市昭和区阿由知通にあるつくは祢屋さんの、「宮簀媛命(曽福女/そぶくめ)」と言う、缶入りのわらび餅です。

本蕨使用のわらび餅そぶくめは、もっちりとした新鮮な食感を大切にし、缶入りにして密封されています。

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その缶を開ける時、ついついぼくは子供の頃のコンビーフとの格闘を想い出してしまったものですが、「そぶくめ」の缶は実に見事に開けられ、付属のきなこをまぶしてとっても美味しくいただきました。


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「昭和Nostalgia」(365)

魅力詰め込んだソングと映像で飛騨PR 地元生徒とオカダミノルさんが共同制作:中日新聞Web

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残念ながら広報ひだの本誌は、紙面のスペースに限りがあり、掲載文は抜粋版となっております。文字数制限のないweb版も飛騨びと言の葉綴り~河合町・岡崎賢一郎さん – 飛騨市公式ウェブサイト併せてご覧いただければなによりです。


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ぼくがまだ子供の頃なんて、近所にもこんな野良犬たちがいたものでした。

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大人たちは野良犬に噛まれて狂犬病になったら大変だと、ご近所の有志のオッチャンたちが野犬を捕らえて、保健所に引き渡していたように記憶しております。

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そんな頃は、家の近所の公園でも、狂犬病の予防接種とかが行われ、家の老犬ジョンも接種を受けに行ったものでした。

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接種を終えると、接種済みを証明するステッカーやら、首輪に着けるプレートなんかがいただけたものでしたねぇ。

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老犬ジョンの首輪にも、こんなプレートが着けられておりました。

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そして家の玄関には、こんな「犬」と書かれたステッカーが貼り付けられておりました。

でもわが家のバカ犬のジョンは、首輪抜けの達人でして、いつのまにやら首輪から頭を抜いて、ご近所を徘徊して勝手口に脱いである履物の片足分だけ家に戦利品のように持ち帰り、お父ちゃんやお母ちゃんはご近所を一軒一軒回って、片一方だけの履物の持ち主に返して回るため、とんでもなく手を焼いていたものでした。

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そうした一連の努力もあってか、身近で狂犬病に罹った人はいなかったようです!

くわばら、くわばら!


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「昭和Nostalgia」(364)

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女性の方は、こんなトイレに丸い脱臭剤のようなモノが入っていたのは、きっとご存知ありませんでしょうねぇ。

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ぼくが通った小学校の小便器や、もちろんわが家の小便器にも、極々当たり前のように入れられていたものです。

他の男子はどうであったか分かりませんが、ぼくは自分のお粗末な一物に手を添え、丸い脱臭ボールを的に見立て、小便を放水していたものです。

でも最近の男性用トイレの小便器では、すっかり見かけなくなってしまったものです。

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恐らく小便器も時代と共に進化し、自動流水をするようになり、悪臭を放つのが未然に処理されるようになったからでしょうかねぇ?

ぼく的には何年か前、地方都市のトイレで見かけたのが最後だったような?

でも思い返せばその時も、知らず知らずのうちに、昔取った杵柄ならぬお粗末な拙物に手を添え、やっぱり脱臭ボールを目掛け、勢いを失った放水を放ったような記憶が???

いつまで経っても、体に染みついた習い性は消えぬってぇ事かも知れませんですよねぇ。

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そう言えばわが家のトイレには、こんなトイレ掃除用の「サンポール」が必ず置いてあったものでした。

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あのCM「ひとふり みこすり・・・」ってぇフレーズが懐かしい限りです!


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