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まだ、YouTubeで動画がアップ出来なかった頃のブログに、五条川の歌詞だけをあげたことがありましたが、今日はまず弾き語りの「五条川」をお聴きいただければ何よりです。
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弾き語り「五条川」
『五条川』
詩・曲・歌/オカダ ミノル
枯葉二枚重ねて君は 五条橋から流した
二人の恋を弔うように 軽く手を添え
その行方をしばらく見つめ 君は歩き始めた
川沿いに枯葉を追って 口数少なに
長者橋 舟入橋 想い出は拭い去るんだと
君の声はわずかに掠れた 折からの風のせいじゃなく
君よ許せ男はみな 少なからず旅人
果てしもない夢など追い 恋もろくに出来ず
不器用な男だったと 深く胸に刻んで
忘れるためにましな男と 恋をしてくれ
巡礼橋(じゅんれいばし)の袂(たもと) サヨナラ本気だったわと
繰り返す君がいたいけなくて ぼくは返す言葉失った
五条川へ枯葉流し 一つの恋の終わりを告げた
風が落とした波紋の渦に 枯葉二枚巻き込まれただけ
この曲を最初に披露したのは、ぼくがアルバイトをしていた花屋のご夫婦の前でしたと、以前のブログにも書かせていただきました。そしてそれから30数年後、たった中一日で、ご主人のコウチャの後を追うように、奥さんのヤッチャンまでもが他界されてしまったのです。
ですから葬儀の祭壇の前には、ご主人のコウチャと奥さんのヤッチャンの棺が、頭合わせに並べられ、笑顔の二人の遺影までもが並んでいました。これまでこんな葬儀に出合ったことなど、一度もありません。仲の良かった下町の夫婦の、在りし日の姿が偲ばれ、込み上げてくるもので遺影が滲んでいました。
その事をある新聞社の「昭和がらくた文庫」という連載の中で、「二度目のハネムーン」と題して書かせていただきました。そしてその後も、LiveやRecitalなどのステージで、「もしも生まれ代われたなら」の曲の前に、何度か朗読をさせていただいたものでした。
昭和がらくた文庫 第二十四話 「二度目のハネムーン」
2012.11.22掲載 オカダ ミノル著
こんな通夜は、最初で最後に違いない。 頭合わせに並んだ二つの棺。目を閉じそっと手を合わせた。色取り取りの花が楽園を模る祭壇。呆然と見上げれば、色褪せた想い出が走馬灯のように駆け巡る。その刹那、にこやかな二つの遺影が、滲んで消えた。
先日、第二の両親と慕った夫婦が旅立った。夫のコーチャと妻のヤッチャン。親しみを込め、誰からもそう呼ばれた、戦前生まれの夫婦だ。大病の後遺症と闘い続ける妻を夫が支え、晩年病に臥した夫を妻は案じ続けた。
10月末のこと。入院中のコーチャの容態が急変。自宅療養中だったヤッチャンは「お父さん一人で逝かせられん」と、床に臥しながらうわ言の様に繰り返した。程なく、ヤッチャンまでもが危篤状態に。図らずも救急搬送先は、コーチャと同じ病院だった。病室こそ違えども、同じ屋根の下、意識が戻ると真っ先に、互いの容態を気遣い合ったという。
生死の境で行きつ戻りつを繰り返す二人。奇跡的に二人が容態を持ち直した一瞬。まるで待っていたかのように、看護士たちは二人をストレッチャーで連れ出し、病棟の通路へと向かった。そしてすれ違い様、二人の手と手を取り、しっかと握り締めさせたのだ。
おぼろげに霞む混濁した意識。もう互いに言葉を交わすことも叶わぬ。だが半世紀を連れ添った二人は、その手の温もりと、脈打つ波動だけで、互いの心を十分に受け取ったことだろう。
いつもせっかちだったコーチャ。たったの24時間で、おっとり者のヤッチャンが、後を追うように逝った。
折しも今日は、いい夫婦の日。今頃はどうせ二人して、天国で二度目のハネムーンとでも、洒落込んでいることだろう。
弾き語りとCDの「五条川」とをお聴き比べいただければ、これまた幸いです。
ぼくが「五条川」で描いたのは、あの戦国の世の「清州越え」でお馴染みの、愛知県清須市を流れる五条川です。
もっとも五条川は、岐阜県多治見市の高社山付近を源とするそうで、やがて愛知県犬山市の八曽山の南を流れ、入鹿池に水を満たし、その後新郷瀬川と別れるのだとか。さらに途中で半之木川と合わさり、大口町に入ったところで、合瀬川(木津用水)・新木津用水と交わり、岩倉市に下って巾下川を、さらには一宮市で青木川と合わさり、清須市とあま市との境界から新川へと合流するそうです。
その下流域に当たる清須市に、この曲に描かれる五条橋、長者橋、舟入橋、巡礼橋がございます。
ぼくがこの曲を書いた40年ほど前は、これらの橋の東側には、白壁の土蔵がたくさん立ち並んでいたものです。
そう言えば、名古屋の四間道(しけみち)に、清州越えでやって来た、豪商たちの家並があります。やはりこの際を流れる橋にも、「五条橋」と名付けられた橋が架かっています。
この四間道には、やがて銀行を営む「川伊藤家」と、いとう呉服店(松坂屋)の「伊藤家」があり、ぼくは若い頃縁あって、今も市の文化財指定をされている「川伊藤家」に伺わせていただく機会がありました。
400年以上の年月をかけ、人々に踏み固められた土間はひんやりとし、天井の明かり取りの窓から差す太陽光が、弱々し気に薄暗い家屋の中を照らしていたものです。
仏間には、金ぴかで巨大な名古屋仏壇が、座敷にドーンと居座り、400年と言う浮世の歴史を傍観されているようでした。
まあそんなことはさておき、来年の春は、お弁当とクーラーボックスにビールと冷酒を詰め込み、「五条川」の袂で花見でも出来たらこの上なく幸せです。
★ここで新企画のご提案です。深夜放送では、毎週特集のテーマを決めて、昔話の思い出話をメッセージとしてお書きいただき、リクエストいただいておりましたが、今ではそうはまいりません。
そこで毎週「昭和の懐かしいあの逸品」をテーマに、昭和の懐かしい小物なんぞを取り上げ、そんな小物に関する思い出話やらをコメント欄に掲示いただき、そのコメントに感じ入るものがあった皆々様からも、自由にコメントを掲示していただくと言うものです。残念ながらさすがに、リクエスト曲をお掛けすることはもう出来ませんが…(笑)
今週の「昭和の懐かしいあの逸品」は、「希釈用リンス」。中学生の頃だったでしょうか?「♪振り向かないで 金沢の女♪」のエメロンのリンスのCM。振り向くと奇麗なお姉さまばかりで、中学生のぼくはドキドキした覚えがあります。そのエメロンのリンスが買ってほしくて、坊主頭の癖に母に強請った覚えがありました。洗面器にキャップ一杯のリンスを注ぎ、お湯を足して希釈して、洗面器の中に頭を突っ込んでリンスをするといった塩梅!しかしそれにしてもあの「希釈用リンス」は、いつの間に絶滅してしまったのでしょう。今回は、『希釈用のリンス』に関する皆様からの思い出話のコメント、お待ちしております。
このブログのコメント欄には、皆様に開示しても良いコメントをドンドンご掲示いただき、またその他のメッセージにつきましては、minoruokadahitoristudio@gmail.comへメールをいただければ幸いです。