
紫陽花って、他の花たちとは異なり、雄しべや雌しべが無いものだと、つい最近までそう思い込んでおりました。
ところがそうではなく、このブルーの飾り花を掻き分けると、その奥にちゃんと花弁が開いて雄しべや雌しべが露出した、このブルーの飾り花とは似ても似つかぬ、小さな花が隠れているんだそうです。
残念ながらぼくは、その不思議な紫陽花の飾り花の奥に潜む、雄しべや雌しべを突き立てた小さな花を、まだ実際に自分の目で見たことがありません。
今年こそは、近所の紫陽花が見ごろを迎えたら、探し出してみたいと思っているほどです。
ですからぼくらが紫陽花が色付いたとか言って眺めているのは、飾り花の方です。でもその飾り花たちは、子孫を遺す大切な使命を持った、ちゃんと雄しべと雌しべを持った小さな花を取り囲んで、雨の日は傘になりその小さな花を健気に守っているのです。
それを知って、ぼくは益々紫陽花が好きになってしまいました。
この紫陽花にも、「辛抱強い愛情」「一家団欒」「家族の結びつき」といった、花言葉があるようです。
そのいずれの花言葉にも、雨に打たれる紫陽花を眺めていると、妙に頷かされる思いがするものです。
時として植物たちは、言葉が通じぬが故、互いに言葉を解せぬが故、じっと眺めるだけのこちら側の心象一つで、人生の気付きを悟らされることもあります。
紫陽花からは、どんなに雨に打たれようとも、雨を全身でひたすら受け止める、その果てしない忍耐強さや、一雨ごとに色を深めてゆくその気高さに、考えさせられることもしばしばです。
そんな紫陽花の頃に嫁ぎ行く、新婦へのメッセージ曲が、今日お聴きいただく「紫陽花の花嫁」であると同時に、新婦に贈るエールの歌詞は、自らに向けたものでもあります。
梅雨前線も南から徐々に北上を始めたようでもありますので、今日は「紫陽花の花嫁」を弾き語りからお聴き願います。
「紫陽花の花嫁」
詩・曲・唄/オカダ ミノル
雨に打たれる度に その色を深め 見事に咲き誇る 紫陽花のように
白いドレスを揺らし 一度振り向いて 真紅の道を行く 君にどうか幸あれ
紫陽花の花嫁は 誰よりも幸せになると
月並みな言葉だけれど 二人していつの日も信じて
今日からこの先は どんなことがあっても
決して振り返らずに お互いをいつの日も信じて
雨に打たれる度に 心強くあれ 命を懸けて咲く 紫陽花のように
幸せは比べたら 直ぐに色褪せる 君が信じた道 目を逸らさないで
紫陽花の花嫁は 誰よりも幸せになると
月並みな言葉だけれど 二人していつの日も信じて
もし辛い出来事に 打ちのめされたとしても
紫陽花の花のように 叩きつける雨さえも受け止めて
紫陽花の花嫁よ 誰よりも幸せであれ
月並みな言葉だけれど いつまでもお互いを信じて
もし辛い出来事に 打ちのめされたとしても
紫陽花の花のように 叩きつける雨さえも受け止めて

続いては、CDから「紫陽花の花嫁」をお聴きください。
★まんさくさんから、「今日6月2日は「ゴッド君」のお誕生日です!ぜひお祝いの歌をお願いします!」とメッセージをいただいておりました。
もちろん喜んで「ゴッド君」のお誕生日のささやかなお祝いをさせていただきましょう!
★毎週「昭和の懐かしいあの逸品」をテーマに、昭和の懐かしい小物なんぞを取り上げ、そんな小物に関する思い出話やらをコメント欄に掲示いただき、そのコメントに感じ入るものがあった皆々様からも、自由にコメントを掲示していただくと言うものです。残念ながらさすがに、リクエスト曲をお掛けすることはもう出来ませんが…(笑)
今夜の「昭和の懐かしいあの逸品」は、「昭和の洋食のおご馳走!」。ぼくが子どもの頃のお母ちゃんの洋食と言えば、ソースをドボドボに掛けた焼き飯か、モヤシばっかりの中にわずか~にひき肉が散りばめられたオムレツと、相場は決まったものでした。ランドセルを背負って、「行って来ま~す!」と玄関を出ようとすると、お母ちゃんは得意満面な表情で、「今夜はお父ちゃんのお給料日やで、おごっつぉやで!楽しみにしとりゃあね!美味しい洋食やで!」と、毎月25日だったか月末だったかに、見送られたものでした。でも毎回焼き飯やモヤシばっかりのオムレツか、せいぜい薄っぺらなハムカツくらいのものでした。ちなみに何でもかんでも、ソースをかければ洋食と言った、そんな塩梅だったと記憶しております。皆様のお宅の「昭和の洋食のおご馳走」は、いかがなものでしたか?
今回はそんな、『昭和の洋食のおご馳走!』。皆様からの思い出話のコメント、お待ちしております。
このブログのコメント欄には、皆様に開示しても良いコメントをドンドンご掲示いただき、またその他のメッセージにつきましては、minoruokadahitoristudio@gmail.comへメールをいただければ幸いです。

























