「昭和Nostalgia」(368)

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これが何だかすぐにお分かりの方は、これまたやっぱり昭和時代をお過ごしの方に違いないでしょう!

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ぼくなんて、写真を見るだけで、お母ちゃんの着物に纏わりついていた、樟脳の匂いが思い出されてなりません。

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子どもの頃、この樟脳がクスノキの精油から出来ているとお母ちゃんに教えられたものの、当時はそれが想像も出来ずチンプンカンプン。

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ただただ、あちらこちらで見かけるクスノキを、偉大なる樹木と畏敬の念を抱いて見上げていたものでした。

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それにしても、こんなクスノキから、よくぞ精油を取り出して、樟脳とやらを抽出する事を思い付かれたもの!

先人の並々ならぬ探求心たるや、いやはや天晴れ天晴れ!


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「昭和Nostalgia」(367)

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この当時の国鉄のキャンペーンって覚えて見えませんか?

なんでも大阪万博のあった年、1970(昭和45)年10月14日「鉄道の日」から、DISCOVER JAPAN「美しい日本と私」キャンペーンが始まったとされています。

ぼくはこのコマーシャルにすっかり魅せられ、まだ中学生になったばかりではありながらも、まだ見ぬ日本各地への旅に想いを馳せたものでした。

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このキャンペーンに伴って、京都や奈良など各地の古い日本の風情が見直されるようになり、アンアンやノンノと言った雑誌に取り上げられ、各地を旅する人々が増えたそうです。

昭和半ばの宮川朝市の風景

飛騨の高山もそんな頃から、「小京都」と呼ばれるようになり、全国でも屈指のディスティネーションの一つになっていったと、老舗旅館の女将さん(2020.1.24付け本ブログ「天職一芸~あの日のPoem 5」に記載)教えてもらったことがありました。

今じゃあ古い町並みも朝市も、海外からのお客様の方が、日本人観光客よりも遥かに多いとか!

そう言えば明日9日、「飛騨びと~言の葉綴り」の取材で飛騨市へ向かう途中、高山で下車しレンタカーに乗り換え神岡へと向かいますが、高山と言っても所詮高山駅の西口まで。

コロナ以降、高山の街中を随分歩いてないですねぇ。

帰り道にでも、ぶらりと寄ってみたいものです。


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「昭和Nostalgia」(366)

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ぼくはボーイスカウトのキャンプの時、コンビーフの缶の一部を巻き上げて開けるのがめっぽう苦手で、何度も何度も失敗した苦い経験があります。

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真っすぐ横に巻いていかなければならないのは分かっちゃあいても、どんどんどんどん気持ちとは裏腹に、斜交いに巻き上がってしまい、とうとう最後はサバイバルナイフで強引に缶をこじ開けたりしたものです。

すると口さがない先輩達からは、「ホントに不器用な奴だなぁ!」と、その度詰られたものでした。

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その点今のノザキのコンビーフは、台形型缶詰(専門的には枕型って言うそうです)の巻き取り方式から、缶自体がアルミ缶となって、アルミ箔と樹脂フィルムを貼り合わせた蓋を、ヨーグルトの蓋を開けるように捲り取る方式となって、ぼくのような不器用なものでも、斜交いに巻き上げることも無くなりましたから、なんとも有難い限りです。

でもこの巻き上げ式の開け方は、わらび餅の缶詰でも見かけました。

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それは名古屋市昭和区阿由知通にあるつくは祢屋さんの、「宮簀媛命(曽福女/そぶくめ)」と言う、缶入りのわらび餅です。

本蕨使用のわらび餅そぶくめは、もっちりとした新鮮な食感を大切にし、缶入りにして密封されています。

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その缶を開ける時、ついついぼくは子供の頃のコンビーフとの格闘を想い出してしまったものですが、「そぶくめ」の缶は実に見事に開けられ、付属のきなこをまぶしてとっても美味しくいただきました。


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「昭和Nostalgia」(365)

魅力詰め込んだソングと映像で飛騨PR 地元生徒とオカダミノルさんが共同制作:中日新聞Web

オカダミノルさんの飛騨市PRソングと古川中生の動画をお披露目 – 飛騨市公式ウェブサイト

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「広報ひだ」の『飛騨びと 言の葉綴り』がこちらのP20kotonohaのコピー

残念ながら広報ひだの本誌は、紙面のスペースに限りがあり、掲載文は抜粋版となっております。文字数制限のないweb版も飛騨びと言の葉綴り~河合町・岡崎賢一郎さん – 飛騨市公式ウェブサイト併せてご覧いただければなによりです。


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ぼくがまだ子供の頃なんて、近所にもこんな野良犬たちがいたものでした。

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大人たちは野良犬に噛まれて狂犬病になったら大変だと、ご近所の有志のオッチャンたちが野犬を捕らえて、保健所に引き渡していたように記憶しております。

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そんな頃は、家の近所の公園でも、狂犬病の予防接種とかが行われ、家の老犬ジョンも接種を受けに行ったものでした。

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接種を終えると、接種済みを証明するステッカーやら、首輪に着けるプレートなんかがいただけたものでしたねぇ。

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老犬ジョンの首輪にも、こんなプレートが着けられておりました。

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そして家の玄関には、こんな「犬」と書かれたステッカーが貼り付けられておりました。

でもわが家のバカ犬のジョンは、首輪抜けの達人でして、いつのまにやら首輪から頭を抜いて、ご近所を徘徊して勝手口に脱いである履物の片足分だけ家に戦利品のように持ち帰り、お父ちゃんやお母ちゃんはご近所を一軒一軒回って、片一方だけの履物の持ち主に返して回るため、とんでもなく手を焼いていたものでした。

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そうした一連の努力もあってか、身近で狂犬病に罹った人はいなかったようです!

くわばら、くわばら!


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「昭和Nostalgia」(364)

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女性の方は、こんなトイレに丸い脱臭剤のようなモノが入っていたのは、きっとご存知ありませんでしょうねぇ。

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ぼくが通った小学校の小便器や、もちろんわが家の小便器にも、極々当たり前のように入れられていたものです。

他の男子はどうであったか分かりませんが、ぼくは自分のお粗末な一物に手を添え、丸い脱臭ボールを的に見立て、小便を放水していたものです。

でも最近の男性用トイレの小便器では、すっかり見かけなくなってしまったものです。

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恐らく小便器も時代と共に進化し、自動流水をするようになり、悪臭を放つのが未然に処理されるようになったからでしょうかねぇ?

ぼく的には何年か前、地方都市のトイレで見かけたのが最後だったような?

でも思い返せばその時も、知らず知らずのうちに、昔取った杵柄ならぬお粗末な拙物に手を添え、やっぱり脱臭ボールを目掛け、勢いを失った放水を放ったような記憶が???

いつまで経っても、体に染みついた習い性は消えぬってぇ事かも知れませんですよねぇ。

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そう言えばわが家のトイレには、こんなトイレ掃除用の「サンポール」が必ず置いてあったものでした。

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あのCM「ひとふり みこすり・・・」ってぇフレーズが懐かしい限りです!


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「昭和Nostalgia」(363)

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小学生の頃、学校から帰ると一直線で、わが家にあった冷蔵庫を開けに行ったものでした。

何か目ぼしいオヤツでも、ヒンヤリと冷えていないかと・・・。

そんな時にいつも目にしたのが、こんなキムコだったり、ノンスメルだった記憶が鮮明に残っています。

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それが何かは知らなかったものの、どうやら食べ物ではない事を既に知っていた気がしますから、それよりもずっとずっと前に、初めてそのキムコやらノンスメルの存在に気付いた時に、お母ちゃんに聞いたんだと思います。

「お母ちゃん、あのキムコ(ノンスメル)って、どんな味がするの?」とかって!

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それで食べ物ではないって事を知り、それ以来キムコやノンスメルを冷蔵庫の中で見かけても、食べ物や飲み物ではない冷蔵庫の中の景色の一つとして捉えていたのかも知れません。

でも最近じゃあすっかり、キムコもノンスメルもお目に掛らなくなってしまいました。

あの昭和の冷蔵庫の必需品は、電化製品の進歩で、もう必要とされなくなったって事なんでしょうかねぇ?

冷蔵庫の中の景色も、既に昭和の景色とは随分異なってしまったってことなんでしょうねぇ。


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「昭和Nostalgia」(362)

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ぼくが生まれた昭和30年前半の世代より、もうひとつ前の世代の若者は、ヒッピーとかサイケデリックと言った、アメリカンなファッションや生き方を模倣されていたのではないでしょうか?

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ぼく的には、ヒッピーやらサイケデリックと言った時代が等身大ではなく、未だに言葉こそ知ってはいても、ヒッピーやらサイケデリックの本質を知らないままです。

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調べてみると、ヒッピーとは、1960年代後半にアメリカに登場した、昔ながらの価値観に対して、対抗文化としての一翼を担った若者を指すんだとか。

その運動がヒッピー・ムーブメントと呼ばれるそうです。

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一方のサイケデリックとは、LSDといった精神拡張薬やドラッグ、それに幻覚剤などによって齎される心理的感覚や、様々な幻覚、そして極彩色でグルグル渦を巻くような、ペイズリー柄のようなイメージが感じられる、視覚や聴覚を刺激する感覚の形容表現なんだとか。

って言われちゃ、何だかぼくなんてチンプンカンプンで、ますます何が何だかさっぱり分かんなくなっちゃいます。

これまたやっぱり、トホホ・・・。


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桜が咲いて春めき出すと、今度は水が温むのを待って、浜辺で潮干狩りなんてシーズンももうそこまで来ているようですねぇ。

ぼくの知り合いの方は、この前もう既に西尾市の一色町で、ハマグリをとって来られたと仰っておられました!

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ぼくも子どもの頃に2回くらいと、娘が幼い頃に潮干狩りへ出掛けたものです。

子どもの頃は、浅瀬にしゃがみ込んで、パンツが海水に浸かってベタベタになろうが、そんなのお構いなしで、夢中でアサリを掘り返したものです。

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潮干狩りに出掛ける日の前日には、お父ちゃんが勤め先の鉄工所で、廃材となった鉄を再加工して、見よう見真似でこんな自家製熊手を、家族三人分拵えて来てくれたものでした。

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そりゃあ町内の金物屋で売っている熊手のような、洗練されたものではありませんでしたが、お父ちゃんお手製の熊手はとても頑丈で温もりが感じられたものです。

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アサリがブリキのバケツ一杯になるまでもう夢中で!

きっとDANのどこかに刻まれていたであろう、狩りに心ときめく古代人の血の滾りを感じながら!

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何千年も前の貝塚があちらこちらにあるように、潮干狩りは連綿と受け継がれて来た、春の旬を堪能する、最もお手軽な狩りの一つだったんでしょうねぇ。

でももうこの歳になったら無理!

だって潮干狩りの翌日には、鍼や灸に整体や、整形外科通い間違いなしでしょうから!

いやはや、トホホ・・・。


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家の周りで見かける桜も、もうすっかり五分咲きに近いようです。

ぼくはどちらかと言うと、花簪のように見える枝垂桜がお気に入りです。

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不思議と日本人は、殊の外桜には思い入れがあるようですねぇ。

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出来るものならタイムスリップでもして、こんなシチュエーションのお花見を楽しんでみたいものです。

そう言えば、バブル時代前夜から桜の名所の公園では、どこの会社でもブルーシートを広げ、新入社員が朝から晩まで交代で場所取りをしている姿を見かけたものでしたですねぇ。

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こんな役を仰せつかると、それなりに新入社員の登竜門とは言え、なかなか大変だったことでしょうねぇ。

ぼくは有難いことに、一度もそんな役回りをしたこたぁありませんでした。

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しかしブルーシート一杯で車座になって乱痴気騒ぎをされている花見客たちは、ほとんど桜の美しさを愛でながら、酒を酌み交わしているようには見えなかったものです。

まぁ、それが花見の宴会ってぇモノなんでしょうかねぇ。

ぼくは団体行動が苦手ですから、この手の花見宴会は苦手で、あまり人で混み合わない場所の桜を眺め、キリン晴れ風で今年は一献とまいるつもりです!


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まだ伊勢湾台風の被害にあって2~3年の頃だったでしょうか?

南区江戸町の親類のアパートに親子三人で暮らしていた頃です。

大家さんは遠縁のお爺ちゃんとお婆ちゃんで、その老夫婦の孫がぼくより一つ上と同い年の遠い従弟で、ぼくを含む三人の男坊主共の名付け親でもあったそうです。

ぼくは「稔」、一つ上の従弟が「薫」、同い年の従弟が「守」でした。

年に一度、遠縁のお爺ちゃんとお婆ちゃんのアパートの隣に建つ、隠居部屋へ年始のご挨拶に伺い、お年玉を頂戴したものでした。

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でもご隠居部屋に入ると、壁に掛けられた能面が何だか怖くって、落ち着かなかったものです。

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もうお爺ちゃんやお婆ちゃんと何を話したかさえ思い出せませんが、お爺ちゃんは煙管盆を引き寄せ、刻み煙草を指先で器用に丸め、雁首の先の火皿に詰め込み、火入れの炭で火を移し、美味そうに眼を閉じたまま、一口二口煙草の煙を呑み込み、ゆっくりと煙を吐き出したものです。

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そして徐に煙管盆の灰落としに雁首を打ち付け、火皿の灰を落としたその姿がなんとも粋で粋で!

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ぼくも大人になったら、煙管で煙草を吸おうと心に誓ったほどでした。

まるで、TV時代劇「鬼平犯科帳」の鬼平こと、長谷川平蔵を演じる中村吉右衛門さんのように、格好よく灰落としにカーンと煙管の雁首を打ち付けたいと!

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以前TV番組の小道具として、どこで買い揃えたものだったのか、長さ12~13cmほどの小さな煙管と、写真の「小粋」と銘打たれた刻み煙草を持っています。

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さすがにこんな立派な煙管のトラベルセットは手に入れられませんから、小道具の短い煙管と「小粋」を携え、どこぞの旅先の空の下で、一服付けてみようかなあなんて思い描いております。


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