今日の「天職人」は、三重県桑名市多度町の「心太(ところてん)職人」。(平成十八年四月十八日毎日新聞掲載)
多度の大社の参道で 軒を並べて涼を売る テンツクテンと心太 椀に突き出し一啜(すす)り 床几に座した二人連れ 椀を片手に箸を割り 二本に分けてテンツクテン 甘く酸っぱい恋の味
三重県桑名市多度町の鳥羽屋。二代目心太職人の大平善正さんを訪ねた。

昭和の半ば。
ランドセルを玄関に放り出すと、十円玉一つのお小遣いを握り締め、お好み屋へと一目散に向かった。
お目当ては、一文籤(くじ)や駄菓子に心太。
水を張った木桶には、小さな羊羹大の一本物の心太。オバちゃんは桶からそいつを掬(すく)い上げ、天突きに流し込む。

そしてかき氷と兼用のガラスの小皿に向かって、天突き棒で一気に細長い心太を突き出す。
酢醤油にゴマを振りかけ、一本だけの割り箸を使ってあっと言う間に、喉へと流し込んだものだ。

「昔は多度祭の時に、心太を食べる風習があったんやて。参道の店はもちろん、あっちこっちの民家でも、軒先で心太出して」。善正さんは、大きなお腹を揺らしながら、大声で笑った。
善正さんは昭和二十四(1949)年、六人兄弟の末子として誕生。
高校を出るとそのまま、両親と共に心太造りを始めた。
「上から順に出てってまうもんで、俺が継がんなんわさ。だでこの歳まで、いっぺんも他人様から給料なんて貰ったことないって」。
伊豆半島の稲取から天草を仕入れて乾燥させ、養老山脈の伏流水を満たした対流釜で五時間かけて煮る。

トロトロの糊状になったところで搾り、型枠に流して冷却させれば出来上がり。
「昔はそのまま桶に入れといて、客の目の前で天突きに入れて突くのんが風流やったけど、今は衛生面がうるさいでのう。せやで日持ちするように酢に浸して、綺麗に包装せんと」。
食物繊維が豊富でありながら、カロリーはほとんど無く、高カロリー高蛋白に気を揉む現代人にはもってこいの食材だ。
「やっぱ三杯酢が一番旨い。関東ではそれに辛子を混ぜるし、京都では黒蜜で食べるし。まあ好き好きやろなぁ」。
海の恵みの海草と、養老山脈が濾過した水だけが原料。
「何でもそうだけど、水が命やて。ここから東へ揖斐川と長良川越えてみ、養老の水がソブケ(濁り)だらけやで」。
昭和四十五(1970)年、善正さんは二十一歳の若さで、近隣から一つ年下のゆき子さんを娶った。
「姉んたあが早よ結婚せえって、見つけてきたんだわ。だってお袋は仕事で忙しかったもんで、中学高校と弁当なんて作って貰えんかったんだで」。
一男二女を授かり、家業に奔走した。
「昔、多度大社の前で店出しとったんだわ。そん時に客が『スイマセン!これ箸一本しかありませんが』って、怪訝な顔するもんだで、『箸二本で食べると「痛風になる」って言い伝えがあるで止めときゃあ』って教えたったんだて。まあ今の人らは、心太の食べ方を知らんでかん。箸二本使ってうどんみたいに食べようとするで、ブツブツ切れてまうんだわ。心太は箸一本。椀の縁を口に宛がって、流し込むようにツルツルッと飲み込まんと」。
多度の杜に上げ馬神事の歓声が揚がれば、夏はもうすぐ。
「自分が毎日食べれんもんを、人様にはよう売れん」。
誰よりも心太を食べ続けた頑固職人。
ヒンヤリ、ツルッとした、庶民の涼感を絶やしてなるかと。
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