「昭和Nostalgia」(412)

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そう言えば昭和半ばの頃は、こんなビニール紐で編んだ、網袋のようなモノにスイカ一玉を入れ、八百屋やスーパーから重たそうに持ち帰っていたものでしたですねぇ。

ところであのビニール紐の網袋は、一体全体どこへ消え入ったのやら?

そう言えば、令和の今となっては、そんな網袋も、いやいやスイカ一玉を丸ごと買っている方など、すっかりお見掛けしなくなってしまいましたですものねぇ。

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重たいスイカをぶら下げて、汗だくになって家に帰ると、日陰で盥に水を張り、スイカを丸ごと浸けて冷やしたものでした。

とは言え、冷蔵庫で冷やすのとはわけが違い、今思えばさぞや生温かったことでしょうねぇ。

それでも昭和半ばの暑気払いには、欠かせぬ逸品でもありました。

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お父ちゃんとお母ちゃんと、生温いスイカを頬張り、縁側に座って種を飛ばしっこしたのが、今となっては懐かしい限りです。


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「昭和Nostalgia」(411)

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大人の入り口をやっと潜った頃、スナックとやらに連れて行ってもらうと、こんなレーズンバターなるおつまみをよく目にしたものです。

カクテルグラスにアイスピックでかち割った氷が入り、そこに薄っぺらな丸い「レーズンバター」なるものが、恭しく5~6枚添えられておりました。

それはぼくにとっちゃあ、初めて目にするもので、いったいどんな味がするんだろうと、兎にも角にも興味津々で、お供させていただいた先輩の話などもう、全然耳に入らぬ始末。

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とは言え、お供の先輩がまだ、「レーズンバター」とやらに、手を付けてもおられないのに、ぼくが真っ先にガツガツと手を出すことも憚られ、先輩が親し気に話を交わされているママさんとの会話に、ただただうつろに相槌を打つばかりだったものです。

やがてそうしている間に氷は解けてしまい、カクテルグラスの小さなプールに沈む、レーズンバターを眺めるしか手立ても無く、結局先輩は馨しそうなレーズンバターに手も付けず、次なる店へとぼくを連れだって行ってしまったもの。

その時のぼくの口惜しさと言ったら!

益々未知なる味わいの、レーズンバターとやらにひたすら恋焦がれてしまったものです。

しかしそんな淡い恋心も、日々の気忙しさの中に埋もれ果て、あんなに味わいたいと恋焦がれたことすらどこへやら。

それからどれだけの月日が流れ果てたことやら。

偶然、明治屋だったかどこだったかで、レーズンバターの文字を目にし、瞬時にあの日の恋心に灯が燈ってしまい、ついついサラミのようなチューブに包まれた、一本もののレーズンバターとやらを買い込んでしまったものです。

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家に帰って早速、カクテルグラスに見立てた、小振りのガラス製のサラダボウルに氷を入れ、厚切りのレーズンバターを冷やしてパクリ!

美味しいは美味しいものの、さりとてその昔に想像していた、空想の味とは微妙に異なり、食べきれないほど大きな、一本丸ごとレーズンバターを買い込んだことをいささか後悔したものです。

やはり、たとえどんなに同じ味であったとしても、それをいただくに際して、そこがどんな空間であり、どんなに洒落た器によそわれ、誰と何を呑みながらと言う点が、とっても重要であるものだと、改めて今更ながら悟ったものでした。

ところで今でも、スナックやらバーのメニューに、レーズンバターの品書きってぇのがあるものなんでしょうかねぇ?

もう何十年と行ったこともありませんから、もうとんと分かりませんねぇ。


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「昭和Nostalgia」(410)

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まだぼくが大人の仲間入りをして間もない頃。羽振りの良い先輩に連れられ、ちょいと敷居の高い鮨屋のカウンターへ。すると拭き清められた檜の一枚板のカウンターに、やはり檜の下駄と、ガリと紫、そして晒し木綿のおしぼり?が!

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しかしおしぼりにしちゃあちょいと小さすぎるし、これじゃあ顔も拭けないしなぁなんて思っていると、先輩が注文したヒラメの握りが先輩とぼくの各々の下駄の上に1貫。

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さて、どうしたものやらと思っていると、先輩がヒラメの握りを指先で掴み、ネタを下にシャリを上に向け、ネタの端っこにちょいと紫を付け一口でパクリ!そしてちょっと小振りなおしぼりのような「指拭き晒」で、指先を小粋に拭われるではありませんか!

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「そういう仕来りか!」と得心し、先輩の作法を真似、そんなこと遠の昔から知ってましたと言わんばかりに振舞ったことがあったものです。

子供の頃、稀に両親に連れて行ってもらった鮨屋は、町場の大衆的な鮨屋であり、カウンターではなくテーブル席で、寿司桶に入った握りずしを箸でいただくばかりでしたから、こんなシチュエーションにはただただビックリだったものです。

そう言えば最近では、クルクル回る鮨屋なんぞはもうとんと回るのを忘れ、タブレットで注文するのが当たり前の世になってしまった感があります。

まぁもっとも、そんな高級店に通えるような身分じゃありませんから、それも致し方ありませんがねぇ。

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でも、檜の一枚板のカウンターのつけ台や、下駄、そして指拭き晒など、和の食文化を通して生まれた鮨文化と共に生まれた粋な文句が、一つまた一つと消え入る気がして、それはそれで寂しい気がいたします。

でもそんな粋な言葉が交わせるような高級鮨店にゃあ、それこそおいそれとは立ち寄れませんけどねぇ。


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「昭和Nostalgia」(409)

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わが家にこんな、開かずの「からくり寄木細工」があります。

確か33年ほど前、小田原の寄木職人さんから取り寄せた、四寸10回ものの「からくり寄木細工」だったように記憶しております。

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ちょうどNew Zealandの飛べない鳥、カカポのプロジェクトの真っ最中に、Department of Conservationのカカポ保護に携わる友人たちに、手土産として持って行ったことがありました。

1993年オカダミノル撮影の雌のKakapo「HOKI」

その時は、寄木細工に添えられていた、開け方の説明書を英訳し、その場で開け方を解説し、大切な宝物を仕舞っておくようにアドバイスしたものです。

そしてぼくも帰国後、自分用に取り寄せてあった寄木細工を開け、何か大切なものを仕舞い込んだような気がするのです。

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はてさて、30数年前に宝物として仕舞い込んだモノとは?

ずっと気になってはいたものの、何度かの引っ越しの途中で、開け方の指南書がどこへやら・・・。

ついに開かずのからくり箱と成り果ててしまっていた次第です。

とは言え、からくり箱を目にする度に、一体全体何を宝物として隠したのやらと、そりゃあもう気になって気になって!

ネットで調べてみると、よく似たからくり箱の開け方が解説されているじゃありませんか!

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果たしてぼくのからくり箱と、ネットの解説によるからくり箱が、まったく同じ仕掛けなのかは分かりませんが、それらを参考に、近い内にTV番組の「開かずの金庫&蔵を開けまくり」を気取って、開かずのからくり箱に挑戦してみるつもりです!

大変なお宝が登場したら、そりゃあもう・・・!

でも、もしそうだったら、やっぱり内緒にしとかなきゃあ!


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「昭和Nostalgia」(408)

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これを一目見て、「変なキーボードだなぁ」なぁ~んて思われた方は、まずもって昭和生まれの方じゃあないでしょうねぇ。

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先の大阪万博が開催された、昭和45(1970)年に発売された、泣く子も黙る「名糖アルファベットチョコレート」ですねぇ。

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発売は、ぼくが中学1年になった年でしたから、よくお母ちゃんに「英単語の勉強するから!」とかなんとか、もっともらしいご託を並べ、徳用袋入りのモノを買ってもらったものでした。

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ところが、1つの袋の中にA~Zまでが全部入っているとは限らず、もう一袋、もう一袋と買わないと、なかなか目指す単語を完成できなかった記憶があります。

皆様もアルファベットチョコを並べて、ご自身の名前とか揃えちゃったりしませんでしたか?

今なお販売され続けている、当時としても画期的な商品だったんでしょうねぇ。

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おませな中坊の中にゃあ、バレンタインデーに女子から、アルファベットチョコで綴った「LOVE」の文字を、自慢げに見せびらかす輩もおりましたっけ?


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「昭和Nostalgia」(407)

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こんな瓶入りのヨーグルトに、子供の頃は憧れたものでした。

だってわが家では、瓶入り牛乳を牛乳屋さんに毎朝配達してもらってはいたものの、瓶入りヨーグルトまでは取ってもらえなかったものです。

でもわが家の裏にあった小学校の同級生の家が、雪印牛乳の配達をやっていたこともあり、夏休みに同級生と一緒にオジサンの配達の手伝いをさせていただいたことがありました。

もちろん小学生ですから、アルバイト代はいただけません。

その代わり、配達が済むと、残った牛乳やヨーグルトが食べ飲み放題!

ぼくはコーヒー牛乳とフルーツ牛乳を飲み、憧れの瓶入りヨーグルトを2~3種類味あわせていただいたものでした。

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あの甘酸っぱいプリンのような独特な味わいが忘れられず、それからは一文菓子屋で瓶入りヨーグルトとは似て非なる、駄菓子のヨーグルを買い求めたものです。

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とは言えあのヨーグルも、それはそれで子ども心をくすぐる銘品であったに違いありません!


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「昭和Nostalgia」(406)

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昨日、チューブ入りのチョコレートの歴史を、森永さんのHPで調べていたら、こんな弁当を発見!!!

なんとその名も「森永ベントウ(おかず入り)」!

昭和15(1940)年に、乾パンをベースに、乾燥野菜と魚粉ペレットをセットして発売されたものだとか?

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果たしてどんなお味だったのやら?

当時は、物資不足の戦時中でもあり、食糧確保のため主食の米を節約しようと言う「節米運動」なるものが盛んに奨励されていたそうです。

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戦後80年の今、庶民はコメの高騰に頭を痛めるばかり。

戦地に赴いていたわが家のお父ちゃん。

慰問袋の中に、こんな「森永ベントウ(おかず入り)」なんて入っていたんでしょうか?

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あの世とやらでお父ちゃんに逢えたら、これまた聞いてみたいものの一つでもあります。


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「昭和Nostalgia」(405)

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これが果たして何なのか?瞬時にわかって、口中に唾液が沸き上がって来た方は、立派に昭和半ばを生き抜かれた方に違いありません!

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そうです!チューブ入りの練り歯磨き粉でも、絵具でもありません!

立派なチューブ入りのソフトチョコレートです!

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それこそ滅多やたらに買ってはもらえなかったものの、2~3度ぼくにもお母ちゃんが買ってくれたものでした。

最初の内は威勢よく、ソフトチョコが口の中へ押し出されてくるものの、最後の方になるとチューブがクシャクシャに押しつぶされ、どんなに力を入れてチューブを押さえても、チョコレートは一向に出て来なくなったものです。

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ぼくらは工作ハサミでチューブを切り裂き、チューブに辛うじて残っていたチョコも、奇麗に舐めて平らげたものでした。

今この歳になってソフトチョコの歴史を調べてみると、何と何と最初にこの世にソフトチョコなるものが登場したのは、日華事変のもっと前、昭和7年の発売だったとか!

その後は、たびたび生産中止になりながらも復活すると言う、大変生命力のある商品であったと、森永さんのHPにありました。

戦時中はもちろん販売中止。

しかし敗戦間もない昭和22年、菓子や食品の原料は厳しい統制下にあったものの、統制外原料を使って再びソフトチョコレートが出回るようになったとか。

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いつか機会があって駄菓子屋を訪ねることがあれば、もう一度あの時の味を口にしてみたいものです!

イッチョー大人買いでもしてみるかぁ!


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「昭和Nostalgia」(404)

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こんなサンスターの子どもシャンプーに憧れたものでした。

小学校の3年生になるくらいまでは、家風呂がなく両親と銭湯へと通ったものでした。

時にはお母ちゃんと女湯、ある時はお父ちゃんと男湯へ。

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そこで同じ年頃の子どもたちが持っていたのが、こんなポリ容器に入った子どもシャンプー!

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ぼくも大好きだった「オバケQ」の子どもシャンプーを、お父ちゃんやお母ちゃんにしつこくねだったことでしょう!

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でもそんなささやかな願いはそうそう簡単には聞き入れられず、固形石鹸で髪の毛までゴシゴシ!

希釈用のリンスなんて、まだまだそうそうお目に掛れなかった時代でしたねぇ。

なんでも冒頭の「おもちゃシャンプー マグマ大使」ってぇのは、昭和41(1966)年の発売とか。

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初めて銭湯で見かけて憧れた、あのキャラクターが付いたポリ容器に入った子どもシャンプー。

果たしてそれから何年の時を経て、やっとのこと「オバケQ」やらの子どもシャンプーを買ってもらえたことやら?

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そしてそれが、小学何年生の時だったのか、どんなキャラのシャンプーを買ってもらえたのやら、記憶を手繰って見たところで、もうトント思い出せそうにありません。

やれやれ・・・。


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「昭和Nostalgia」(403)

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こんな5月半ばと言うのに夏日が続くと、ついつい子どもの頃の事を思い出してしまいます。

学校から帰ると、一目散に冷蔵庫へと向かい、一つしかない冷蔵庫の扉を開け、一番上の段に取り付けられている、小さな製氷機の中にある製氷皿を取り出したものです。

お母ちゃんが暑いからと、濃縮カルピスを薄めた氷を作ってくれてはないだろうかと、まるで祈るような気持ちで!

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小学生の頃は、まだまだお手軽なシャービックの素なんてぇものが、まだまだこの世に存在しておらず、粉末ジュースの素を水で溶いた氷や、濃縮カルピスを薄めた氷ばかりで、それでも十分にぼくにとっちゃあ贅沢な代物でもありました。

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運よくカルビスやジュースの氷が出来上がっていようものなら、冷蔵庫の前で小躍りしたものです。

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そして製氷皿の取っ手を引き上げ、カルピスやジュースの氷を丼鉢に空け、ランドセルも担いだまま、台所で一心不乱に仄かに甘い氷に噛り付いたものでした。

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まぁ、美味しいと言うよりも、冷たくってほんのり甘かったのが、子どもの頃のぼくには、何よりのご馳走だったような気がいたします。

まぁ今となっちゃあ、ほんのり甘い氷よりも、氷のように冷えた、キリン晴れ風の方が何よりのご馳走ですけどねぇ!


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