今日の「天職人」は、岐阜市美殿町の「漬物屋主人」。(平成十八年八月十五日毎日新聞掲載)
母のいつもの割烹着 抜け殻のよに脱いだまま 買い物にでも行ったかな 宵が迫れば哀しくて 電気も点けず玄関で 母の抜け殻顔埋め 仄かに匂い感じてた あれは漬物野菜の香
岐阜市美殿町、大正年間の創業・漬物佃煮の美殿屋。三代目主人の加藤実さんを訪ねた。

店先の看板に『キャベツの塩漬けあります』。
「直ぐに売れちゃうもんやで、一番食べ頃のもんしか出しとかんのやて」。実さんは、漆塗りの桐溜めと呼ぶ陳列箱の傍らで微笑んだ。
三代続くキャベツの塩漬けは、全国に数多(あまた)ある漬物屋の中でも、美殿屋だけのオリジナルとか。

古くからある柳ヶ瀬の呑み屋でも、重宝がられる逸品だ。
実さんはこの家に長男として誕生。
やがて東京の大学へと進んだ。しかし四年生の年、父が胃潰瘍による輸血で肝炎を患い、一年休学して家業を手伝った。
父の復帰を待ち復学し、二十四歳で帰郷。そのまま家業に従事した。
キャベツの塩漬けは、二種類。
夏場は一ヶ月、冬場には三ヶ月を費やし、常温の塩漬けで自然に乳酸菌が発酵した深漬け。
それと一週間の塩漬けで冷蔵する、まだ緑が残る浅漬けもある。
父が塩を振り、実さんは石の上げ下ろしを行い、見よう見真似で漬け方を学んだ。
「暮れのキャベツが一番やて。年が明けると硬くなるし、梅雨時は傷む」。
四斗樽一杯分のキャベツは、やがて二斗樽三分の二にまで体積を減らす。
昭和五十九(1984)年、市内の百貨店に勤める清美さんと結ばれ、二男を生した。
「そんなもん、両手両足の指使っても足らんほど見合いしたんやて」。それでも一つとして、ものにならなかった。
そんなある日。友人から清美さんを紹介された。
「ご縁なんやろねぇ」。二人はまるで引力の赴くまま互いに惹かれあい、わずか半年で添い遂げた。
ある日のこと。ネット上で、キャベツの塩漬けを販売しないかとのお誘いが。
「よくよく考えると、真空パックに詰めたら味が変わるし、そもそも賞味期限なんてよう付けんし」。
寒くなれば漬け上がるまでに、三ヶ月も要する商品。それを量販すれば、これまで一ヶ月かけて販売していた商品が、あっと言う間に品切れとなってしまう。
実さんは悩み抜き、結論を出した。
「家の客は祖父の代から続いとんのやで、売り切れになってお客さんを待たせたらいかん。それに対面販売じゃなきゃあ、漬物本来の値打ちも下がる」。ネット販売を見合わせた。

「こればっかし見とるでしょ。だからものの見方まで、キャベツの塩漬けと同じになってまうんでしょう」。前掛け姿に、何とも人懐っこい笑顔。
「お節介やけど、『キャベツの塩漬けは、塩水に灰汁(あく)が出とるで、水洗いしてから食べてや』って。それにもう一言『漬物をお守りしてやってや』と、必ず付け添えるんやて」。
店先には、今が食べ頃、完璧な状態の漬物が並ぶ。

「漬物を悪くするには、一日もいらんのやて。漬物は生きとんやし。だから空気に触れたばかりの最初の味と、二~三日経ってからでは味も変わる。それが漬物好きの、本来の楽しみ方やて」。
三代に渡って極め抜いた、素朴なキャベツの塩漬け。
素朴さゆえ、紛い物など通用せぬ。
今日も職人は、思いの丈を込め一握りの塩を振る。
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