「昭和Nostalgia」(421)

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これは昭和半ばの、ぼくがまだ小学校低学年時代、お母ちゃんが「鬼おろし」とか物騒な名前で呼んでいた、大根おろし器です。

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竹を割った物に、ギザギザの切り込みの入った薄い竹が、横に何枚も組み合わされていたものです。

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とは言え、本当に鬼を下ろすことは無く、もっぱら大根を下ろしてくれていました。

その後数年もしない内に、現在のようなステンレスやプラスチック製の大根おろし器が取って代わり、竹製の鬼おろしはどこへやら・・・。

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60年近く前の記憶ですから、言うまでもなく曖昧ではありますが、現代のそつのない大根おろし器で、満遍なく細かくすり下ろした大根より、粗削りで大根そのもののゴツゴツ感が混ざった、鬼おろしの大根おろしの食感が、今でも記憶の片隅にありありと残っているようです。

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焼き立てのサンマに、粗削りな鬼おろしを添え、キリン「晴れ風」と共に、お母ちゃんの味を懐かしみながら、今年の秋を愉しみたいものです!

あっ、でもその前に、竹製の鬼おろしを探さなくっちゃ!


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「昭和Nostalgia」(420)

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小学校低学年だった頃の微かな記憶によると、当時のわが家には、こんな菜切り包丁がたったの一本きりあっただけだった、そんな気がいたします。

でもお母ちゃんは、こんな菜切り包丁一つで、野菜は元より、魚や肉、皿には果物やらバターケーキまでをも、実に器用に捌いていたものです。

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当時の包丁は、今のようなステンレスとは異なり、直ぐに錆が浮くような代物。

日曜日になる度に、お父ちゃんがせっせと包丁研ぎをしておりました。

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もしかするとあの菜切り包丁は、お母ちゃんのわずかな嫁入り道具の一つだったのかも知れません。

お母ちゃんがこの世を去り、遺品整理をしていた時のこと。

ステンレス製の万能包丁の何本かとは別に、台所の引き出しの奥に、ぼくが子どもの頃使っていた、柄の朽ちかけたあの菜切り包丁が、おそらくお父ちゃんが最期に研ぎ上げた、ピッカピカのまま、大切そうに晒しに巻いて仕舞い込まれておりました。

お母ちゃんはきっと、当時いつも台所に立ち、苦楽を共にしたあの菜切り包丁を捨てるに捨てられず、家族の食の歴史を共にした戦友のような気持ちで、引き出しの奥に仕舞い込んでいたのかも知れません。

きっとお母ちゃんが、ネギでも刻んだ後、その菜切り包丁でバタークリームのクリスマスケーキを切り分けてくれたと思いますが、バタークリームの甘い香りに紛れ込んだ、刻みネギの香りが今でも忘れられません!

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それもこれも全てひっくるめて、どれもが大切なお母ちゃんの香りなんです!

そんなどーでもいいようなことが、押しも押されもせぬ、マザコン親父の誇りなんです!


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「昭和Nostalgia」(419)

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こんな水中輪投げのような、とってもアナログな、昭和チックな遊びがぼくは好きでした。

ボタンをおして水流を巻き起こし、水に浮かぶ輪っかを、途中に設置されたピンの中に入れると言うシロモノ。

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ところがドッコイ!

せっかく苦労して、何個かの輪っかをピンに通したにもかかわらず、最後の一個の輪っかをピンに入れようと、ボタンを押して水流を巻き起こすと、あろうことかせっかく苦労してピンの中に入れた輪っかまで、水流のせいで浮かび上がってピンの外へと流れ出してしまうじゃないですか!

なんてぇこったぁ!

結局、そんなことの繰り返しで、一向に輪っかを全部ピンに通すことなんて、とっても容易ではなかった事を、今さらながら思い出してしまいます。

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って、もっともぼくが買ってもらえたのは、冒頭の立派で大きなウォーターリングなんかじゃあなくって、ポケットサイズの小さなものでしたですけどねぇ。


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「昭和Nostalgia」(418)

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これが何だか分かりますかぁ?

これは受話器を置くと、保留中の電話のBGMとして流れ出す、固定電話の受話器を置く専用のオルゴールです。

黒い固定電話の送話口と受話口側を下向きにして、オルゴール上部のアームに置くと、中央の丸いボタンが押し込まれ、オルゴールが回り出してBGMが奏でられると言う仕組み。

さすがにわが家にゃあ、こんなお洒落なものなどありませんでしたが、裕福そうな友の家で見かけた事があり、それが一体何であるのか?友に尋ねたものでした。

何とも美しい音色がして、うっとりとしちゃった記憶があります。

その他にも、

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お洒落な小物入れの蓋を開けると、音楽に合わせバレリーナが踊り出すものやら、

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中にはこんな置時計のからくりオルゴールなんてぇものも、どこかのお宅で拝見した気がいたします。

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まぁ後になって、ぼくが買ってもらえたオルゴールは、こんな手回し式の子供騙しのものであった気がいたします。

それでも愉しくって、オルゴールが奏でる調べを聞き入っていたものです。


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「昭和Nostalgia」(417)

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小学校の低学年の頃は、学校から帰ると卓袱台の上に、テンコ盛りの蒸し芋が、まるで手ぐすねでも引くかのようにデーンと待ち構えていたものです。

もちろん3時のオヤツは、その蒸し芋だけ!

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「さぁ、お腹一杯召し上がれ~っ」てな調子で!

さすがに毎日毎日蒸し芋だけじゃあ、もう辟易としたものです。

でも朝から晩まで、家事や内職の針仕事に追われるお母ちゃんの姿を見ていると、子ども心にもそんな贅沢など、さすがに言えなくなったものでした。

果たして、鹿児島生まれのお母ちゃんは、薩摩芋の蒸し芋が好きだったのか?それとも安上がりで、腹持ちも良かったからなのか?

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お母ちゃんは針仕事の手を止め、蒸し芋を旨そうに頬張り、冷めた湯呑の番茶を一啜りしていたものです。

今度のお母ちゃんの祥月命日には、ぼくが一丁張り切って、蒸し芋でも作って、供えてあげるとするかぁ!


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「昭和Nostalgia」(416)

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これをご覧になって「懐かしいなぁ~っ」なんてお思いのあなたは、押しも押されもせぬ立派な昭和人に違いありません!

新幹線や飛行機の肘掛けで見かけた、灰皿ですねぇ。

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JRの在来線には、こんな灰皿が取り付けられていたものです。

その他にも、

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こんなファミリー向けのお店でも、堂々とこんなロゴ入りの灰皿が、当たり前のように渦高く積み上げられていたものでしたねぇ。

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中には、こんなオモシロい灰皿も!

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そう言えば二十歳の頃、小中と同級生だった女性が、陶器のデザイン会社に勤めたとかで、自分が企画デザインした灰皿だとか言う事で、これとそっくりな水洗様式トイレ型の灰皿をいただいたことがありました。

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ちゃんとタンクに水が入り、煙草の火が消せるというスグレモノ!

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それにしても、あの時いただいたトイレ型の灰皿、いったいどこへやら?

家のお父ちゃんは、こんな灰皿を使っておりましたですねぇ。

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お父ちゃんが旨そうに煙草を吹かしていた姿も蘇るようです。

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こんな吸殻をボタン一つで始末できる、画期的な灰皿も見かけましたねぇ。

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さすがにこんな、自虐的な灰皿には、お目に掛ったことがありませんが!


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「昭和Nostalgia」(415)

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こんなレーシングカーのセットに憧れたものでしたねぇ。

まぁわが家じゃあ、どんなにお母ちゃんを拝み倒したところで、到底買ってなど貰えるはずもなく、裕福な友の家に入り浸って、遊ばせてもらったものでした。

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しかしこのスロットル捌きがなかなか難しくって、ついついスロットルを押し込みすぎて、カーブを回り切れずスピンすることもしばしば。

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そう言えばレーシングカーの持ち主である友人は、時折レーシングカーをひっくり返し、車の前輪の間に付いている集電ブラシとやらの先っちょを広げたり、車が多少スピンしコースから外れかけても、ちゃんと電気が集められるよう工夫したりしていたものです。

まぁ、たとえお情けでお母ちゃんがこんなレーシングカーセットとやらを買ってくれたとしても、わが家の茶の間に広げたら足の踏み場も無くなって、それこそ大事になった事でしょうねぇ。

でもいくつになっても憧れは尽きることなく、娘がまだ幼い頃にレーシングカーセットを大人買いし、娘と二人でレースを繰り広げたものでしたが、どーにもこーにも娘は詰まらなさそうな素振りで、親父だけが一人子ども帰りして楽しんだものです。

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いくつになっても子供の頃の憧れは、永遠の憧れでもあるものなんでしょうかねぇ?


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「昭和Nostalgia」(414)

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昨日、夢ちゃんからいただいた、スイカの漬物のコメントを読んだ途端、昭和半ばの夏の匂いを感じてしまいました。

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家のお母ちゃんも、夢ちゃん家同様に、スイカの皮を塩もみして漬物にしてくれたものです。

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ちょっと醤油を垂らしていただくと、カリコリした歯触りして、ぼくはとっても好きでした!

ほんのりスイカの香りがして!

とても懐かしい、お母ちゃんの夏の味に違いありません。

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今年は何が何でもスイカを買ったら、皮を捨てずに塩もみにして、またしても暑そうな夏をキリン晴れ風のあてにして、乗り切らなくっちゃ!


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「昭和Nostalgia」(413)

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子供の頃、お母ちゃんは内職で、洋裁をしていたこともあり、茶の間の一角には、お母ちゃん専用のくけ台を挟んだ座布団、そして傍らには裁縫箱が置かれていたものです。

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その中にあって、一際異彩を放っていたものが、コレ!

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コレはいったい何に使う道具やらと、不思議でならなかったものです。

でも裁縫箱には、決して触らせてもらえません。

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だから益々興味津々!

この細い針金のようなモノで出来た菱形は、先っちょを押さえると菱形から正方形にも変形するし、はたまた真ん中の二辺を押せば一本の針のように変形するし?

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お母ちゃんが内職仕事の途中で、トイレに立った隙に幾度か試したことがありました。

ところがその本来の用途は、一体全体何なのかとんと分かりっこありません。

お母ちゃんは内職仕事が一段落すると、膝の上に載せていた内職の紳士服を傍らに除け、そのままの姿勢のまま器用に手を伸ばし、卓袱台の隅に置いた湯呑を手に取り、冷めた茶を啜っていたものです。

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ぼくは卓袱台の脇でオヤツを食べながら、お母ちゃんの裁縫姿を眺めるのが、結構好きだったかも知れません。

どうにもあの物体が気になってならず、お母ちゃんに恐る恐る尋ねてみました。

すると、「針に糸を通す道具や」と。

何をする道具なのかは分かりましたが、それが一体どのように使われるのやら?

するとお母ちゃんが、わざわざ針を一本手にして、菱形の先っちょを針穴に通し、針穴から飛び出した菱形の中へ糸を通し、そのまま針穴から引き抜くと、なんとなんと、難なく糸があっと言う間に通っちゃうではないですかぁ!

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まるで手品でも見せられたかのように、ぼくはただただポカァ~ンとしていたに違いありません。

ところで、この商品、正式にはどんな名前なのかご存知ですか?

ぼくも調べて初めて知りましたが、「スレイダー」とか「スレダー」とやら。

発明者も定かではないようで、明治の最初頃にヨーロッパで生まれた、画期的なものであったようです!

齢を重ね、視力もおぼつかない今、鍼仕事でもしようかと思っても、針穴を見定め唾を付けて紙縒り上げた糸先を、裸眼のまま通すことなど無理な相談です。

やっぱりいざと言う時のために、この「スレイダー」とか「スレダー」とやらを、常備せねばなりませんねぇ。


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「昭和Nostalgia」(412)

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そう言えば昭和半ばの頃は、こんなビニール紐で編んだ、網袋のようなモノにスイカ一玉を入れ、八百屋やスーパーから重たそうに持ち帰っていたものでしたですねぇ。

ところであのビニール紐の網袋は、一体全体どこへ消え入ったのやら?

そう言えば、令和の今となっては、そんな網袋も、いやいやスイカ一玉を丸ごと買っている方など、すっかりお見掛けしなくなってしまいましたですものねぇ。

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重たいスイカをぶら下げて、汗だくになって家に帰ると、日陰で盥に水を張り、スイカを丸ごと浸けて冷やしたものでした。

とは言え、冷蔵庫で冷やすのとはわけが違い、今思えばさぞや生温かったことでしょうねぇ。

それでも昭和半ばの暑気払いには、欠かせぬ逸品でもありました。

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お父ちゃんとお母ちゃんと、生温いスイカを頬張り、縁側に座って種を飛ばしっこしたのが、今となっては懐かしい限りです。


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